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「尾高賞」受賞作を Music Tomorrow 2025で再演! 作曲者のコメント・選考評を紹介
お知らせ2025年2月17日
2025年2月に「第72回尾高賞」を受賞した権代敦彦《時と永遠を結ぶ絃 ― ヴァイオリンとオーケストラのための Op. 193 (2023)》が、N響特別公演「Music Tomorrow 2025」で再演されます。尾高賞受賞コメントと審査員選考評を紹介します。
Music Tomorrow 2025
2025年6月26日(木) 7:00pm東京オペラシティ コンサートホール
権代敦彦/時と永遠を結ぶ絃 ― ヴァイオリンとオーケストラのための Op. 193 (2023) [第72回「尾高賞」受賞作品]
ヴィトマン/死の舞踏 (2022) [日本初演]
ヴィトマン/楽園へ(迷宮VI)― トランペットとオーケストラのための (2021) [日本初演]
指揮:イェルク・ヴィトマン
ヴァイオリン:辻󠄀 彩奈
トランペット:ホーカン・ハーデンベルガー
管弦楽:NHK交響楽団
『第72回尾高賞 受賞に寄せて』
権代敦彦
2023年、山下一史さんが音楽監督を務める、愛知室内オーケストラの初代コンポーザー・イン・レジデンスに就いた。山下さんは、2005年に大阪で、涙と祈りのうちに初演した《子守歌》を皮切りに、今日まで最も多くの、僕のオーケストラ曲を指揮してくれている。
レジデンス・コンポーザーとして毎年1曲、協奏曲を書きたいと願い出た。
先ず、ヴァイオリン協奏曲というアイデアは、当初からあった。
なぜなら、初演のソロを託したヴァイオリニスト・辻󠄀彩奈さんとの、これまでの積み重ねがあり、機が熟していたからだ。
彼女からは、遡ること数年前、協奏曲のソリストアンコールで弾くためだけに、短い独奏曲を書いて欲しいという、珍しい委嘱があった。
アンコール曲ということは、その直前に弾かれた協奏曲を、遥かに凌駕するものでなければならない!それも2~3分間で。作曲の腕が鳴った。
既存のあらゆるヴァイオリン協奏曲を知り、学ぶことから始め、3曲の短いアンコールピース《Post Festum》(ポスト・フェストゥム)を書いた。
彼女は、様々な協奏曲を弾いた後、その都度1曲を選んで、あちこちで弾いてくれた。
「次は、いよいよ権代の“協奏曲”ね!」。そんな夢を見ていたところだったのだ。
こうした流れの中で書き始めた、ヴァイオリン協奏曲。その作曲過程は、人の死を見つめ、向き合う時間とも重なった。
またこの間に受けた、哲学者・古東哲明先生の講義「死の深さ/生の輝き」での一言一句が作曲を支え、それら言の葉を音符へと変換していったような気もする。
作曲は、生と同じく、時間を切り取るわざ(業・技)であり、その切り取られた有限の時間の只中に、無限、永遠を覗かせるという、アクロバット的な曲芸だ。
冷厳に時の刻みが迫るも、いつまでも、どこまでも・・と、祈りを弛まぬ絃の響きに託し、決して見届けることの出来ない、いつか、どこか・・を目指す。
ヴァイオリンとオーケストラのための《時と永遠を結ぶ絃》は、そんな曲になった。
辻󠄀彩奈さんのヴァイオリン、山下一史さん指揮の愛知室内オーケストラによる三位一体の世界初演に、曲自身が喜んだ。
作曲委嘱、そして賞への推薦をいただいた、愛知室内オーケストラに、曲に代わって感謝。
プロフィール|権代敦彦 Atsuhiko Gondai
1965年生まれ。カトリックの洗礼を受ける。メシアンの影響で作曲とオルガンを始め、17歳で女声合唱のための《Ave Maria》 Op.1を作曲。教会のオルガニストも務めた。「有限の生命・有限の音楽時間」における「死・終焉」と「永遠・無限」との関係を創作の中心主題に据え、カトリック信仰に根差しつつも、様々な宗教を横断する独自の死生観・時空観念による音楽の創作を試みている。
オペラ、オラトリオ、管弦楽、協奏曲、室内楽から独奏に至る様々な器楽曲、合唱曲、また古楽器、復元古代楽器を使ったものや、邦楽、雅楽、仏教声明に至るまで、あらゆる分野に及ぶ作品が200曲程ある。
Op.1に始まる合唱曲分野では、合唱指揮者・田中信昭との長い年月に渡る協働により、数多くを作曲、初演してきた。
オルガン曲も常に重要な位置を占め、ジグモンド・サットマリー、ケイ・コイト、鈴木雅明をはじめ、世界中の多くの名オルガニストに楽曲を提供してきた。
2000年、ミレニアムの年に、天台・真言両宗の声明衆のための、新作声明の作曲を切っ掛けに、仏教への関心が高まり、以降様々な仏教声明、仏教音楽とキリスト教音楽との邂逅、融合を試みた作品を多く作曲し、日本、ヨーロッパ各地のカトリック大聖堂、アメリカでの公演ツアーを行った。
近年では、ロシアに於いて、ヴィオラ奏者/指揮者のユーリ・バシュメットと共に、ヴィオラ協奏曲の作曲、ソチ冬季国際芸術祭のレジデンス・コンポーザー、モスクワ・ソロイスツへの作曲、バシュメット国際コンクールの課題曲作曲と審査、ラフマニノフ国際コンクール作曲部門審査員(戦争で中断)等々の活動が、戦争直前まで続いた。
またノイズ・ミュージックのMERZBOWとの共作や、振付家リン・ファイミン(林懐民)率いる台湾のクラウド・ゲイト・ダンス・シアター(雲門舞集)、ダンサー・振付家の金森穣、森山開次など、ダンス分野とのコラボレーションも多い。
これまでに、芥川作曲賞、出光音楽賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞、中島健蔵音楽賞、別宮賞、尾高賞をはじめ、国内外で数多くの受賞歴がある。
1995年および99年に、東京カテドラル・聖マリア大聖堂で自身の作曲個展をプロデュース。
2004年サントリー音楽財団の「トランス・ミュージック〜対話する作曲家」の特集作曲家、
2010年ロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールにおけるフィルハーモニア管弦楽団「ミュージック・オヴ・トゥディ」の特集作曲家、2013年サントリー芸術財団「作曲家の個展2013─権代敦彦」のテーマ作曲家に選ばれる。
2003年アーティスト・イン・レジデンスとしてノルウェーのベルゲンに滞在。
2004年オーケストラ・アンサンブル金沢のコンポーザー・イン・レジデンス、2014年オーケストラ・アンサンブル金沢のコンポーザー・オヴ・ザ・イヤー、2017年ソチ冬季国際芸術祭のアーティスト・イン・レンジデンス、そして2023年より、愛知室内オーケストラのコンポーザー・イン・レジデンスを務めている。
『第72回尾高賞』選考評
尾高忠明
今回は、26作品だった。力作もあれば大変砕けた感じの小品的なものもあり、変化に富んでいた。7人の選考委員で投票を行った。全体に厳しめの委員もいらっしゃったが、根柢の意見は意外に割れなかった。1回目の投票後、権代敦彦さんの《時と永遠を結ぶ絃〜ヴァイオリンとオーケストラのための〜》、岸野末利加さんの《Infinity (∞)》, 坂田直樹さんの《ピアノとオーケストラのための水の鏡》が残った。岸野さんの小オーケストラとヴィオラの音楽はなかなか緊張感にあふれ、演奏も立派なものだった。これからの作曲はエレクトロニクスやAIがかかわってくるのであろうと思うが、それがどこまで人の心を打つものに成りうるか、見届けたい。長生きせねば!
坂田さんの、水の鏡は確かに「水」を感じる作品で、杉山洋一さん、阪田知樹さんと名古屋フィルハーモニー交響楽団が素晴らしい演奏を繰り広げてくれていた権代さんの作品は実に雄弁で29分の大作だが長すぎる感じは毛頭ない。充実の時間だったが、それを支えたのはソリストの辻󠄀彩奈さん、そして山下一史さん率いる愛知室内オーケストラだ。このオーケストラのコンポーザー・イン・レジデンスとして大活躍をなさると思う。大いに期待している。物事は有限だというお考えだそうだが、私たちがいなくなっても権代さんの作品は生き続けるでしょう。
山本準さんの作品はいろいろな要素が絡み合い大変面白いが、今一つまとまりを良くできるかな?鈴木理恵子さんの作品はソリストの2人が抜群だった。(音源・譜面審査のため)茶道が見られなかったのが悔やまれる。松波匠太郎さんの作品では上野耕平さんのサクソフォーンがすごかった。
藤倉大さんのトロンボーン協奏曲では中川さんのソロの素晴らしさに加え、秋山先生の広島交響楽団が素晴らしいが、思いもよらぬ秋山先生の訃報に声も出ない!池辺晋一郎さんのピアノ協奏曲では反田さんのピアノが素晴らしかった。このようなレベルの高い作品、演奏が多かったが、中には演奏があまり芳しくなく作品が可哀そうだと感じた作品もあった。
来年は作品、演奏ともにレベルの高い年になってほしい。
『第72回尾高賞』選考評
下野竜也
今回は、26曲の新しく誕生した作品と出会う事になりました。作曲家の皆様、初演なさった皆様に心から感謝を申し上げます。
そもそもオーケストラは、その時代を経て、変容して拡大されある程度の型が出来上がって現在に至っていますが、この100年ほどはそれほど大きな変化はない様に思います。多少の人数や楽器の選択に差異はあっても。誤解を恐れず申し上げれば古い演奏形態とも言えます。そう言った中で、新しい音楽、今まで聴いた事がない様な音楽をオーケストラで表現する事はとても難しいと思いますが、今回の選考はその事を実感したり、いやいやまだまだ新しい事が出来るという両面を極端に、私自身は感じました。
まず、初めて参加した昨年と同様に初演の演奏を聴かず、譜面を拝見し私なりに譜面から、どの様に演奏すべきか、演奏したいか、自分が演奏するという仮定で今回の作品と向き合いました。偶然ではあると思いますが、今回、何かしらのものを作品に引用する方法を取っている作品、明らかに調性がある音楽とそうでない音楽を同じ作品内に共存させている作品が多かったです。結果、作品全体の緊張感が持続せず、弛緩している様に感じた作品が多かった様に思います。それはその後、初演の演奏を聴いても同様の印象でした。
その中で、私は岸野末利加さんの《Infinity (∞)》はヴィオラで奏でられる音がアンサンブルとの異様な対話とも言うべき音楽が繰り出され、最初から最後まで緊張感が途切れず、そして今まで聴いた事がない新しい音を作り出される筆致に感動しました。
そして、権代敦彦さんの《時と永遠を結ぶ絃〜ヴァイオリンとオーケストラのための〜》は権代さんの代名詞とも言える1拍子から7拍子へ、またその逆という拍子のエネルギーの増減の巧みさに惹きつけらましたが、その後に来る歌に権代さんの心の内を見る様で感銘を受けました。
他にも松波匠太郎さんの作品《“ABC”の印象〜独奏サクソフォンとオーケストラのための〜》の圧倒的な疾走感も、この時代に貴重な存在だと心に残りました。
小出稚子さんの《オーケストラのためのリヴァーサイド》はとても精緻な美しさがスコアから見出され、この様な音楽を持つ作曲家との出会いを嬉しく思いました。
選考会では多くの議論がなされましたが、所謂、独奏楽器とオーケストラという形態の作品がオーケストラ単独の作品より高い評価を得たと言えます。色々な意見が飛び交う中、最終的に音楽の高い集中力とドラマ性が高い評価を得て、権代さんの作品が選ばれました。また、初演での辻󠄀彩奈さんの独奏、山下一史さん指揮の愛知室内オーケストラのみなさんの演奏がとても素晴らしかった事も特筆すべきことだと思います。
最後に個人的には小栗克裕さんの《独唱と管弦楽ための〜夜〜》について、日本語による歌曲の作曲の在り方としての規範を見せて頂いたと賞賛したいと思います。それを活かすオーケストレーションも素晴らしかったです。
『第72回尾高賞』選考評
片山杜秀
鳥船。人間をつかんで離さないイメージです。アフリカやアメリカや東南アジアなど、世界各地の遺跡にそういう図像が見いだされます。船に鳥が乗っている。あるいは鳥そのものが船に化身する。魚でなく鳥ですから、この船は飛ぶのです。そして鳥船の図像が見つかる遺跡とはたいていお墓でしょう。つまり天上と地上を結ぶ船が鳥船なのです。仏教の浄土教系の教えでも、臨終のときに、その亡くなる人が阿弥陀仏を篤く信じていると、天から阿弥陀仏の使いが舞い降りてきて極楽に往生させてくれるというイメージが語り伝えられるのですが、阿弥陀仏の使いは一種の船に乗っているのでしょうから、鳥船のヴァリエーションではないでしょうか。宗教の違いを超えて、天から使いが降りてきて死者の魂を地から天に連れてゆくというのは人間の常なる憧憬なのです。権代さんの新しいヴァイオリン協奏曲はまさに鳥船だと思いました。何しろ《時と永遠を結ぶ絃》です。時も永遠も時の一種でしょう。が、この場合の時は、数えられてしかも不可逆的な時、すなわち人間の日常の時間、誕生から死に向かってゆく時間のことでしょう。一方、永遠は、数えられないうえに可逆的というか、過去も現在も未来も一体になっている時でしょう。カウントを超越しているのです。言わば神の時間です。それを繋ぐのが絃だという。むろんヴァイオリン独奏のことでしょう。
曲はピッコロ2本の高音域での絡み合いで始まります。日本の古式ゆかしい神楽の笛のよう。そこから日本神話の天鳥船、つまり高天原と地上を連絡する鳥と神と船を複合させたイメージが想起されもするのですが、その2本のピッコロはファ・ソ・ラと音高を上げてゆき、シに極まる。このシの音を独奏ヴァイオリンが引き取って、執拗に高いシを奏で続ける。シが曲全体を支配する音程だと決まってくる。そこからヴァイオリンは次第に降りてくる。天上から地上の方へ。それに連れてだんだん音楽が人間化してきます。歌が発生してくる。後期ロマン派の身振りがさかんに出てくる。人間が地上で生き、ついに死ぬ。喜怒哀楽がある。愛別離苦がある。それを音楽として担保するのは絃の歌。人の一生を走馬灯のようにわれわれは聴き取るのです。そのドラマの背後で、打楽器が一定の時をさかんに刻んでいるのも大切な仕掛けでしょう。それは人間的時間の宿命的不可逆性を忘れるな、その果ての死を忘れるなと、われわれに喚起し続けるでしょう。独奏ヴァイオリンは神の使いであり、ということは天使であり、鳥であり、船であり、人間の生き死にと共感共苦し、歌い続ける。そしてコラールの旋律の高まりとともに、魂は天に運ばれてゆくのでしょう。
ベルクのヴァイオリン協奏曲? 当然、そういう連想も働きます。しかし、神なき時代の悩める典型的近代人のベルクと違って、権代さんは超近代人だと思うのです。強い信仰の人。カトリックの信徒です。決して悲観主義ではない。肯定があり、楽観があり、光がある。独奏ヴァイオリンは神の使いであり、ということは天使であり、鳥であり、船であり、人間の生き死にと共感共苦し、地上から離れた魂を天に運んで、高いシに戻って終わる。なぜシなのか。そこに信仰深き権代さんならではの深い含蓄があるのではないでしょうか。シはドから数えて7番目。7はキリスト教では完全を表します。神は三位一体だから3、人間は春夏秋冬や東西南北と結びついて4。合わせて7。これで全部。その7に支配された音楽が悲観的であるはずがないのです。鳥船は絶対に魂を天国に運んでくれるのです。
そんな権代さんの世界観がひとつ描き切られているのが《時と永遠を結ぶ絃》だと思います。しかも権代さんならでは。息が長い。切れ目なく30分以上。この持続力は日本人離れしている。同じカトリックのメシアンも執拗ですが、権代さんも優るとも劣りません。ヴァイオリン協奏曲の名作の誕生です。
岸野末利加《インフィニティ (∞)》、小出稚子《オーケストラのためのリヴァーサイド》、坂田直樹《ピアノとオーケストラのための水の鏡》、山内雅弘《螺旋の記憶Ⅲ》も素晴らしかったと付け加えます。