シベリウス (1865 - 1957)

アンダンテ・フェスティヴォ

 1922年冬、ジャン・シベリウスはフィンランド中部の町ユヴァスキュラ近郊にあるサウナトサロ製作所の25周年記念式典のために、祝祭カンタータの作曲を依頼された。しかし、それを受けたシベリウスはささやかな弦楽四重奏曲を創作する。彼がカンタータに着手しなかった理由は不明だが、弦楽四重奏曲は短編ながらも祝祭行事にふさわしい清澄な音楽に仕上がった。それが現在、《アンダンテ・フェスティヴォ》のタイトルで親しまれている作品である。
 この作品をめぐっては、二つの興味深いエピソードが有名だ。一つ目は、アメリカの音楽評論家オリン・ダウンズが、シベリウスの祝賀メッセージをラジオ中継でアメリカの聴衆に伝えようとしたことに端を発する。シベリウスは彼の提案を快諾し、《アンダンテ・フェスティヴォ》の演奏で応えることにした。そして1939年1月1日、作曲者自身の指揮、フィンランド放送交響楽団の演奏により、ラジオをとおしてアメリカに生放送されたのである。その際シベリウスは弦楽四重奏稿を弦楽合奏稿に改編するなど、粋な計らいを見せている。今回演奏されるのは、より荘厳な響きを持つ後者の方である。
 二つ目は、フィンランド放送局がそのラジオ中継を録音し、1970年代初頭にLPレコードで発売したことと関連している。その貴重なレコードはシベリウス唯一の自作指揮として長い間、世界中で愛されていた。ところがその音源が、マスターテープのラベルの貼り間違いという制作者側のとんでもないミスによって、まったく別の指揮者(おそらくトイヴォ・ハーパネン)のリハーサル演奏であったことが後に判明してしまう。フィンランド放送局はこの致命的ともいえるミスを公表し、1995年には本物が発売されて現在にいたっている。
 作品は透きとおった天空に大きな弧を描くような朗々とした主題で開始する。暖かさと慈しみを内側に秘めつつ多彩な陰影を加えてゆき、最後は力強いアーメン終止で世界が結ばれる。その音調はシベリウス晩年の透徹した精神を反映しているかのようだ。

作曲年代:オリジナルの弦楽四重奏稿は1922年。ラジオ中継のために改編した弦楽合奏稿は1938年
初演:弦楽四重奏稿は1922年12月28日。弦楽合奏稿は1939年1月1日

(神部 智)