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[SPOTLIGHT]インタビュー|井上道義(指揮)に聞く 伊福部昭&ショスタコーヴィチ プログラムに思うこと(2022年11月Aプログラム)
公演情報2022年10月28日
2022年11月定期のAプログラムでは井上道義が登壇、得意とする伊福部昭とショスタコーヴィチのプログラムを指揮します。この組み合わせに寄せる思いはどんなものか、またそれぞれの作曲家との関係について、たっぷりとお話を聞きました。
(聞き手・構成:山田治生)
伊福部昭 1955年
―2020年12月の演奏会(ショスタコーヴィチの《交響曲第1番》と伊福部昭の《ピアノと管弦楽のための「リトミカ・オスティナータ」》)に引き続き、今回も伊福部昭&ショスタコーヴィチ・プログラムですね。あのコンサートは本当にあと味のよい結果でした。NHKホールと、ショスタコーヴィチの交響曲の相性はぴったりだと思っています。ショスタコーヴィチだとあのホールもよく鳴ってくれます。そして伊福部さんは『管弦楽法』という本を書いた方で、オーケストラを鳴らすのが上手な人ですが、今度の《シンフォニア・タプカーラ》は実はそれほど鳴る!という作品ではありません。
―伊福部昭さんとの個人的な交流についてお聞きしたいです。
1991年に伊福部さんの《日本組曲》の管弦楽版の初演を振ったときに、いろいろと話をしながら濃厚な時間を過ごしました。リハーサルで、「速すぎる!」「もっと粘って!」「もっと土くさく!」「道義さん、都会っ子すぎる!」といったことをいつも言われました。もっとベタベタした演奏を望んでおられたのですね。今から思えば、あれは伊福部さんとの深いつき合いの時間でした。そのリハーサルで話したことを起点に、今も伊福部さんの曲を振っています。
そのあとも伊福部さんの家に行ったこともありましたが、彼は家の中でも蝶ネクタイをしていました。先生は本質的には蝶ネクタイの人ではなかったのに。彼の音楽にも表れているように、自分には無限大の自信があって、自分の道を歩んでこられて、他人に何を言われても動じない反抗心もあり、特にあの時代のいわゆる「現代音楽」の方向性には不賛成で、そこに未来はないとおっしゃっていました。
彼は、学長(注:東京音楽大学)もしていたから、それを立派に演じていたとも思います。そういう表と裏があるところがショスタコーヴィチと似てると言えると、今僕は思います。

―今回採り上げる《シンフォニア・タプカーラ》について聴きどころを教えてください。
「シンフォニア」とつけられているのは、交響曲(シンフォニー)と呼んでほしくなかったのでしょう。バロックや古典派のシンフォニアのイメージで書いたのでしょうね。第1主題があって、第2主題があって、2つの主題が闘って、というソナタ形式では書かれていません。彼の音楽は、葛藤のドラマではなく、花鳥風月だから。
伊福部さんは、北海道の音更(おとふけ)で育ち、アイヌの人々が身近でした。山田耕作さんや近衛秀麿さんや芥川也寸志さんのようにアカデミックな環境が近くにあったり、文化人がすぐそこにいる環境ではなかったと言えるでしょう。でも、三浦敦史さんをはじめとする数人の親友と、お兄さんがいました。その人たちの助けもありましたが、基本すべてを自分で探して、書籍は外国から自分で取り寄せ、ひとりで学んだ人です。たいへんだったと思います。
ところで、まちがってはいけないのは、彼の音楽には、アイヌの音楽や踊りの影響はそんなにありません。伊福部さん自身が「そうではないよ」と否定されていました。ただ、アイヌの人たちは日常的に踊ること、歌うことが常にあって、そのような形で近かったというだけ。
「タプカーラ」は、タップでもあるようですよ。踊り、足踏み、という意味が。繰り返しが多い曲ですね。伊福部さんの音楽は常に繰り返します。彼の音楽の基本はダンスだとも思います。ゆっくりであれ、激しいものであれ、ダンス! お客さんも、本当は一緒に揺れてほしいと僕は思います。お隣の人に嫌がられてもね。伊福部さんの響きには農業国であった日本の香りがします。農作業も、海の波も、日の昇り沈みも、繰り返しです。
彼の音楽は、そんな風土を遠くから見て、抱擁するように描いている感じさえします。だから、戦後の世界一の工業国を目指していた時代の人々に、恥ずかしい音楽と言われたのだと思います。

ショスタコーヴィチ 1950年
―ショスタコーヴィチにはどんな本質を感じていますか?ショスタコーヴィチは、本当に自分が書きたいことを書いただけ、自分の内面を書いただけでした。みんなが歓喜の交響曲を期待した《第9番》は諧謔的なもので、みんなをがっかりさせたし、《第10番》もお国がほしかった肯定的な作品ではなかった。彼は一生、書きたいことしか書いていないかも。迎合したのは、映画音楽くらい。《交響曲第5番》にしても、内容は恋人への追憶のラブレターとも言えるくらいだから。
―今回演奏するショスタコーヴィチの《交響曲第10番》はどのような作品だとお考えですか?
自己と他者の葛藤を描いたシンフォニーだと思います。第1主題が自己だとしたら第2主題が他者というように、対照的に書かれている。速い第2楽章は、交響曲の中では短くてまったくバランスが悪いけど、あれほど胸がスカッとする曲はないよね。スピード感があって、スポーツをしているみたいな音楽。あれをクルマで聴きながら運転するのは危険です(笑)。彼にとって、この楽章を書くことは、心の開放だったでしょう。第3楽章は、彼のその頃のソヴィエト社会の日常を音楽にしていると思います。第4楽章は追悼の音楽です。戦争で死んだ人たちへの追悼。そして、当時、革命を信じて、ソビエトの相互監視社会体制の中、未来へ向かおうとしていた人たちに対して、その体制を信じる「常識的」な人々への疑問と、戦いに生涯をささげた追悼でもあります。彼の音楽はいつも追悼なんですね。彼の終楽章は常に、勝利したかのように聞こえますが、よく聴けばわかるように勝利の音楽は書かなかった。
《第10番》が書かれたのは1953年です。彼は広島に原子爆弾が落とされたことを知っていたし、当時のソ連が原子爆弾や水素爆弾の開発をしていたことも知っていたので、そういう未来への不安そのものが音楽になっていると思います。

―現在の世界情勢から、今、ショスタコーヴィチを演奏することの意味が問われていますが、どのようにお考えですか?
彼はロシアという大地への愛情は持っていましたが、アンチ・ソビエトでした。チャイコフスキーの《大序曲「1812年」》はフランスに勝って「万歳!」と謳っていますが、ショスタコーヴィチの音楽に「万歳」はありません。
人間は、自分も含めてみんな愚かで、国のため、虐(しいた)げられている人のため、平和のためという錦の御旗のもとで戦争まで転がり落ちてしまう。愚直な小さな善意の集積も間違った方向に寄り集まると、誰も止められないめちゃくちゃなことになってしまう人間の性(さが)を書いたのが《交響曲第7番》でしたし。
また、彼は晩年、《交響曲第13番》、《第14番》で、自分の国がナチスと同じこと(ユダヤ人虐殺)をしていたことをそのまま音楽にして、自分の命を懸けて、誰もが知っていても口にしないことを書きました。ショスタコーヴィチはそういう人だったのです。
公演情報:
第1968回 定期公演 Aプログラム
2022年11月12日(土) 開演6:00pm
2022年11月13日(日) 開演2:00pm
NHKホール
伊福部 昭/シンフォニア・タプカーラ
ショスタコーヴィチ/交響曲 第10番 ホ短調 作品93
指揮:井上道義

指揮:井上道義
1946年東京生まれ。桐朋学園大学にて齋藤秀雄に師事。1971年ミラノ・スカラ座主催グィド・カンテルリ指揮者コンクールで優勝し、世界的な活躍を開始した。国内では、新日本フィルハーモニー交響楽団音楽監督、京都市交響楽団音楽監督、大阪フィルハーモニー交響楽団首席指揮者、オーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督(現・桂冠指揮者)を歴任。海外では、シカゴ交響楽団、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団などの著名楽団と共演を重ね、ニュージーランド国立交響楽団首席客演指揮者も務めた。2007年には日露5つの楽団とともに「日露友好ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト」を実施して大成功を収めた。2014年4月、病に倒れるも、同年10月に復帰。2015年と2020年に野田秀樹演出《フィガロの結婚》、2017年に大阪国際フェスティバルでバーンスタイン《ミサ》、2019年に森山開次演出《ドン・ジョヴァンニ》の総監督として唯一無二の舞台を創造した。だが昨年11月、自身のブログで2024年末での引退を宣言。今後は毎回がより貴重な演奏となる。N響では1978年5月の初共演以来、海外での演奏を含む70公演以上を指揮。今年のN響「第9」にも登壇予定だ。得意とする伊福部昭、ショスタコーヴィチの傑作交響作品が並んだ今回のプログラムには、ひときわ大きな期待が集まる。
[柴田克彦/音楽評論家]
1946年東京生まれ。桐朋学園大学にて齋藤秀雄に師事。1971年ミラノ・スカラ座主催グィド・カンテルリ指揮者コンクールで優勝し、世界的な活躍を開始した。国内では、新日本フィルハーモニー交響楽団音楽監督、京都市交響楽団音楽監督、大阪フィルハーモニー交響楽団首席指揮者、オーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督(現・桂冠指揮者)を歴任。海外では、シカゴ交響楽団、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団などの著名楽団と共演を重ね、ニュージーランド国立交響楽団首席客演指揮者も務めた。2007年には日露5つの楽団とともに「日露友好ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト」を実施して大成功を収めた。2014年4月、病に倒れるも、同年10月に復帰。2015年と2020年に野田秀樹演出《フィガロの結婚》、2017年に大阪国際フェスティバルでバーンスタイン《ミサ》、2019年に森山開次演出《ドン・ジョヴァンニ》の総監督として唯一無二の舞台を創造した。だが昨年11月、自身のブログで2024年末での引退を宣言。今後は毎回がより貴重な演奏となる。N響では1978年5月の初共演以来、海外での演奏を含む70公演以上を指揮。今年のN響「第9」にも登壇予定だ。得意とする伊福部昭、ショスタコーヴィチの傑作交響作品が並んだ今回のプログラムには、ひときわ大きな期待が集まる。
[柴田克彦/音楽評論家]