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第2063回 定期公演 Bプログラム

サントリーホール
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※約2時間の公演となります(休憩20分あり)。
※やむを得ない理由で出演者や曲目等が変更となる場合や、公演が中止となる場合がございます。公演中止の場合をのぞき、チケット代金の払い戻しはいたしません。

ABOUT THIS CONCERT特徴

2026年5月Bプログラム 聴きどころ

4曲とも1930年代の半ばから末までのほんの何年かの産物だ。しかも日独の作品だけ。2人の日本人作曲家は、マーラー門下のユダヤ人でナチの台頭もあって日本に活路を求めたプリングスハイムの弟子。作品の中身はというと、山田はマーラー、須賀田はヒンデミットに近しい。ハルトマンの作風もヒンデミットとつながるところがある。むろんファシズム、全体主義、軍国主義の影が4人を覆ってもいる。戦前・戦中を感ずるプログラムである。

(片山杜秀)

PROGRAM曲目

― N響100年特別企画「邦人作曲家シリーズ」 ―

山田一雄/小交響詩「若者のうたへる歌」

1932年2月27日、上野の東京音楽学校(現東京藝術大学音楽学部)の奏楽堂で、マーラーの《交響曲第5番》の日本初演が行われた。世界大恐慌が発生して4年目。満洲事変の5か月後。財界の巨頭、團琢磨が右翼青年に東京の日本橋で暗殺される7日前。演奏したのは同校の教官や学生に軍楽隊員らの加わったオーケストラ。指揮はクラウス・プリングスハイム。マーラーの門下生で、師匠のアシスタントも務め、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を振ってマーラーの交響曲の連続演奏会をしたこともある。そんな大物がナチスの台頭もあってドイツに居づらくなり、上野の教官に招かれて1931年に来日。マーラーを作曲者直伝の解釈で紹介しだした。その2月27日の上野の客席でマーラーに取り憑(つ)かれた青年がいた。東京音楽学校のまだ予科の生徒だった山田一雄(当時は和男、1912~1991)である。やがてプリングスハイムに師事するようになり、マーラーやリヒャルト・シュトラウス、さらにその次世代のヒンデミットらの新古典的音楽も叩(たた)き込まれた。ラヴェルやバルトーク、あるいは半音階的な表現主義音楽にも興味を持った。
大管弦楽のための《小交響詩「若者のうたへる歌」》はマーラーとの出会いから5年後の1937年に完成。タイトルはマーラーの《さすらう若者の歌》を意識していよう。山田はこの曲を「青春の光と影」を表した日記風のものと述べている。当時の山田は音楽的には後期ロマン派と新古典主義の中で煩悶(はんもん)し、政治的には東京の富裕な知識層の家に育った青年らしくミリタリズムに反発していた。そういう屈折したさまよい人の感覚がそのまま曲になっている。音楽は自由に歪(ゆが)められた一種のソナタ形式ともみなせよう。奇妙に陽気な導入のあと、2つのテーマを共にイングリッシュ・ホルンが示す。第1主題は短調で「ミファソー、ファミファー」と動く感傷的で民謡調に振れる歌。第2主題はタンブリンを伴って提示される異国への憧れを搔(か)き立てるような歌。それからおもに第1主題が、ついでおもに第2主題が、どちらもかなりマーラー風に展開され、そのあと2つの主題が再現されて、最後はアルト・サクソフォーンが第1主題を秘めやかに回想し、若者は暗い時代の彼方へと消えてゆく。
山田はその後、作曲よりも指揮に傾斜。ローゼンストックに学んで、戦中・戦後の日本交響楽団(後のNHK交響楽団)を尾高尚忠とともに牽引(けんいん)した。最後にN響定期を振ったのは1985年。演目はマーラーの《交響曲第5番》だった。

(片山杜秀)

演奏時間:約11分
作曲年代:1937年
初演:1938年2月25日、日本青年館(東京の神宮外苑)、ジョセフ・ローゼンストック指揮、新交響楽団(現NHK交響楽団)

ハルトマン/葬送協奏曲*

第1次世界大戦末期、ドイツ帝国は内部から瓦解していった。バイエルンでも大戦が休戦に至る寸前の1918年11月7日に革命が起き、翌日、バイエルン共和国の成立が宣言された。その日からバイエルンでも、ドイツの他の多くの地域と同様に、その後の政治・経済体制を巡って、資本主義・自由主義的勢力と社会主義・共産主義的勢力が争った。むろん中間派も多数いた。そして1919年4月、共和国の実権を急進左派が握る。まずはドイツ独立社会民主党、ついでドイツ共産党だ。後者には革命進行中のロシアからレーニンの応援もあった。しかしベルリンの中央政府の軍隊によって共産党政府はたちまち崩壊した。ミュンヘンっ子、カール・アマデウス・ハルトマン(1905~1963)はこの頃10代前半。社会主義に未来の理想を見いだし、その道を潰した保守や右翼に怒りを覚えた。生涯に及ぶ思想につながった。その後、作曲家への道を歩んだハルトマンは、レーガー門下のヨーゼフ・ハースに師事し、新古典的・対位法的でフーガやカノンを好む作風を身に着けてゆく。その意味で、やはりレーガーの流れを汲(く)むヒンデミットに近いところがかなりある。が、ヒンデミットと異なるのはハルトマンの音楽が激情的身振りに富んでいることだ。少なくともナチ時代までのハルトマンは政治と音楽を分けられず、左翼への好意と保守・右翼への敵愾心(てきがいしん)が、作品にどうしても血の気を多くした。そんな彼は、ヒトラーが左翼を駆逐して独裁国家を打ち立てても、国外に亡命しなかった。ミュンヘンにとどまり、活動を制限された音楽家として、ナチ時代を生きのびた。それでも国外で作品を発表する機会はなくはなかった。
《葬送協奏曲》は1940年にスイスで初演。第2次世界大戦が始まって2年目。作曲家の説明に従えば、中に挟まれたアダージョとアレグロの2つの楽章は人間精神を絶望に追い込む同時代の状況を表し、冒頭と最後に置かれたコラールの楽章は逆に希望の音楽だという。第1楽章のコラールの旋律は、15世紀にチェコ人が神聖ローマ帝国やカトリック教会に対して自由を求めて抵抗した際の団結心を象徴した《汝(なんじ)ら神の戦士》、第4楽章のそれは、日本では大正・昭和初期から《葬式の歌》や《同志は倒れぬ》の名で知られたロシアの革命歌に基づく。新旧の希望の革命歌で絶望的現状を挟撃する趣向だろう。曲名は世界的に歌われていたロシアの革命歌の方と特に結びついていよう。仲間が倒れても倒れても、犠牲を踏み越えた先にファシズムは必ず打倒される。だから葬送は希望に転化するのだ。なお、このヴァイオリンと弦楽のための協奏曲は1959年に改訂され、それが現行版である。

(片山杜秀)

演奏時間:約20分
作曲年代:1939年(1959年改訂)
初演:[初演]1940年2月29日、ザンクト・ガレンにて、エルンスト・クルーク指揮、カール・ネラッハー独奏、ザンクト・ガレン室内管弦楽団 [改訂初演]1959年、ブラウンシュヴァイクにて、ハインツ・ツェーベ指揮、ウォルフガング・マルシュナー独奏、ブラウンシュヴァイク州立歌劇場管弦楽団

須賀田礒太郎/交響的序曲 作品6

クラウス・プリングスハイムは山田一雄という「マーラーの使徒」を生み出した。しかし、このマーラーの弟子は1930年代の日本の若い作曲家たちに師匠の流儀をなぞるように勧めていたわけでは決してなかった。第1次世界大戦後の新古典主義の潮流、ヒンデミットやクルト・ワイルに同時代性を感じ、その延長線上に音楽の未来を見ていた。プリングスハイムは東京音楽学校の生徒に限らず、個人的に弟子を取っては自宅でレッスンした。その中に須賀田礒太郎(いそたろう)(1907~1952)が居た。須賀田は横浜の資産家の子で、西洋音楽に早くから親しみ、ヴァイオリンやピアノの稽古に励んでいたが、中学のとき、結核と診断され、自宅での療養生活に入った。静養しながら家で出来ることはないか。作曲はどうだろう? 生活には困らない身の上だ。どうせなら管弦楽作家を目指そう。須賀田は小康を得ると、山田耕筰や信時潔や菅原明朗や近衛秀麿の門をたたいた。ドビュッシーやストラヴィンスキーに憧れた。1933年からはプリングスハイムに長く習った。そこでヒンデミットを教えられた。須賀田の学習ノートには特に《交響曲「画家マチス」》を研究した形跡が残る。その学習の産物が《交響的序曲》であり、その続きが《フィルハーモニー交響曲》(1942)になる。《交響的序曲》は《興亜序曲》とも題されていた。日本放送協会が主催し、山田耕筰、諸井三郎、橋本國彦らが審査した「皇紀二千六百年奉祝管弦楽懸賞」の「序曲の部」に早坂文雄の《序曲ニ調》と共に入賞。1940(皇紀2600)年の「紀元節」の日に放送で初演された。以後、敗戦まで、日本放送協会は須賀田に管弦楽作品を次々と委嘱してゆく。
《交響的序曲》は3部形式の序奏的前半と、ソナタ形式を踏まえた主部的アレグロの後半から成る。冒頭に現れる全曲の基本主題は伊沢修二作曲の唱歌《紀元節》の変形ともみなせよう。後半は基本主題から派生した2つの動機による二重フーガでピークを作り、そのあと基本主題による勝利の讃歌で結ぶ。旋法的旋律性、5度や4度に基づく和声、フーガを頂点とするポリフォニーへの志向。ヒンデミット趣味全開の音楽である。

(片山杜秀)

演奏時間:約16分
作曲年代:1939年(12月10日完成)
初演:1940年2月11日、東京にて、山田耕筰指揮、日本放送交響楽団(当時の新交響楽団、現NHK交響楽団が日本放送協会の番組に出演する際、用いていた名称)

ヒンデミット/交響曲「画家マチス」

タイトルの画家マチスとは1470年代に生まれ、1528年に逝ったドイツの画家、マティアス・グリューネヴァルトを指す。独仏の文化の混淆(こんこう)するアルザス地方のイーゼンハイムの修道院のための祭壇画が代表作だ。パウル・ヒンデミット(1895~1963)は、ナチの政権獲得直後の1933年6月に、グリューネヴァルトを主人公とするオペラの作曲に取り掛かったようだ。その前のヒンデミットのオペラと言えば1929年の《今日のニュース》。モダンで享楽的な市民生活に材を取った。ジャズの要素もちりばめられる。戦間期の新古典主義のひとつの行き方だ。しかし時はたちまち移ろう。1929年には世界大恐慌が始まる。ドイツにも失業者が溢(あふ)れる。既成政党の無策を批判するナチが台頭。左翼のハルトマンは激昂(げきこう)するがヒンデミットはそうでもない。彼はその頃、ドイツの古楽に関心を寄せていた。変奏曲やフーガを愛好した近代の巨匠、レーガーを経て、バッハから更に古くに遡り、ルター派のコラールや中世の聖歌に至る。ヒンデミットの新古典主義は都会的モダニズムと縁をきって、新バッハ主義というか、古風な旋律のポリフォニックな処理に精魂を傾ける。そこでオペラの題材も現代生活からグリューネヴァルトに変ずる。その画家はルターやトーマス・ミュンツァーと同時代人。プロテスタントが登場し、ドイツ語の讃美歌が現れる。そういう旋律をポスト・バッハ的に処理したいのがヒンデミット。その夢をグランド・オペラで試すのには、古風な宗教画のヴィジョンと古風な讃美歌のメロディとを自然に掛け合わせられるグリューネヴァルトの世界が恰好(かっこう)だ。作曲家は自分で台本を書いた。何しろナチは右翼だ。復古調だ。ヒンデミットも古風にやりたい。ナチと上手くやれるのではないか。ヒンデミットは楽観していた。オペラに先んじて、その中の器楽の部分を撚(よ)り合わせた交響曲を先に完成。1934年に発表する。が、それをナチはじわじわと攻撃した。《今日のニュース》のような〝不真面目な音楽〟を書いていたヒンデミットがたとえ作風を変えようとナチ時代の文化の担い手になることはありえなかったのだ。オペラ《画家マチス》のドイツでの初演は許されない。ヒンデミットは祖国に居場所を失い、スイスを経て米国へ行く。
さて、交響曲は3楽章から成り、いずれもグリューネヴァルトの祭壇画から霊感を享けている。第1楽章〈天使の合奏〉。天使が聖母と救い主のために奏楽する祭壇画に基づく。トロンボーンは古い讃美歌《3人の天使が歌っていた》を吹く。第2楽章〈埋葬〉。キリストの埋葬を描く祭壇画に基づく。第3楽章〈聖アントニウスの試練〉。動乱の時代の中で魑魅魍魎(ちみもうりょう)に誘惑され惑う画家はその果てに悟りを得る。グレゴリオ聖歌の引用で擬古調は極まり、壮麗に結ぶ。

(片山杜秀)

演奏時間:約28分
作曲年代:1933~1934年
初演:[世界初演]1934年3月12日、ベルリンにて、ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 [日本初演]1936年6月24日、日比谷公会堂にて、齋藤秀雄指揮、新交響楽団(現NHK交響楽団)

ARTISTS出演者

山田和樹さんの画像 指揮山田和樹

1979年生まれ、現在40代後半にある山田和樹は、昨年のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめとして、ここのところ世界の名門オケへのデビューを次々果たすなど、国際舞台での活躍がめざましい。2009年のブザンソン国際指揮者コンクールでの優勝を出発点に、2012年から2018年までスイス・ロマンド管弦楽団首席客演指揮者を務め、2016年からはモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団芸術監督兼音楽監督として同団の発展に寄与、2023年にはバーミンガム市交響楽団首席指揮者に就任して翌年には音楽監督に昇格するとともに、今秋にはベルリン・ドイツ交響楽団首席指揮者兼芸術監督にも就任する。そうしたキャリアからみても、今や彼は“世界のヤマダ”と呼ばれるに相応しいといえよう。一方でこれまで、日本のいくつかの楽団のポストも歴任、現在も東京混声合唱団の音楽監督兼理事長や横浜シンフォニエッタの音楽監督を務めるほか、今年4月には東京芸術劇場の音楽部門芸術監督に就任するなど、国内でも重職を担っている。
彼は作品に対するフレッシュなアプローチとともにプログラミングの拘(こだわ)りでも知られ、今回のN響定期でも第2次大戦前夜の日本とドイツの作品を並べた点に今日の時代に向けてのメッセージ性が窺(うかが)える。各作品が映し出す世相、各作品に込められた作曲家の思いを彼がどのように表わし出すのか、じっくり耳を傾けたい。

[寺西基之/音楽評論家]

キム・スーヤン*さんの画像 ヴァイオリンキム・スーヤン*

韓国にルーツを持つドイツ、ミュンスター生まれのヴァイオリニスト、キム・スーヤンは、ソロ、室内楽、オーケストラの領域で幅広く活躍し、2018年からはベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団の第1コンサートマスターの重責を担っている。
ミュンヘン音楽演劇大学とクロンベルク・アカデミーで名教師、アナ・チュマチェンコの薫陶を受けたキムは、2009年のエリーザベト王妃国際音楽コンクールで4位入賞を果たし、国際的にその名が知られるようになった。
今回の定期公演がNHK交響楽団へのデビューとなるキムだが、指揮者の山田和樹とはスイスの小澤征爾国際アカデミーで親交を深め、2025年には山田が音楽監督を務めるバーミンガム市交響楽団とメンデルスゾーンの協奏曲を共演するなど、互いの音楽性をよく知る関係にある。
ハルトマンの《葬送協奏曲》は、2004年にレコーディングも行っている、キムが得意とする作品のひとつ。ソリストとオーケストラが渾然(こんぜん)一体となってファシズムの暴力を告発する衝撃作を、キムは芯の通った力強い演奏で、現代に鋭く結びつけてくれるだろう。

[八木宏之/音楽評論家]

TICKETチケット

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1回券発売開始日

定期会員先行発売日:2026年2月19日(木)10:00am
定期会員について

一般発売日:2026年2月23日(月・祝)10:00am

チケット購入

料金

S席 A席 B席 C席 D席
一般 12,000円 10,000円 8,000円 6,500円 5,500円
ユースチケット 6,000円 5,000円 4,000円 3,250円 2,750円

※価格は税込です。
※定期会員の方は一般料金の10%割引となります。また、先行発売をご利用いただけます(取り扱いはWEBチケットN響・N響ガイドのみ)。
※この公演のお取り扱いは、WEBチケットN響およびN響ガイドのみです。
※車いす席についてはN響ガイドへお問い合わせください。
※券種により1回券のご用意ができない場合があります。
※当日券販売についてはこちらをご覧ください。
※未就学児のご入場はお断りしています。

ユースチケット

29歳以下の方へのお得なチケットです。
(要登録)

定期会員券
発売開始日

年間会員券
2025年7月13日(日)10:00am
[定期会員先行発売日: 2025年7月6日(日)10:00am

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主催:NHK / NHK交響楽団

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