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【訃報】NHK交響楽団 正指揮者 外山雄三氏

お知らせ2023年7月14日

NHK交響楽団 正指揮者の外山雄三氏は、2023年7月11日、慢性腎臓病のため長野県の自宅で逝去されました。享年92。

「音楽とともに:外山雄三の世界」で指揮を務める外山雄三氏(2012年7月4日、サントリーホールにて)

「音楽とともに:外山雄三の世界」で指揮を務める外山雄三氏(2012年7月4日、サントリーホールにて)


外山氏は1931年、東京都の出身。当時のN響事務長・有馬大五郎の「作曲家としてオーケストラ曲が書けるようになるためにはオーケストラをよく知らなければいけない」という配慮のもと、1952年に東京藝術大学作曲科卒業と同時にN響の“打楽器練習員”となります。そこでN響との関わりを持ち始め、歴代の常任指揮者や先輩楽員たちにオーケストラの手ほどきを受けます。1954年には故・岩城宏之氏とともに指揮研究員となり、1956年、ベートーヴェン《交響曲第5番》などを振って、25歳にしてN響で指揮者デビュー。1958年から1960年にかけてウィーンに留学し、さらなる研鑽に励みます。

若き日の外山雄三氏
若き日の外山雄三氏


1960年秋に行われたN響世界一周演奏旅行では、岩城宏之氏とともに多くの公演で指揮を務めて世界の檜舞台に立つ一方、このツアーのアンコールで演奏するために作曲した、日本民謡に基づく《管弦楽のためのラプソディー》は各地の聴衆に熱狂的に迎えられ、作曲家としての名声も高まりました。その後も1964年のアジア・オセアニア、1966年の中南米、1979年のアジア・オセアニアでの外国公演を指揮。1985年の北米公演ではニューヨークで開催された国連40周年記念コンサートを指揮し、以後も1991年の韓国公演を指揮するなど、N響の海外での活躍の一翼を担いました。

国連40周年記念コンサート(1985年10月25日、ニューヨーク・国連本部総会会議場にて)

国連40周年記念コンサート(1985年10月25日、ニューヨーク・国連本部総会会議場にて)
国連40周年記念コンサート(1985年10月25日、ニューヨーク・国連本部総会会議場にて)


1979年にはNHK交響楽団正指揮者に就任。定期公演や日本各地での公演でたびたび指揮台に立ち、同時代作品を積極的に初演したり、N響が制定する作曲賞「尾高賞」選考委員も務めるなど、現代音楽の振興にも熱心に取り組みました。

正指揮者称号贈呈式(1979年2月1日、高輪演奏所にて)2枚目写真は左から外山雄三氏、同時に正指揮者に就任した森正氏、そしてN響副理事長𠮷田行範氏
正指揮者称号贈呈式(1979年2月1日、高輪演奏所にて)
2枚目写真は左から外山雄三氏、同時に正指揮者に就任した森正氏、そしてN響理事長𠮷田行範氏


N響以外でも大阪フィルハーモニー交響楽団、京都市交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団、仙台フィルハーモニー管弦楽団で要職を務めたのをはじめ、日本国内のプロ・オーケストラを数多く指揮してその育成に力を尽くします。また彼に教えを受けた次世代の指揮者たちは、今や指導的な立場となり、日本のオーケストラ界の底上げに大きな役割を果したという意味でも、外山氏の貢献は計り知れません。

1964年に《ヴァイオリン協奏曲》、2000年に《交響曲第2番》と、自身の作品で尾高賞を受賞。1981年に第1回有馬賞、1983年に第14回サントリー音楽賞、1999年文部大臣表彰、2010年度日本放送協会放送文化賞を受賞。

外山氏のリハーサルは厳格なことで知られ、時にオーケストラのメンバーは彼に畏怖の念を覚えることもあったようですが、その背後に音楽への限りない愛情と、クラシック音楽発展のための揺るがぬ決意があることを誰もが知っており、大きな尊敬を集めていました。

ここに生前の外山氏のN響および日本クラシック音楽界への貢献に対し心からの感謝を、そして哀悼の意を表します。



公益財団法人 NHK交響楽団

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