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[SPOTLIGHT]|井上道義に聞く―2024年2月「最後のN響定期出演」でショスタコーヴィチを指揮

公演情報2024年1月18日

井上道義、「最後のN響定期出演」で《交響曲第13番「バビ・ヤール」》を指揮
〜ショスタコーヴィチに会えたら「ゆるす」ことの大切さを語り合いたい〜


「2024年12月末で指揮者をやめます!」――井上道義の指揮者としてのキャリアの集大成がいよいよカウントダウンに入る2024年。まず2月3日・4日にNHK交響楽団第2004回定期公演Aプログラムに登壇します。これは、コロナ禍によって変更を余儀なくされた2020年12月定期の当初演目のリベンジで、ヨハン・シュトラウスⅡ世の《ポルカ「クラップフェンの森で」》で幕を開け、《舞台管弦楽のための組曲第1番》からの4曲と大作《交響曲第13番「バビ・ヤール」》を組み合わせたショスタコーヴィチ・プログラムです。最後のN響定期にのぞむ井上道義にその思いを聞きました。

(聞き手・構成:池田卓夫/音楽ジャーナリスト)

井上道義

― いよいよ引退まで残り41公演となり、N響定期公演への出演はこれが最後となります。「38年ぶりの定期登場」と騒がれた2016年11月に《交響曲第12番「1917年」》、2019年10月に《第11番「1905年」》、2020年12月に《第1番》を指揮、今回が《第13番「バビ・ヤール」》です。N響とのショスタコーヴィチ・シリーズはもっと先に続くはずだったのでは?

井上: はい。本来は大昔の2020年12月定期用の曲目でしたから、N響とはもう少し多くのショスタコーヴィチを演奏出来たかも。でも実は2023年に自作のオペラを初演したらもう指揮者をやめるはずだったのがコロナ禍で延期されてしまったとも言えます。このプログラムが2年あまり延期されるうちに、世界は《バビ・ヤール》の状況に逆戻りしました。ショスタコーヴィチが旧ソ連の人々に向け、帝政ロシア時代のユダヤ人排斥、ナチス・ドイツのホロコースト(大量虐殺)などを織り込んで、「私たちの中にある」差別意識や反ユダヤ主義を指摘した状況が「思い出すこと」ではなく、私たち自身の現実となり、ユダヤ人問題が今また重くのしかかっています。純粋にプログラムを作った2020年が何か遠い昔のようだ。


― もし天国でショスタコーヴィチに会えたら、何を話しますか?

井上: 人が人を「ゆるす」ことの大切さではないか?人々が「いけない」と思いつつも抱いてしまう差別意識はいったいどこから生まれ、それが時に殺人まで犯してしまうのはなぜだろうか?僕自身なら差別は当然「する」し、「しない」ことは偽善にさえ思える。これをどう超えていくかというと、「そういう自分や他人をもゆるす」 ことしかないように思える。もう一歩踏み込めば人に、何かゆるせないようなことをされたとしてもそれをゆるすことにしか「愛」の真実はないと思います。隣り合った人が愛の名のもとに「ゆるす」のは本当に大変なこととはいえ、「それがなければ恋人も家族も社会も文化も意味がないのでは?」と言葉を投げかけてみたい。どんな返事が来るか?言葉で明確に答えるか?

井上道義

― ワルツ王が、ロシア遠征時の定宿、サンクトペテルブルク近郊の王侯貴族の保養地パヴロフスクで書いたポルカを冒頭に置いた理由は?

井上: 中央ヨーロッパの音楽家がお金持ちの新興国へ出稼ぎに行った時代の記憶――サンクトペテルブルクにはシュトラウスだけでなくヴェルディも招かれ《運命の力》を作曲しましたし、ドヴォルザークやマーラーも新世界アメリカで働いています──を呼び覚ましたかったのです。日本人でも、朝比奈隆さんは旧満州国(現在の中国東北部)のハルビンに逃れてきたユダヤ系ロシア人中心のオーケストラを指揮してデビュー、岩城宏之さんはオーストラリア、私はニュージーランドと、南半球のオーケストラで腕を磨くことがありました。セルジュ・チェリビダッケの指揮者講習会で学んでいた若い指揮者が、ホメイニ革命前にパーレビ国王の新設する楽団の指揮者に抜擢され、すごく喜んでいたのですが、飛行機事故で呆気なく亡くなりました。希望や平和は壊れやすく、音楽や小説の中にあるものも「絵空事」ではなく、現実に起きることだと常に思います。


― チェリビダッケの下を離れた少し後、1976年5月19日、東京文化会館の日本フィルハーモニー交響楽団の第282回定期演奏会で日本デビュー を飾ってから47年あまり。日本のオーケストラの水準向上には目覚ましいものがあります。

井上: たしかに、N響含め日本全体でオーケストラの水準はあがりました。世界中のオケの水準も上がっていますがね。
2007年、日比谷公会堂で「日露友好ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト」を企画した際に参加した名古屋フィルハーモニー交響楽団や広島交響楽団の演奏にも目覚ましいものがありました。2023年10月に高崎と東京で群馬交響楽団と最後に共演して、ショスタコーヴィチの《交響曲第4番》を指揮した時もすばらしい演奏ができてびっくりです。
N響に関して言えば定期での共演こそ少なかったものの、30歳を超えた頃は演奏旅行を含め、かなり頻繁に指揮していました。

井上道義

― 指揮者を続けてきて「よかった」と思うのは、どういう点でしょうか?

井上: 自分に与えられた能力で出来ることを最大にやれるだけ、出来たことです。それと能力以上のことを無理やりやるようなことはしないですみました。
10代の頃はバレエ・ダンサーを目指しましたが、僕の体は硬かった。3歳下の妹は今も現役の踊り手で、「指揮者にならないで踊っていたら、この年齢まで持たなかったわよ」と憎まれ口をききますけれど、そのとおり。思い起こすと僕は、14歳の時から同じ考え方で生きてきました。「自分に与えられた幸福(ハピネス)をこの手でつかみ はなさず、死ぬまで使いきるにはどうしたらよいか」と考え続けた一生で、親しい人々には迷惑もかけましたが、父母をはじめ、僕を育んでくれたすべての人々に感謝しながら自己を育み、舞台芸術と向き合ってきました。妥協はなるべくしなかったつもりです。
しかし何といっても一度も戦争に巻き込まれなかったという幸運がありました。指揮者には定年もないですし、自分の人生を自分で決められ、それがずっと自分の手の中にあったことがありがたかった。健康にもめぐまれたし。
本当は自作のオペラ《A Way from Surrender~降福からの道~》の初演ですべてを出しきった感があり、同時に引退を決めたかったのに、コロナ禍でちょっとタイミングがずれました。


― 引退後の計画は?

井上: 何もありません。やりたいことは全部やった。


井上道義

写真©Taira Tairadate



公演情報

第2004回定期公演Aプログラム
2024年2月3日(土) 開演6:00pm
2024年2月4日(日) 開演2:00pm
NHKホール

ヨハン・シュトラウスII世/ポルカ「クラップフェンの森で」作品336
ショスタコーヴィチ/舞台管弦楽のための組曲第1番-「行進曲」「リリック・ワルツ」「小さなポルカ」「ワルツ第2番」
ショスタコーヴィチ/交響曲第13番変ロ短調作品113「バビ・ヤール」*

指揮:井上道義
バス:アレクセイ・ティホミーロフ* ※
男声合唱:オルフェイ・ドレンガル男声合唱団*

※当初出演予定のエフゲーニ・スタヴィンスキー(バス)から変更いたします。




井上道義(指揮)

2024年12月末で「引退する」と宣言した1946年生まれの名指揮者、井上道義。2016年11月、38年ぶりにNHK交響楽団の定期公演へ招かれて披露したのはオール・ショスタコーヴィチ・プログラムだった。そしてグラスとショスタコーヴィチでセンセーションを巻き起こしたのは2019年10月のこと。コロナ禍での2020年12月公演ではショスタコーヴィチ《交響曲第1番》を指揮し、2022年11月定期公演も同作曲家の《交響曲第10番》で成功を収め、今回、2024年2月の定期では《舞台管弦楽のための組曲第1番》と《交響曲第13番「バビ・ヤール」》に挑む。井上は世界が東西冷戦に支配された第2次世界大戦後に生まれ育ち、日米両国にルーツを持つ。社会主義体制の旧ソ連を生き抜いた芸術家ショスタコーヴィチの苦悩に自身を重ね、「ショスタコーヴィチは僕だ」と公言してはばからない傾倒がN響の楽員1人1人に浸透、極めて共感度の高い演奏を生んできた。冒頭に置かれたワルツ王ヨハン・シュトラウスII世の《ポルカ「クラップフェンの森で」》が異彩を放つが、ロシア帝国に招かれパヴロフスク滞在中に作曲し、元は《パヴロフスクの森で》という題名だった事実や、ショスタコーヴィチの組曲の3曲目が〈小さなポルカ〉である関連をふまえた選曲だろう。若い頃ダンサーを目指した片鱗をうかがわせる井上の華麗な指揮ぶりも注目だ。

[池田卓夫/音楽ジャーナリスト] 

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