日本近代音楽史、とくにオーケストラの発展史に深い知見をもつ音楽評論家の岩野裕一さんが、第2次世界大戦後、現在までのN響の歴史を時代・社会・世相などの背景とともに振り返ります。
コロナ禍の混乱と新たな才能との出会い
コロナ禍による活動中止(2020)
NHK交響楽団と首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィが、マエストロの故郷であるエストニアの首都タリンをはじめ、ロンドン、パリ、ウィーン、アムステルダム、ベルリンなど7か国9都市を巡るヨーロッパ公演に出発したのは、2020年2月18日のことだった。その渡欧前にパーヴォが東京で指揮した2月定期は、2月5・6日のBプログラムがラフマニノフの《交響曲第2番》、2月15・16日のAプログラムがブルックナーの《交響曲第7番》をメインにしたもので、ヨーロッパ公演でもこれらの曲目を披露している。
一方、新型コロナウイルスをめぐる状況が一気に深刻化してきたのもこの時期で、2月13日には日本国内で初めて死亡例が報告されるなど、感染者や重症者が急増していく。2月26日、安倍晋三首相(当時)が感染拡大防止のため「多数の方が集まるような全国的なスポーツ、文化イベント等については、大規模な感染リスクがあることを勘案し、今後2週間は、中止、延期又は規模縮小等の対応を要請することといたします」と発表。これを受けて、2月28日に読売日本交響楽団が定期演奏会を中止したのを皮切りに、国内のオーケストラは相次いで公演中止や無観客での開催に追い込まれた。
その間、欧州各国でも感染拡大が続く中で、N響が3月4日のブリュッセル公演まで順調にツアーを続けることができたのは、いま振り返れば奇跡的なことだった。だが、帰国後の日本国内の状況はさらに悪化しており、N響の場合、出演予定だった3月13日の第95回放送記念日式典、14日のオーチャード定期、17日の都民芸術フェスティバルがいずれも中止となっている。
この間、政府の要請を受けて3月2日からは全国の小中高校が臨時休校となり、4月7日には「緊急事態宣言」が大都市圏を中心に発令される状況にあって、NHK交響楽団は4月から6月までの定期公演をすべて中止する決断を下す。これだけ長期にわたる中断は、大戦末期の1945(昭和20)年3月、東京大空襲の直後でも定期公演を取りやめなかったN響の歴史上、実に初めての出来事であった。
そこまでしなければならなかったのは、この時点で感染のメカニズムなどが解明されていない未知のウイルスであり、ホールに集う聴衆だけでなく、舞台上で密に接近して演奏しなければならない楽団員同士の感染を防ぐ意味合いも大きかったが、「水際対策」として海外からの指揮者やソリストが出入国できない、あるいは長期間(最長で14日間)の隔離を求められたということも、定期公演の継続を困難にする要因だった。
この年度だけで3回にわたり来日中止を余儀なくされた首席指揮者のパーヴォ・ヤルヴィや、4月定期に出演予定だったレナード・スラットキンをはじめ、2020年4月から翌2021年3月までにN響との共演が予定されながら来日できなかった指揮者は、マレク・ヤノフスキ、ロバート・スパーノ、ユッカ・ペッカ・サラステ、ケント・ナガノ、ジャン・リュック・タンゴー、クラウス・マケラ、ヘルベルト・ブロムシュテット、ダーヴィト・アフカム、マイケル・ティルソン・トーマス、アレクサンドル・ヴェデルニコフ、ハンヌ・リントゥ、ウラディーミル・フェドセーエフ、ベルトラン・ド・ビリー、トゥガン・ソヒエフの計16名、ソリストと団体は34にのぼった。
公演再開へ向けた奔走(2020)
オーケストラにとってより深刻だったのは、管楽器を演奏する際に生じる飛沫や唾液による感染が懸念されたことである。演奏時の感染防止や安全確保についてのデータが全くない中で、一般社団法人クラシック音楽事業協会、公益社団法人日本オーケストラ連盟、公益社団法人日本演奏連盟や全国の音楽ホールなどが、新型コロナウイルス感染症に対処した形での公演再開、継続をめざして「クラシック音楽公演運営推進協議会」を立ち上げ、文化庁の支援のもと、研究機関の協力を得てさまざまな実験や測定を行った。
とくにNHK交響楽団は、公共放送であるNHKとの密接な関わりの中で、同様の問題が生じていた放送の現場との連携が進んでいたことから、オーケストラにおけるソーシャルディスタンス(奏者の間隔)や、奏者と客席との距離、管楽器から出るドレン(水滴)の適切な処理、聴衆の適切な間隔、演奏会場内の換気の徹底など、さまざまなガイドラインの策定において、主導的な役割を担ったのである。2020年7月には、N響の楽団員が多数参加し、長野県茅野市にある新日本空調株式会社の技術開発研究所に設置されていた高清浄度実験室(クリーンルーム)で、飛沫感染リスクを検証する実験が行われた。そこで得られた貴重なデータは、その後、日本国内のみならず、世界各地のオーケストラで活用されることとなる。
こうした実験や各種の研究成果、さらに当局からの要請を踏まえ、協議会は「クラシック音楽公演における新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン」を策定し、状況の変化に応じて改訂を重ねた。公演主催者はこのガイドラインに沿って、観客、出演者、スタッフそれぞれの感染防止に細心の注意を払いながら、手探りでコンサートを再開していったのである。
この年、N響は定期公演以外にも、東京・春・音楽祭のワーグナー《トリスタンとイゾルデ》が中止となったほか、Music Tomorrow 2020、特別公演「箱舟」(イェルク・ヴィトマン作曲)、N響ほっとコンサート、NHK音楽祭などを取りやめざるを得なかったが、コロナ感染拡大後の最初の公演は、2020年7月17日にNHKホールで無観客の形で開催した「N響 希望のコンサート」であった。若手指揮者の熊倉優が、モーツァルト《ディヴェルティメント 変ロ長調 K. 270》、ワーグナー《ジークフリートの牧歌》、ベートーヴェン《交響曲第1番》を指揮して、NHK FMでの生放送と録画収録を行った。この日、久しぶりに同僚と再会し、ホールに鳴り響くN響の音を聴いて、涙を流す楽団員の姿もあったという。弦楽器奏者は1.5メートル、管楽器奏者は2メートルのソーシャルディスタンスをとり、1st Vn. 8-2nd Vn. 7-Va. 6-Vc. 4-Cb. 2の小編成のオーケストラが、舞台いっぱいに広がっての演奏は、テレビドキュメンタリーとして放送されたが、舞台上で何度も配置を変えながら入念にリハーサルを重ねる楽団員とスタッフが奮闘する姿は、胸に迫るものがあった。8月2日には、広いNHKホールで500名に限定した観客を迎えて開催した「N響・夏のフレッシュコンサート~音楽でふれあおう~」で、サン・サーンスの《組曲「動物の謝肉祭」》など、小編成でも楽しめる作品を集めて沖澤のどかが指揮。コロナの制約を逆手にとった試みであり、聴衆からも好評を得ている。
日本人指揮者の奮闘(2020-2021)
そしてN響は、2020年9月から始まるシーズンの定期公演についても、翌年6月まですべての中止を決定。定期公演に代わる「特別公演」を、NHKホール、サントリーホール、東京芸術劇場で1年間にわたって開催することとした。定期公演の中止と特別公演の開催という異例の措置は、出演を予定していた海外のアーティストがほとんど来日できないため、通常の定期公演の形ではなく、オーケストラはなるべく小編成とし、聴衆も間隔を置いて着席できるように販売を制限するなど、なんとか生の音楽を届けようと議論を重ねた結果であった。
この27プログラム・54公演にわたる特別公演に出演した指揮者は、2021年1月のファンホ・メナ、6月のパーヴォ・ヤルヴィを除いていずれも日本人であり、山田和樹、広上淳一、下野竜也、鈴木雅明、熊倉優、原田慶太楼、井上道義、秋山和慶、沼尻竜典、鈴木優人、尾高忠明、三ツ橋敬子、大植英次が相次いで指揮台に立った。N響の主催公演に日本人指揮者がこれほど集中して登場したのは、空前のことであった。
この特別公演の試みは、決してネガティブなものではなく、N響はこの機会だからこそできるチャレンジをしっかりと行っている。
たとえば2020年10月には、ブロムシュテットが定期公演の中止決定後も出演を模索して、特別公演用のコンパクトなプログラムも用意したが、来日の希望が叶わず断念。代わって3公演すべての指揮を受け持った鈴木雅明は、ブロムシュテットが指揮する予定だった演目をそのまま受け継いだだけでなく、楽器編成の関係でどうしても出演機会が少なくなりがちだった金管奏者のために、「こういうときでなければできない曲をやりましょう」と提案。N響芸術主幹の西川彰一と協議の結果、10月22・23日の東京芸術劇場公演では、当初の北欧プログラム、ラーションの《サクソフォーン協奏曲》(サクソフォーン:須川展也)とベルワルドの《交響曲第4番「ナイーヴ」》に先立って、武満徹が金管アンサンブルのために作曲した《デイ・シグナル》、《ガーデン・レイン》、《ナイト・シグナル》が演奏されたのである。
このほかにも、ショスタコーヴィチの《交響曲第1番》、伊福部昭の《ピアノと管弦楽のための「リトミカ・オスティナータ」》(ピアノ:松田華音)と《日本狂詩曲》で熱い演奏を聴かせた井上道義(12月NHKホール公演)や、オール・ベートーヴェン・プログラムながら、《エグモント序曲》、マーラー編の弦楽合奏版《セリオーソ》を前半に配し、メインには諏訪内晶子をソリストに迎えての《ヴァイオリン協奏曲》という秋山和慶のこだわりのプログラム(12月東京芸術劇場公演)など、コロナ禍にあっても最善を尽くそうと努力したN響と音楽家の気概は、間隔の空いた客席で熱心に聴き入る聴衆にも、テレビやラジオを通じて演奏に接する人々にも、ひしひしと伝わってきた。
2020年12月の「第9公演」は、14日間の隔離を受け入れたパブロ・エラス・カサドが久しぶりの外国人マエストロとして登場。この年、全国各地で演奏された「第9」では、コロナ対応で開発された合唱用マスク――鼻から口、のどまで覆い隠すもの――を着用して歌ったり、換気や送風装置を増設して歌われることも多かったが、N響では日本人ソリスト(ソプラノ:髙橋絵理、メゾ・ソプラノ:加納悦子、テノール:宮里直樹、バリトン:谷口伸)と、40名に絞った新国立劇場合唱団が、いずれもマスクなしで歓喜の歌を高らかに歌い上げた。
楽団員をソリストに起用するケースが目立ったのもこの特別公演の特長で、尾高忠明が指揮したサントリーホールでの5月公演(5月15・16日)では、ハイドン《チェロ協奏曲第2番》(チェロ:辻󠄀本玲)、モーツァルト《4つの管楽器と管弦楽のための協奏交響曲》(オーボエ:𠮷村結実、クラリネット:伊藤圭、ファゴット:水谷上総、ホルン:福川伸陽)、ドビュッシー《神聖な舞曲と世俗的な舞曲》(ハープ:早川りさこ)、パヌフニク《交響曲第3番「神聖な交響曲」》(トランペット:菊本和昭、長谷川智之、安藤友樹、山本英司)と、1回のコンサートで実に10名の楽団員がソリストとして登場するという椿事もあった。
こうした中、4月9日には、次期首席指揮者にイタリア・ジェノヴァ出身のファビオ・ルイージが就任することが発表され、2022年9月から3年間の契約で迎えられることになった。
そして、2015年から首席指揮者をつとめるパーヴォ・ヤルヴィが、度重なる来日中止を経てようやくN響の指揮台に立つことができたのは、特別公演の最後を飾る2021年6月のことだった。16・17日に行われたサントリーホール公演で、ペルト《スンマ》(弦楽合奏版)、シベリウス《ヴァイオリン協奏曲》(ヴァイオリン:青木尚佳)、ニルセン《交響曲第4番「不滅」》を指揮、前年3月の欧州公演以来の再会を喜び合ったのである。
世界情勢の混乱(2021-2022)
2021年4月から6月にかけての第4波、夏のデルタ株による第5波と、新型コロナウイルスの感染状況が目まぐるしく変化する中で、2020年4月から1年以上にわたって中止されていたN響の定期公演は、2021年9月からようやく再開されることになった。
ただ、2021年3月からNHKホールが大改修工事に入っていたため、AプログラムとCプログラムの会場を池袋の東京芸術劇場に変更し、Cプログラムは休憩なしに短縮した形で行われた。なお、N響の場合は、中止した間の定期公演の開催回数を欠番にしないとの方針であり、2020年2月15・16日の第1935回に続く形で、2021年9月10・11日の第1936回定期公演(池袋Cプログラム)からの再スタートとなった。
この公演の指揮は、今シーズン限りで首席指揮者を勇退するパーヴォ・ヤルヴィで、バルトークの《中国の不思議な役人》と《管弦楽のための協奏曲》というプログラムだったが、《管弦楽のための協奏曲》は2015年10月の首席指揮者就任記念公演以来、久々に取り上げたもので、両者の成熟度が感じられる名演となった。
続く9月定期Bプログラムは、バロックの雄トン・コープマンが指揮する予定だったが来日不可能となり、鈴木秀美が代役をつとめてN響に初登場、ヨハン・セバスティアンとカール・フィリップ・エマニュエルのバッハ父子の作品を集中して取り上げている。また、池袋Aプログラムは沼尻竜典が指揮し、マーラー《交響曲第1番「巨人」》で聴衆は久々に大オーケストラの響きを堪能した。
そして10月定期には、直前に負傷して来日が危ぶまれた94歳のヘルベルト・ブロムシュテットが、奇跡的に来日を果たし、隔離義務を終えたのちに3プログラムを指揮した。池袋Aプログラムは、ブラームス《ヴァイオリン協奏曲》(ヴァイオリン:レオニダス・カヴァコス)とニルセン《交響曲第5番》、池袋Cプログラムはグリーグ《「ペール・ギュント」組曲第1番》とドヴォルザーク《交響曲第8番》、Bプログラムはステンハンマル《セレナード》とべートーヴェン《交響曲第5番》というもので、マエストロとN響が創る生気溢れる音楽に心救われた聴衆も多かったに違いない。
しかし、オーケストラにはまだまだ苦闘の日々が続いた。続く11月定期は、次期首席指揮者のファビオ・ルイージが3公演を指揮する予定だったが、入国条件を満たす待機時間が確保できないため、池袋Aプログラム(13・14日、ウェーバー《魔弾の射手》序曲、リスト《ピアノ協奏曲第2番》[ピアノ:アレッサンドロ・タヴェルナ]、フランツ・シュミット《交響曲第2番》)をそのまま沼尻竜典が受け継ぎ、池袋Cプログラム(18・19日、ブルックナー《交響曲第4番「ロマンチック」》)、Bプログラム(24・25日、パガニーニ《ヴァイオリン協奏曲第1番》[ヴァイオリン:フランチェスカ・デゴ]、チャイコフスキー《交響曲第5番》)だけをルイージが受け持った。
12月定期はさらに複雑で、池袋Aプログラムを指揮する予定だった山田和樹が、ベルリンからの帰国待機の関係でBプログラム(15・16日、当初指揮予定のディマ・スロボデニュークが来日不能)に転じ、別の楽団を指揮するために入国済みだったガエタノ・デスピノーサが滞在を延長して、池袋Aプログラム(4・5日)と池袋Cプログラム(10・11日、当初指揮予定のワシーリ・ペトレンコが来日不能)を、一部曲目変更やソリスト変更に対応しながら代わって指揮した。
明けて2022年1月、前半のオーチャード定期、埼玉県越谷市での公演は予定通りジョン・アクセルロッドが指揮、池袋Aプログラム(15・16日)も予定通り原田慶太楼とピアノの反田恭平によるフレッシュコンビが定員いっぱいの聴衆を集めて行われ、後半の池袋CとBプログラムはトゥガン・ソヒエフに代わってアクセルロッドが受け持つことになっていた。Cプログラム(21・22日)は、ヴァイオリンのワディム・グルズマンの代役を服部百音がつとめて予定通り行われたが、その後、楽団員に対して定期的に行っていたPCR検査の結果、陽性者(無症状)が確認されたため、第1950回定期(26・27日、Bプログラム)は中止のやむなきに至ったのである。
さらに、コロナで混乱する世界情勢に追い打ちをかけたのが、2022年2月24日、ロシアが突然ウクライナへの軍事侵攻を開始したことである。アメリカをはじめとする西側諸国は結束して、過去に例を見ない強力な経済制裁をロシアに対して行うとともに、ウクライナに対しては経済面だけでなく武器・軍事支援を強化したが、芸術文化面での影響もまた大きなものがあった。
その象徴的な反応が、ロシア系演奏家のボイコットやチャイコフスキーなどロシアの楽曲への忌避であった。とりわけプーチン露大統領と深い親交を持つとされる世界的指揮者のワレリー・ゲルギエフは、侵攻直後、ドイツ・ミュンヘン市の市長から「プーチン大統領の行動と一線を画し、侵攻を非難する声明を出さない限り、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を解任する」と求められたものの、期限までに一切の意思表明を拒否したため解任、オランダのロッテルダム・フィルからも名誉指揮者のポストを剥奪された。また、ソプラノのアンナ・ネトレプコも態度を明白にしなかったためニューヨークのメトロポリタン歌劇場から契約を破棄され、その後、複数回にわたって侵攻に反対する声明を出したものの、西側の対応は変化しなかったばかりか、ロシアでは裏切り者とされ、双方で活躍の場を失う結果となっている。
一方、N響とも親密な関係にある指揮者のトゥガン・ソヒエフは、フランスのトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団の音楽監督を辞任すると同時に、兼務していたモスクワ・ボリショイ劇場の音楽監督兼首席指揮者も辞した。ソヒエフは、「愛するロシアの音楽家たちと愛するフランスの音楽家たちのどちらかを選ぶという不可能な選択を迫られた」として、どちらも辞任する道を選んだのだった。ソヒエフは発表した声明で「私は、どんな形であれ、紛争を支持したことはありませんし、これからも反対しつづけます」と述べ、「仲間であるアーティスト、俳優、歌手、ダンサー、指揮者たちが脅され、不当に扱われ、"キャンセル文化"の犠牲になっているさまを目撃することに耐えられません」と付け加えた。
日本国内においては、ロシアの指揮者が自らの意思で公演をキャンセルする、あるいは入国に支障をきたすケースも散見されたが、優れた指揮者であるソヒエフとN響の良好な関係がいまなお継続していることが示すように、受け入れる側のオーケストラや聴衆が理性的に対応したことは救いであった。
さて、2022年2月定期は、首席指揮者としての最後を飾るはずだったパーヴォ・ヤルヴィが新型コロナウイルスの影響で来日不能となり、下野竜也、鈴木雅明、尾高忠明が受け持った。池袋Cプログラムでは、バッハのスペシャリストである鈴木が、オール・ストラヴィンスキー・プログラム(組曲《プルチネッラ》、バレエ音楽《ペトルーシカ》[1947年版])を指揮したことが注目される。
マスク着用こそ当たり前の光景になったとはいえ、次第にコロナの感染状況も沈静化しつつあり、4月以降の定期公演は、指揮者・ソリストの変更もなく予定通り行うことができた。また、恒例となっていた東京・春・音楽祭でのマレク・ヤノフスキ指揮によるワーグナーの上演も、この年は《ローエングリン》が通常の形で演奏され(3月30日・4月2日、東京文化会館)、ヤノフスキは翌5月のオーチャード定期(ベートーヴェン《交響曲第5番》ほか)、5月定期の池袋Aプログラム(シューベルト《交響曲第8番「ザ・グレート」》ほか)の指揮台にも立って、辛口の名演を披露している。5月定期の残る2公演はファビオ・ルイージが指揮、6月は常連のフランス人指揮者ステファヌ・ドゥネーヴと鈴木優人が受け持った。
とはいうものの、7月から8月にかけては第7波が襲来し、各地のオーケストラでは楽員に感染者が多発するケースも見られたが、他楽団の奏者やフリーランスに代役を依頼することでなんとか乗り切り、公演の中止は次第に少なくなっていった。
N響100年
ファビオ・ルイージと2000回記念定期(2022-2024)
2022/23シーズンからN響首席指揮者に就任したファビオ・ルイージは、1959年生まれなので、この時点で63歳。チューリヒ歌劇場音楽総監督、メトロポリタン歌劇場首席指揮者、ウィーン交響楽団首席指揮者、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団および同歌劇場音楽総監督など、欧米の主要歌劇場・オーケストラで要職を歴任し、2016年からデンマーク国立交響楽団首席指揮者、2020年からダラス交響楽団音楽監督をつとめる国際的なマエストロである。
就任に先立って開かれた記者会見でルイージは、「数々の共演を通じて音楽上の友情と信頼を育んできた結果、私を首席指揮者に選んでくれたということに満ち足りた思いです」と喜びを語り、今シーズンは後期ロマン派の作品を重点的に取り上げることで「N響と新たに『伝統』を見つめ直していきたい」と意気込みを語った。また、2023年12月の「第2000回定期公演」で演奏する曲目を、3つの候補(フランツ・シュミット《7つの封印の書》、マーラー《一千人の交響曲》、シューマン《楽園とペリ》)の中からファン投票で選ぶことも発表され、N響はルイージのもと、聴衆も巻き込む形でさらに飛躍を期することになる。
また、N響は2022/23シーズンから、日本の主要オーケストラに先駆けて、終演後のカーテンコール時の客席からの写真撮影を認め、感想とともにSNSへ投稿するよう聴衆に呼びかけた。これもまた、N響と聴衆との新たな関係を象徴する試みであった。保守的と見られてきたN響が先鞭をつけたことで、各地のオーケストラも追随し、いまではカーテンコールでの写真撮影は広く定着しつつある。
首席指揮者となったルイージは、パーヴォと同様、定期公演には年3回登場することになっており、就任披露の第1962回定期(9月Aプログラム)では、改修工事が終了したNHKホールでヴェルディの《レクイエム》が演奏された。海外からの4名のソリスト、新国立劇場合唱団とオーケストラが舞台狭しと並ぶ光景は、コロナ前と変わらぬもので、ようやく通常の形での演奏ができることに深い感慨を抱いた関係者も多かった。
ベートーヴェンの《ヴァイオリン協奏曲》(ヴァイオリン:ジェームズ・エーネス)とブラームス《交響曲第2番》という王道路線のBプログラム、オール・リヒャルト・シュトラウス(《交響詩「ドン・フアン」》、《オーボエ協奏曲》[オーボエ:エヴァ・スタイナー]、《組曲「ばらの騎士」》)のCプログラムと、いずれもルイージらしい明るさと品格が共存したプログラムで好調なスタートを切ったのである。
そして10月は、夏に大きなけがを負って回復が危ぶまれたマエストロ・ブロムシュテットが、昨年に続いて無事に来日を果たした。マーラーの《交響曲第9番》(Aプログラム)をメインに、シューベルトの《交響曲第1番》と《第6番》(Cプログラム)、グリーグの《ピアノ協奏曲》[ピアノ:オリ・ムストネン]とニルセン《交響曲第3番「広がり」》(Bプログラム)という演目で、ブロムシュテットの健在ぶりを強く印象付けた。
11月はレナード・スラットキンと井上道義が振り分けた。スラットキンはBプログラムでヴォーン・ウィリアムズ生誕150年記念として《交響曲第5番》ほかを指揮、井上はAプログラムで伊福部昭の《シンフォニア・タプカーラ》とショスタコーヴィチの《交響曲第10番》という組み合わせで客席を大いに沸かせた。井上はこの年、年末恒例の《第9》公演でもタクトをとっている。なお、12月定期ではルイージが、ブルックナー《交響曲第2番》の初稿1872年版というこだわりの選曲をはじめ、モーツァルト《リンツ》、メンデルスゾーン《スコットランド》などで名演を聴かせた。
明けて1月は3年3か月ぶりにトゥガン・ソヒエフが登場、メンバーと聴衆から温かく迎えられ、ドイツもの、ロシアもの、フランスものと多彩なレパートリーを披露した。2月は尾高忠明とN響再登場となるチェコの俊英ヤクブ・フルシャが受け持ち、4月は2022年9月から名誉指揮者となったパーヴォ・ヤルヴィが約1年半ぶりに来演。圧倒的な名演となったAプログラムのR. シュトラウス《アルプス交響曲》をはじめ、Bプログラムではシベリウスの《交響曲第4番》をはじめとする北欧とロシアの音楽、Cプログラムではルーセル、プーランク、イベールの小粋なフランスもので久々にN響とじっくり向き合った。
2023年5月8日、日本政府は新型コロナウイルス感染症の感染症法上の位置づけを「2類」から「5類」に移行した。これによって、クラシック音楽公演運営推進協議会が策定し、およそ3年間にわたって改訂を重ねてきた『クラシック音楽公演における新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン』は廃止され、代わって以下のような感染予防対策が推奨されるようになった。
改めてわが国のオーケストラ界全体を振り返ると、公益社団法人日本オーケストラ連盟に加盟するプロ楽団全体で、コロナ前には年間3900回程度あった演奏会の回数は、2020年度には2300回まで落ち込み、21年度には3000回程度まで回復したものの、演奏収入は通常期の85%程度まで落ち込んだ。
この間、公益社団法人日本芸能実演家団体協議会(芸団協)をはじめ、公益社団法人日本オーケストラ連盟や、音楽事務所やプロモーターが加盟する一般社団法人日本クラシック音楽事業協会(CLASSIC)、公益社団法人日本芸能実演家団体協議会(芸団協)など、音楽や文化芸術に関わる24団体が集う「文化芸術推進フォーラム」は、新型コロナウイルス感染症によって突然仕事を失ってしまった文化芸術関係者の活動回復にむけて、減収率や再開に向けた課題などの実態を明らかにするとともに、文化芸術団体やアーティストにとって必要な支援について、政府への要望を重ねてきた。
その結果、文化芸術活動の再興と地域の文化芸術の振興を目的とした国の補正予算による「アート・キャラバン」事業が実施され、そのうちオーケストラ連盟加盟団体による「オーケストラ・キャラバン」では、2021年度から2023年度にかけて合計約200回のコンサートが全国各地で開催された。ふだんはオーケストラに接することの少ない地域にも音楽を届けたこの事業で、NHK交響楽団は「5類」移行後の2023年7月に水戸市、10月に山形市で公演を行っている。
2023年5月13日、「5類」となって最初のN響定期は、下野竜也によるドヴォルザーク《交響曲第7番》をメインとするAプログラムであった。続くB・Cプログラムはファビオ・ルイージがベートーヴェン《田園》、フランク《交響曲》などを指揮。6月はジャナンドレア・ノセダが3プログラムを受け持ち、これまでN響と集中して取り上げてきたカゼッラの作品から《歌劇「蛇女」からの交響的断章》を日本初演したほか、Cプログラムでのショスタコーヴィチ《交響曲第8番》も話題を呼んだ。
N響が2022/23シーズンの定期公演を終えた後の2023年7月11日、作曲家で正指揮者の外山雄三が92年の生涯を閉じている。1960年の世界一周演奏旅行で岩城宏之と共に指揮台に立ち、名曲《管弦楽のためのラプソディー》を生み出した外山は、N響のみならず名古屋フィルハーモニー交響楽団音楽総監督、仙台フィルハーモニー管弦楽団音楽監督、神奈川フィルハーモニー管弦楽団音楽監督、大阪交響楽団ミュージックアドバイザーなどを歴任して、わが国のオーケストラ界に大きく貢献した。N響とは定期公演37プログラム76公演をはじめ、海外公演22都市28公演など数多くの指揮台に立ち、最後の共演は2019年3月15日にNHKホールで行われた「放送記念日記念式典」であった。その後も現役を貫いていたが、2023年5月27日に東京芸術劇場で行われたパシフィックフィルハーモニア東京の第156回定期演奏会の後半、シューベルトの《交響曲第8番「グレート」》の第4楽章演奏中に体調を崩していったん舞台裏に退き、オーケストラだけで演奏を終えたのち、カーテンコールで再び聴衆の前に立ったのが最後となった。
また、この年の8月15日には、わが国を代表するワーグナー指揮者だった飯守泰次郎が82歳で没している。N響とは1974年9月の定期公演3プログラムを指揮、2001年に久しぶりに共演したのち、2008年5月のオーチャード定期を指揮している。
2023/24シーズンは、ようやく新型コロナウイルスの影響を脱し、第2000回の定期公演という節目を迎える重要な楽季であった。首席指揮者のルイージは、オープニングの9月、第2000回定期を中心とした12月、翌5月の3回にわたって登場。ソヒエフをはじめとする常連の外国人指揮者陣と、若手からベテランまで層の厚くなった日本人指揮者をバランスよく配して臨んだが、コロナ以外のアクシデントに見舞われることも多いシーズンでもあった。なお、Cプログラムは引き続き休憩なしの短縮した形を継続している。
シーズン開幕に先立つ8月29日、NHK交響楽団は、2022年9月に3年間の任期で首席指揮者に就任したファビオ・ルイージとの契約を3年延長し、2028年8月までとすることを発表した。併せて、2025年5月にアムステルダムで開催されるマーラー・フェスティバルへの招待を受け、ヨーロッパ各地で公演を行うことも明らかにされた。
9月定期は、ルイージがオール・リヒャルト・シュトラウスのAプログラム、ワーグナー(フリーヘル編)の《楽劇「ニーベルングの指輪」─オーケストラル・アドベンチャー─》のCプログラムを指揮、Bプログラムには2021年9月に来日できなかったトン・コープマンがオール・モーツァルト・プログラムでN響との再会を果たした。そして10月定期はヘルベルト・ブロムシュテットの来演を予定していたが、体調不良のため離日直前にドクターストップがかかり、ブルックナー《交響曲第5番》を予定していたAプログラムは公演中止、Cプログラム(ニルセン《アラジン組曲》より抜粋、シベリウス《交響曲第2番》)は高関健、Bプログラム(ベートーヴェン《皇帝》[ピアノ:レイフ・オヴェ・アンスネス]、ブラームス《交響曲第3番》)は尾高忠明が、曲目をそのまま引き継いで代役をつとめた。このときブロムシュテットは聴衆向けのメッセージで、2024年10月にも来日を予定しており、「その時には神のご加護のもと、私がとても大切に思い、愛してやまない日本のみなさまのために、再びともに音楽を奏でることができるはずです」と決意を述べている。
翌11月定期で、今度はウラディーミル・フェドセーエフがやはり体調不良で無念のキャンセル。この公演ではフェドセーエフが選りすぐったロシアの小品のかずかずを演奏する予定だったところ、N響指揮研究員でこの公演のアシスタントをつとめることになっていた平石章人と湯川紘惠が急遽、指揮台に立つことになった。N響の場合、指揮者の交代はチケット払い戻しの対象外だったため、この措置に対しては聴衆から厳しい声も楽団に寄せられたが、めったに演奏されず難易度の高い作品を、見事に指揮した2人の若きマエストロに対する好意的な声も少なからずあった。
今シーズンの目玉であった巨匠指揮者が相次いで来日不能となったことを受けて、N響ではその後、ブロムシュテットのような高齢の指揮者を定期公演に迎える際には「カバー指揮者」を立てて、それを事前に公表することで聴衆の理解を求めるように改めている。
こうしたアクシデントに見舞われたシーズンではあったが、N響は12月定期のAプログラムで第2000回定期公演を迎えることができた。事前のファン投票の結果は前年の2022年12月に発表されており、投票総数2523票のうち、1367票を集めたマーラー《一千人の交響曲》が演奏曲目に選ばれている。ちなみに投票はフランツ・シュミット《7つの封印の書》が722票で第2位、シューマン《楽園とペリ》が434票で第3位という結果となっていた。
「演奏にはかなりの人数が必要なので、新型コロナウイルスに人類が勝利しないと出来ない曲。記念すべき2000回に加え、コロナ収束を同時に祝うには相応しいと思うから」というN響ファンの投票時のコメントが、この演目を取り上げる意義をまさに代弁している。また、これに先立つ12月Bプログラムは、マックス・レーガー生誕150年を記念して《モーツァルトの主題による変奏曲とフーガ》が、1994年10月以来29年ぶりに演奏された。
明けて2024年。1月定期はトゥガン・ソヒエフが3公演を指揮して、N響との強い絆を再確認したが、なんといっても注目されたのは2月定期のAプログラムを指揮した井上道義だった。2024年12月末で指揮者引退を宣言していた井上が、N響との最後の定期公演に選んだのは、コロナで中止となった2020年12月の定期で指揮する予定だったもので、ヨハン・シュトラウスⅡ世がロシアで書いた作品を改作した《ポルカ「クラップフェンの森で」》に始まり、ショスタコーヴィチ《舞台管弦楽のための組曲第1番》と《交響曲第13番「バビ・ヤール」》というプログラムであった。2008年に《第9番》、2016年に《第12番》、2019年に《第11番》、2020年に《第1番》、2022年に《第10番》と共演を重ねてきた井上とN響の集大成というべきもので、《バビ・ヤール》のバス独唱はこの作品のスペシャリストであるアレクセイ・ティホミーロフ、合唱はスウェーデンからオルフェイ・ドレンガル男声合唱団を本公演のために招聘するという万全の布陣で臨み、圧倒的な感動をもたらした。
2月定期はこのほか、N響と共演を重ねているパブロ・エラス・カサドと、定期公演には25年ぶりの登場となった大植英次が指揮した。なお、2024年4月から郷古廉が第1コンサートマスターに、川崎洋介がゲスト・コンサートマスターに就き、特別コンサートマスターの篠崎史紀と共に新体制が築かれている。
4月定期は、東京・春・音楽祭でワーグナーの楽劇《トリスタンとイゾルデ》を指揮したマレク・ヤノフスキと、クリストフ・エッシェンバッハの両ベテランが登場。ブルックナーの生誕200年を記念して《交響曲第7番》をエッシェンバッハが指揮している。5月定期はルイージがAプログラムで現代イタリアの作曲家パンフィリの《戦いに生きて》を日本初演、レスピーギの「ローマ三部作」と共に演奏して大喝采を浴びた。Bプログラムでは巨匠ルドルフ・ブフビンダーによるブラームス《ピアノ協奏曲第1番》とニルセン《交響曲第2番「4つの気質」》を取り上げたが、これはデンマーク国立交響楽団の首席指揮者を兼任するルイージならではの選曲だった。そして6月定期は、日本人の若手3人、原田慶太楼、鈴木優人、沖澤のどかが妍を競っている。
マーラー・フェスティバル(2024-2025)
2024/25シーズンは、ようやく新型コロナウイルスの影響から脱することができた楽季にあたる。また、Cプログラムは「休憩なし」という公演スタイルの試みから、従来の「休憩あり・2時間程度の公演」へと戻っている。
このシーズンの最大のトピックは、2025年5月にオランダ・アムステルダムで開催された「マーラー・フェスティバル2025」に、アジアのオーケストラとして初めて招待されたことである。マーラー・フェスティバルとは、1920年にコンセルトヘボウ管弦楽団の指揮者だったウィレム・メンゲルベルクが自らの指揮活動25周年を記念して創始したもので、1995年に第2回が開催され、2020年にも開催予定だったがコロナ禍で中止、2025年は史上3回目となる歴史的イベントである。とくに今回はアメリカ、アジアのオーケストラが初参加して、総勢5楽団によってマーラーの全交響曲が演奏される大規模なものとなった。
ルイージとN響は、5月11日に《交響曲第3番》(メゾ・ソプラノ:オレシア・ペトロヴァ、女声合唱:オランダ放送合唱団、児童合唱:オランダ児童合唱団)、12日に《こどもの不思議な角笛》より〈トランペットが美しく鳴り響くところ〉〈浮世の生活〉〈原光〉〈死んだ鼓手〉〈少年鼓手〉(バリトン:マティアス・ゲルネ)と《交響曲第4番》(ソプラノ:イン・ファン)を受け持ったが、それ以外の顔触れを紹介しておくと、《第1番「巨人」》と《第8番「一千人の交響曲」》がクラウス・マケラ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、《第2番「復活」》と《第5番》がイヴァン・フィッシャー指揮ブダペスト祝祭管弦楽団、《第6番「悲劇的」》と《第7番「夜の歌」》がヤープ・ヴァン・ズヴェーデン指揮シカゴ交響楽団、《第9番》がキリル・ペトレンコ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、《第10番よりアダージョ》と《大地の歌》がサカリ・オラモ指揮(ダニエル・バレンボイムの代役)ベルリン・フィルという超強力なラインナップであり、N響にとっていかに重要な舞台だったかが分かるだろう。
N響とルイージはマーラー・フェスティバルだけでなく、プラハの春音楽祭、ドレスデン音楽祭からも招待を受け、ベルギー(アントワープ)、オランダ(アムステルダム)、オーストリア(ウィーン、インスブルック)、チェコ(プラハ)、ドイツ(ドレスデン)の5か国6都市で8回のコンサートを行う、5年ぶりのヨーロッパ公演を挙行した。出発に先立つ第2036回定期(4月26・27日)ではマーラー《第3番》、第2037回定期(5月1・2日)ではマーラー《第4番》と、それぞれ公演曲目を取り上げている。
5月10日、アムステルダムでリハーサルを行ったN響は、万全の体制で11日の《第3番》に臨んだ。この日の演奏について、N響芸術主幹の西川彰一は「長年N響の実演に接してきた筆者がベスト1と評したくなるような、神がかった演奏だった。長大なソロを吹くトロンボーンの古賀光、ポストホルンの長谷川智之をはじめ、急所難所がことごとく決まり、その度に私は、隣に座っていたルイージの奥さんと目配せして、喜びを分かち合ったものだ。コンセルトヘボウは、マーラー自身が初演の指揮をした由緒あるコンサートホール。独特の緊張感が漂う大舞台で、このような最高のパフォーマンスを成し遂げた仲間を、心から誇りに思う」と感慨深く綴っている。
現地の新聞評も「イタリア人ファビオ・ルイージが指揮するオーケストラには、なんという色彩、なんという規律、そしてなんという力強さがあるのだろう」(de Volkskrant紙、2025年5月12日、Dennis Bajram氏)、「バランスは最高だ。まるで1人で奏でているかのような合奏は、ソリストに適切な空間を与える。オーケストラは穏やかに、また巧みに、そしてしなやかに浮かび上がり、広がっていくのだ」(nrc紙、2025年5月12日、Rahul Gandolahage氏)と音楽的には高く評価しながら、「東京から来たNHK交響楽団。彼らはこのマーラー・フェスティバルでは、恐れずに言えば、全くの無名だ」(de Volkskrant紙)、「第3回マーラー・フェスティバルの新しいプランが発表されたとき、ラインナップにNHK交響楽団が入っていたのは、大きな驚きになった。みんながグーグル検索しなくてはならないほどだった」(nrc紙)と知名度の低さを強調していたことは、国際的な存在感をいま以上に高めていかねばならない課題として、N響関係者に深く刻まれたのである。
とはいえ、ブラームスの《交響曲第4番》などを演奏したプラハでの新聞評は各紙とも絶賛というべきもので、N響がヨーロッパの地で高い実力を遺憾なく発揮したことは間違いない。
2024/25シーズンの定期公演に話を戻すと、9月定期ではAプログラムでルイージがブルックナー生誕200年を記念した《交響曲第8番》(初稿/1887年)、Cプログラムで尾高忠明がチャイコフスキー《白鳥の湖》の「尾高版」とでもいうべき抜粋を取り上げた。そして10月定期には待望のブロムシュテットが元気な姿を見せ、Aプログラムでオネゲル《交響曲第3番「典礼風」》とブラームス《交響曲第4番》という、戦争の暴力への怒りと平和への祈りをテーマにした組み合わせを披露したのをはじめ、ベルワルドの《交響曲第4番「ナイーヴ」》を軸とした北欧作品を集めたBプログラム、シューベルトの《未完成》《ザ・グレート》の組み合わせによるCプログラムで、満場を埋め尽くした聴衆の感動を呼んだ。
11月定期は山田和樹とディマ・スロボデニューク、アンドレス・オロスコ・エストラーダという若手成長株、12月定期は再びルイージが登場して、シェーンベルク生誕150年を記念した交響詩《ペレアスとメリザンド》(Aプログラム)、前年のマーラー《一千人の交響曲》に続くファウストをテーマにしたリスト《ファウスト交響曲》(Cプログラム)が注目を集めた。2025年1月定期はトゥガン・ソヒエフが平和への想いを託して、Aプログラムでショスタコーヴィチの《交響曲第7番「レニングラード」》を取り上げている。さらに2月定期は、世界的に注目を集めているチェコの俊英ペトル・ポペルカが、お国もののヤナーチェクの《シンフォニエッタ》(Aプログラム)やシューマン《交響曲第1番「春」》(Bプログラム)などでN響デビューを果たした。なお、2025年3月末日をもって、長らくN響の顔であった特別コンサートマスターの篠崎史紀が退任し、4月から長原幸太が第1コンサートマスターに就任した。
4月定期は名誉指揮者のパーヴォ・ヤルヴィが2年ぶりに登場して2公演を指揮、アントワーヌ・タメスティのヴィオラ独奏によるベルリオーズ《交響曲「イタリアのハロルド」》とプロコフィエフ《交響曲第4番》のAプログラムは、舞台袖から現れてステージ上をあちこち移動するタメスティのパフォーマンスも相まって高い評価を得ている。
5月末にヨーロッパ公演から戻ったN響は、5月定期のCプログラムで若手ギエドレ・シュレキーテがN響初登場。ピアノの藤田真央と清新な演奏を聴かせた。6月定期はフェドセーエフがAプログラムを健康上の理由でキャンセルしたため、Bプログラムを指揮する予定だったフアンホ・メナがAプログラムも引き受けた。メナはとりわけBプログラムのブルックナー《交響曲第6番》が高い評価を受けたが、その後、持病の若年性アルツハイマー病のため指揮者からの引退を表明したのは惜しまれる。
そして、シーズンを締めくくる6月定期のCプログラムに登場したのはフィンランド出身のタルモ・ペルトコスキで、弱冠25歳という年齢はN響定期史上最も若い指揮者であった。ペルトコスキが指揮したマーラー《交響曲第1番「巨人」》は、極限に近い超弱音の連続と金管楽器やティンパニまで補強したフィナーレの鮮やかな対比に対して賛否両論が渦巻き、この年の「最も心に残ったN響コンサート2024-25」第1位に選ばれるほどのセンセーションを巻き起こしたのである。
なお、2025年1月26日には、指揮者の秋山和慶が84歳で急逝している。1971年の初共演以来、2024年7月のオーチャード定期in横浜と郡山市民文化センターの公演まで、11回におよぶ定期公演をはじめ、特別公演や地方公演で多数の共演を重ねてきた。
N響100年(2025-2026)
2025/26シーズンは、2026年10月に創立100年の佳節を迎えるN響の"序奏"にあたる楽季として、堂々たるプログラムがラインナップされた。
首席指揮者のファビオ・ルイージが7プログラムを受け持つのをはじめ、98歳を迎える桂冠名誉指揮者のヘルベルト・ブロムシュテット、8年ぶりに定期公演に復帰する名誉音楽監督のシャルル・デュトワ、正指揮者の尾高忠明、下野竜也、常連となったトゥガン・ソヒエフ、世界的マエストロでN響初登場となるフィリップ・ジョルダンとヤープ・ヴァン・ズヴェーデンなど、シーズンパンフレットの記述を借りれば「N響定期史上最強ともいうべき指揮者陣」がずらりと並んだのである。
9月のシーズン開幕となるAプログラムは、ルイージがベートーヴェンの《皇帝》(ピアノ:イェフィム・ブロンフマン)とライフワークであるフランツ・シュミットの《交響曲第4番》を取り上げ、Cプログラムではアメリカの新鋭ライアン・バンクロフトがマーラー《こどもの不思議な角笛》(バリトン:トマス・ハンプソン)とシベリウス《4つの伝説》を携えてN響初登場を果たした。
10月定期には昨年に続いてヘルベルト・ブロムシュテットが無事に来日。Bプログラムでは、グリーグ《組曲「ホルベアの時代から」》、ニルセン《フルート協奏曲》(フルート:セバスティアン・ジャコー)、シベリウス《交響曲第5番》という北欧の作品を特集したのち、ハイライトとなるAプログラムは、スウェーデン放送合唱団とのストラヴィンスキーの《詩編交響曲》とメンデルスゾーン《交響曲第2番「讃歌」》。メンデルスゾーンにはドイツから招いた3人のソリスト(ソプラノ:クリスティーナ・ランツハマー、メゾ・ソプラノ:マリー・ヘンリエッテ・ラインホルト、テノール:ティルマン・リヒディ)も加わった。いずれも旧約聖書の「詩編150編」を歌詞に用いた声楽つき交響曲であり、マエストロお気に入りのプログラムである。歩行器を使って舞台に現れたブロムシュテットは、ひとたび指揮台に上がればまったく無駄のない身体の動きで、一瞬たりとも緩むことなくオーケストラと合唱を統率して、温かくも壮大な祈りの音楽をNHKホールに響かせた。この演奏は、98歳のマエストロとN響による歴史的な到達点といっても過言ではないだろう。締めくくりとなるCプログラムは、ブラームスの《ピアノ協奏曲第2番》(ピアノ:レイフ・オヴェ・アンスネス)と《交響曲第3番》で、マエストロのブラームスとN響への愛情が、澄み切った響きに昇華したかのようだった。
続く11月、ついにシャルル・デュトワがN響の定期公演に帰ってきた。Aプログラムはメシアン《神の現存の3つの小典礼》とホルスト《惑星》という十八番で、Cプログラムはラヴェル生誕150年を記念して極めつけのオール・ラヴェル・プロ(《亡き王女のためのパヴァーヌ》、《組曲「クープランの墓」》、《バレエ音楽「ダフニスとクロエ」》[全曲])。以前と変わらぬ厳しいリハーサルで、N響の能力を十全に引き出した名演だった。
12月定期はファビオ・ルイージがツェムリンスキー《交響詩「人魚姫」》(Aプログラム)、ニルセン《交響曲第4番「不滅」》(Cプログラム)など得意曲を披露。1月定期はトゥガン・ソヒエフがN響とは初のマーラーとなる《交響曲第6番「悲劇的」》(Aプログラム)や、13年ぶりにプロコフィエフ《交響曲第5番》(Bプログラム)を演奏した。
2026年2月からスタートしたN響100年特別企画「邦人作曲家シリーズ」は、N響定期ではこのところ演奏機会が少なかった邦人作品を折々に紹介するもので、2月Cプログラムでゲルゲイ・マダラシュがムソルグスキー(近衛秀麿編)の《展覧会の絵》を92年ぶりに取り上げたほか、4月CプログラムではN響正指揮者の下野竜也が外山雄三《管弦楽のためのディヴェルティメント》(1961)と伊福部昭《交響譚詩》(1943)という古典的名曲を、5月Bプログラムでは「ヤマカズ21」の山田和樹が、「元祖ヤマカズ」ことN響専属指揮者だった山田一雄(和男)の《小交響詩「若者のうたへる歌」》(1937)と、ヒンデミットに学んだ須賀田礒太郎の知られざる傑作《交響的序曲》(1939)という、戦間期に書かれた佳品を紹介している。
4月には、首席指揮者ファビオ・ルイージに対し、契約期間満了後の2028年9月、故サヴァリッシュ、ブロムシュテットに次いでN響3人目となる「桂冠名誉指揮者」の称号を授与することが発表されたほか、正指揮者の下野竜也、ピアノの反田恭平と共にシンガポールを訪問し、日本とシンガポールの外交関係樹立60周年を祝っている。
定期公演では上記のほかにも、2月Aプログラムのフィリップ・ジョルダンによるシューマン《ライン》とワーグナー《神々のたそがれ》抜粋、同じく2月Bプログラムのヤクブ・フルシャによるドヴォルザーク《ヴァイオリン協奏曲》とブラームス《セレナード第1番》、4月定期での首席指揮者ルイージによるブルックナー《交響曲第9番》(Aプログラム)とマーラー《交響曲第5番》(Bプログラム)、5月Cプログラムのアンドリス・ポーガによるヴァスクス《感謝の歌》(NHK交響楽団、ラトビア国立交響楽団、ミュンヘン室内管弦楽団、オーストラリア室内管弦楽団共同委嘱作品/日本初演)とショスタコーヴィチ《交響曲第4番》など、注目公演が目白押しであった。シーズン締めくくりの6月定期には、AプログラムでN響初登場となる名匠ヤープ・ヴァン・ズヴェーデンがバルトーク《管弦楽のための協奏曲》で目の覚めるような快演をやってのけ、Cプログラムでは、正指揮者の尾高忠明がいま最も注目のヴァイオリニストHIMARIと共演するとあって、チケットはすぐに完売。HIMARIはシベリウスの《ヴァイオリン協奏曲》で大器の片鱗を感じさせつつ、尾高がメインのラフマニノフ《交響曲第3番》でN響から逞(たくま)しい響きを引き出したのは、さすがの貫禄であった。また、7月3日のMusic Tomorrow 2026では、杉山洋一に委嘱した「N響100年記念曲」を作曲者自身の指揮で初演している。
NHK交響楽団が2026年に開催するさまざまな創立100年記念事業については、すでに2025年10月に発表されており、2月定期からスタートした「邦人作曲家シリーズ」と、2月27日の「ドラゴンクエストⅣ」コンサート(指揮:下野竜也)を皮切りに、「N響の特別な1年」として多彩な催しを繰り広げていく。
3月の「N響 大河ドラマ&名曲コンサート」(指揮:沖澤のどか)では、武満徹が作曲しながら楽譜が失われた大河ドラマ『源義経』のテーマ曲の復活演奏が行われ、4月のシンガポール訪問、7月の新作委嘱初演に続き、8月に東京、京都、大阪、福岡の4都市で行われた「N響×ポケモン クラシックコンサートツアー」(指揮:横山奏)は、すべて完売という大人気を博した。
そして10月5日の創立記念日に先立つ9月12・13日には、2026/27シーズン開幕の第2069回定期公演Aプログラムとして、ファビオ・ルイージ指揮によるフランツ・シュミット《7つの封印の書》をN響初演するのをはじめ、9月から12月にかけてのCプログラムと「第9」演奏会では、ルイージを筆頭に、N響とつながりの深いクリストフ・エッシェンバッハ、トゥガン・ソヒエフ、シャルル・デュトワ、マレク・ヤノフスキによる「ベートーヴェン交響曲全曲演奏」が企画されている。また、12月定期公演Bプログラムでは、N響100年を記念してミロスラフ・スルンカに委嘱した《煙──チェロとオーケストラのための》が、マキシム・エメリャニチェフの指揮、ニコラ・アルトシュテットのチェロで世界初演される予定だ。
また、ルイージによる特別公演としては、まず10月3・4日にNHKホールでの「N響100年記念特別演奏会」として、マーラー《交響曲第2番「復活」》が、2025年のマーラー・フェスティバルでソリストをつとめたソプラノのイン・ファンと、メゾ・ソプラノのタマラ・マムフォード、新国立劇場合唱団を迎えて行われる。続いて10月10・12日には、サントリーホールで歌劇《トスカ》を演奏会形式で。かずかずの名門歌劇場を率いたルイージが初めてN響でオペラを指揮するとあって、大きな話題を呼ぶだろう。また、年明けの1月10・11日には、ルイージとN響のコンビによる初の「N響ニューイヤーコンサート」が行われる。
さらに10月30・31日には、「NHK交響楽団 ブラームス交響曲 全曲演奏会」と題して、クリストフ・エッシェンバッハによるチクルスが挙行される。本来はヘルベルト・ブロムシュテットと振り分ける予定だったが、ブロムシュテットが体調不良で来日を断念したのは残念であり、マエストロの回復を心から願うばかりである。
それ以外にも、N響100年の全公演の記録をデジタル化してオンラインのデータベースで公開するなど、わが国を代表するオーケストラにふさわしい記念事業も進んでおり、NHKテレビやFMなどの放送においても記念番組が企画されている。
日本のオーケストラ界を見渡せば、NHK交響楽団が創立100年を迎えた2026年は、東京交響楽団の創立80年、日本フィルハーモニー交響楽団と京都市交響楽団の創立70年、名古屋フィルハーモニー交響楽団の創立60年と重なる。音楽家や指揮者の情熱から生まれた楽団もあれば、企業や自治体、メディアによって創設された楽団もあり、その来歴はさまざまである。しかし、いずれの歩みも決して平坦なものではなかった。多くの先人たちの努力の積み重ねが、今日の豊かなオーケストラ文化へとつながっている。
西洋に生まれたオーケストラが日本に根付き、独自の文化として発展するまでには、およそ一世紀という時間を要した。その歴史をつくってきたのは、演奏家や指揮者だけではない。楽団を支えた人々、演奏会場へ足を運んだ聴衆、ラジオやテレビを通じて音楽に親しんだ人々──音楽の力を信じ、それを次の世代へ伝えようとした多くの人々の営みが、そこにはある。N響の100年もまた、その大きな流れのなかに位置している。この文化をさらに育て、次の100年へと手渡していくこと。それは、100年という歴史を受け継いだ、いまを生きる私たちの仕事である。
100年後、この国がどのような姿をしているのかはわからない。それでも、その時代のどこかのホールで、人々が息をひそめ、指揮者がタクトを上げる瞬間を待っているだろう。
静寂のなかから、オーケストラの最初の一音が鳴り響く。
私たちのN響は、101年目を歩み始める。
エピローグ
音楽界を牽引し続ける「日本一の音」
ここまで、「N響100年史」の後半として、楽団が1951年に「NHK交響楽団」へと改称してからの、四分の三世紀にわたるあゆみを振り返ってきた。本稿を締めくくるにあたり、日本のオーケストラ史の探求をライフワークとしてきた筆者の思いも込めて、N響の「音」に憧れて指揮者の道を歩み、終生この偉大なオーケストラを目標として生き抜いた指揮者、朝比奈隆(1908-2001)とN響との「縁(えにし)」を綴ることを、どうかお許しいただきたい。
NHK交響楽団の前身であり、1926年10月に近衛秀麿によって創設された新交響楽団が、翌1927年2月から毎月およそ2回のペースで定期公演――当時は「予約演奏会」と呼んでいた――を開始すると、旧制東京高等学校の四年生だった朝比奈は、学校の音楽仲間とともにすぐさま予約会員の一人となり、明治神宮外苑にあった日本青年館の天井桟敷の片隅に陣取った。
「演奏の終わった後そのまま帰るのが惜しくて、夜の更けるまで外苑の暗闇を歩き回っていた」
朝比奈は、近衛がシューベルトの《交響曲第8番》を指揮した第1回予約演奏会の思い出を、こう記している。
近衛秀麿、ヨーゼフ・ケーニヒを中心に定期公演が重ねられる中、6月12日の第11回公演を指揮したのは、ロシア革命をシベリア鉄道に沿って東に逃れ、ハルビンを経て夫人とともに関西へやってきたユダヤ系ロシア人、エマニュエル・メッテルである。メッテルはこの日、カリンニコフの《交響曲第1番》を前半に配し、後半にムソルグスキー《交響詩「はげ山の一夜」》、ボロディン《歌劇「イーゴリ公」》から〈序曲〉、〈ダッタンの娘たちの踊り〉、〈ダッタン人の踊り〉を指揮した。再び朝比奈の回想を引こう。
「客演のロシア人指揮者が冒頭に指揮したカリンニコフの第一交響曲の演奏は、私たち若い聴衆に異常な感動と興奮を巻き起こした。
それまでに私たちが接していたドイツの古典や、ロシア物でもチャイコフスキーのような国際的な作品とは全く異質の音楽であり、指揮するというよりもオーケストラの各楽器から哀しいロシア農民の歌を引き出し、共にうたい、共に泣いているかのようであった。音楽に驚嘆し圧倒されたことはあったが、音の流れに共感し、よろこびや悲しみに心をふるわせたのは初めての体験だった」(朝比奈隆『この響きの中で』)
この日の強烈な音楽体験がきっかけとなり、朝比奈はメッテルが学生オーケストラを指導していた京都帝国大学に進学。メッテルのもとで音楽のとりこになった末、ついには指揮者の道を歩むことになる。その運命を決めたのが新響の定期公演であり、日本に生まれたばかりのオーケストラの「音」だったのである。
朝比奈がプロの指揮者として東京でデビューを果たした際も、指揮したのは新交響楽団だった。1940年1月31日、日比谷公会堂で行われた新響臨時公演のメインは、師メッテル譲りのチャイコフスキー《交響曲第5番》。「最近の快演奏」と高く評価されたこの演奏を契機として、朝比奈は大阪放送交響楽団の指揮者に就任する一方、公演や放送で数回にわたって新響――1942年5月には日本交響楽団に改組――を指揮した記録が残っている。大戦中には上海、ハルビンなど中国大陸で指揮活動を続け、終戦を迎えた旧満洲(現在の中国東北部)から帰国できず難民生活を送っていた際には、自作のラジオで偶然ローゼンストックと日響の放送を耳にし、再び祖国の指揮台に立つべく、生きる勇気を奮い起こしたという。
終戦から1年以上を経た1946年秋に家族とようやく帰国した朝比奈は、11月3日の「日本国憲法公布記念祝賀番組」で、日響を3年ぶりに指揮した。翌年、大阪で関西交響楽団(現・大阪フィルハーモニー交響楽団)を結成したが、1950年の社団法人化を機にNHKとの関係が悪化し、朝比奈はNHKに「出入り禁止」に。当然ながらN響を指揮する機会は全くなかった。N響の定期公演に初めて登場したのは、朝比奈が間もなく60歳を迎えようとしていた1967年10月のことである。次の定期出演は11年後の1978年で、ブルックナー《交響曲第9番》を取り上げている。その後も機会は限られ、1986年4月にヴァントの代役でベートーヴェン《第9》を4日連続で指揮したものの、再登場は85歳となった1994年6月まで待たなければならなかった。しかし、このときの火を噴くようなベートーヴェン《交響曲第5番》の名演を機に、N響との関係は一気に深まる。1995年12月にはベートーヴェン《第4番》《第7番》、1997年3月にはブルックナー《第8番》を指揮。後者はファン投票でその年の「N響ベストコンサート」第1位に選ばれ、長く語り継がれる名演となった。
N響では、定期公演に客演した指揮者へ、その最終日に楽員から花束を贈るのを良き習わしとしている。誰が気を利かせたのか、朝比奈が客演する際には、いつしかその花束にメッセージカードが添えられるようになった。このブルックナーの《第8番》のときのカードには、こんな言葉が記されていた。
「朝比奈先生
今日の事を我々全員は忘れることはないでしょう! 先生の大きな心 音楽への情熱 何よりも先生ご自身の衰えることのない向上心......。私たちは、本当に多くの事を教えられました。いつまでもお元気で! ご一緒できる日が近い事を、待ちわびています。
NHK交響楽団 全メンバー」
このメッセージカードに心の底から感激した朝比奈は、まるで思い続けた相手からようやく受け取った恋文のように、いつもパスケースに入れて肌身離さず持ち歩き、会う人ごとに自慢げに示すのを常としていた。それゆえ、カードはいつしかしわくちゃになったが、朝比奈が亡くなったあとも、主のいない部屋のグランドピアノの上に大切に置かれていたのを、私はこの目で確かめている。
朝比奈にとって、N響は永遠の目標であり、畏敬の対象であった。『NHK交響楽団四十年史』に寄せた祝辞には、「N響の歴史は自分の音楽生活全部でさえある」と書いている。この言葉は決して誇張ではない。青年時代、天井桟敷から驚きと憧れをもって見つめた新響。その公演でメッテルと出会い、やがて自らも指揮台に立った。長い空白を経たのち、晩年になってようやく深い信頼で結ばれたN響の指揮台は、マエストロにとって一世一代の晴れ舞台であり、常に特別なものだったのである。
そして2000年5月、第1408回定期でブルックナーの《交響曲第9番》を指揮し終えた91歳の朝比奈は、歴代の指揮者やソリストが記帳するN響のサインブックに、万感の思いを込めて、ただひと言、こう書いた。
――「日本一の音」。
新交響楽団の創立から100年を迎えるN響へのはなむけとして、そして101年目からの新たな歴史を刻んでいく楽団に贈るエールとして、朝比奈隆がN響について熱く語ったこの言葉を最後に紹介したい。
「僕は常々、N響の若い人たちに言うんですよ。このオーケストラは普通のオーケストラとは違うのだ。大事にして常に高い水準の演奏を保って、のちの時代に伝えていくのだと。日本の音楽そのものの歴史なのだから......。
ただ普通のオーケストラに勤めて給料をもらっているのだ、みたいな気持ちではいけない。ベルリン・フィルとかウィーン・フィルの楽員は、長い伝統を自分たちが背負っているのだという自負と責任感を常に意識しています。それがいちばん大切なことではないですか――」

