チャイコフスキー (1840 - 1893)

スラヴ行進曲 作品31 (約10分)

 1876年に書かれたチャイコフスキーの《スラヴ行進曲》は、1860~1870年代にロシアで席巻(せっけん)していた汎スラヴ主義のいわば音楽的結晶である。折しも1875年からセルビアなどの南スラヴ諸国で、長く支配下に置かれていたオスマン・トルコ帝国からの解放を求めた独立戦争が勃発(ぼっぱつ)していた。これにたいしてロシアではスラヴ民族への同胞意識とともに独立戦争を支援する世論が高まっていった。
 ロシア音楽協会モスクワ支部でもスラヴ慈善委員会の活動への義援金を集めるために、1876年に慈善演奏会を企画する。この時、チャイコフスキーに委嘱されたのが本作であった。
 当初、「スラヴ民謡にもとづくセルビア・ロシア行進曲」と命名されていたとおり、この楽曲には3つのセルビア民謡と、帝政ロシア国歌《神よ、皇帝を護(まも)りたまえ》が引用されている。
 冒頭、「葬送行進曲の雰囲気で」、か弱く悲しげに流れるのはセルビア民謡《太陽は明るく輝かず》。この哀調あふれる美しい旋律は、5音の順次下行音型からなる。増2度を含む異国情緒あふれる調べで、1867年に作曲されたリムスキー・コルサコフの《セルビアの主題にもとづく幻想曲》でも使われていた。中間部に入り、快活な2つ目のセルビア民謡《懐かしいセルビアの戸口》、3つ目の勇壮な《セルビア人は敵の銃を恐れない》の引用を経て、冒頭主題が情熱的に再現されると、終盤は帝政ロシア国歌を伴いながら祝祭的な輝かしい響きに包まれる。
 1861年の農奴解放後、ロシアのナショナリズムの波はいっそう大きく動き始めた。音楽にもその様子が如実に現れており、片やロシア民謡が、片やセルビア民謡が親和的に使われたかと思うと、中央アジアへの勢力拡大を背景に、東方風の響きを組み込んだオリエンタリズムも色濃くなっている。美しく響く民謡(風)の引用旋律の背後には、当時の人々が共有していた錯綜(さくそう)したロシア性が見え隠れする。

作曲年代:1876年9月25日完成
初演:1876年11月17日(ロシア旧暦では5日)、ニコライ・ルビンシテイン指揮、スラヴ慈善委員会のためのロシア音楽協会モスクワ支部第1回交響楽演奏会

(中田朱美)