R.シュトラウス (1864 - 1949)

楽劇「サロメ」(演奏会形式)(約105分)

 19世紀末の耽美的(たんびてき)・頽廃的(たいはいてき)な世界観を一気に世間へともたらした、アイルランド出身の作家オスカー・ワイルド(1854~1900)。天才的な言葉のセンスで次々と話題作を生みだした時代の寵児(ちょうじ)ワイルドが1891年に執筆(出版は1893年)したのが戯曲『サロメ』だが、多言語を駆使し得たワイルドはこれをわざわざフランス語で書いている(当時のパートナーだったアルフレッド・ダグラスが1894年に英訳)。共観福音書(マタイ、マルコ、ルカの福音書)に記された「ヘロディア(ヘロディアス)の娘」のエピソードは中世以降の絵画では何度も描かれた題材ではあったが、ワイルドがほどこした、洗礼者ヨハネ(ヨカナーン)の生首に口づける場面などの背徳性のために、1896年まで舞台上演はかなわないままだった。
 華やかかつ繊細なイメージのワイルドに比べ、リヒャルト・シュトラウスは、バイエルン人の気質丸出しで洗練さよりはむしろ粗野な言動をもっぱらとしていたことを考えれば、およそワイルドとは異なる気質の持ち主であった。とはいえ、世紀末芸術が生まれる時代の雰囲気を敏感に感じ取り、同時期には交響詩や歌曲の世界において新たな表現様式を世に問うている。
 この時期、オペラの世界での成功を夢見つつ作られた、《グントラム》(1894年)《火の欠乏(フォイヤースノート)》(1901年)は現在に至るまでほとんど上演される機会がない。シュトラウスは、世間の耳目を惹(ひ)く新しい作品を探し続けた末にこの作品にたどり着く。1902年11月、ベルリンで上演された演劇も、その過激な内容のため、観客は招待者のみに限られていた。当時ベルリン宮廷歌劇場で音楽監督を務め、この上演に招かれたシュトラウスが、友人から「君の次回作にピッタリの題材ではないか」と言われた際、「もう頭の中で作曲をはじめているよ」と答えた、というエピソードがある。そのきらびやかな音楽とオーケストレーションをはじめとする音楽の個性が(本人の性格を超えて)この題材に相応(ふさわ)しい、と考えられていたことを示している。
 ヘトヴィヒ・ラッハマンによるドイツ語訳の台本(1900年)に対し、シュトラウスは作曲の過程で大幅な削除をほどこしている。登場人物のひとり(ローマ人ティゲリヌス)をまるごと削除し、舞台の状況を説明する脇役の台詞(せりふ)も大幅に省いて、その内容を音楽で描こうとした。結果として、全1幕、上演に100分前後を要する作品となる。初演は1905年12月9日、ドレスデン宮廷歌劇場で行われたが、この作品がスキャンダラスなものとして大きな注目を集めたのは、この作品が持つ背徳性の故に上演を禁じたウィーンでの騒動があったからだろう。そして強烈な不協和音を含む最先端の「現代音楽」として大きな注目を集めたのは、数多くの音楽家(マーラー、プッチーニ、シェーンベルク、ツェムリンスキー、ベルクなど)や、芸術家・舞台関係者が集まった、翌1906年5月のグラーツ初演であっただろう。
 以下、音楽的な聴きどころを含めたあらすじを掲げる。

全1幕 ヘロデの宮殿・大きなバルコニー
第1場 盛大な宴会のさなか。護衛隊長を務めるナラボートは、ヘロデの妻、ヘロディアスの連れ子である王女サロメにあこがれを抱きつづける(2つの調性を行き来しながら、ねじれた音階を駆け上がる、クラリネット・ソロによるサロメの動機)。庭園の井戸には予言者ヨカナーンが閉じ込められており、直接名指しこそしないものの、ヘロデ夫妻の悪行を非難するが、ヘロデは予言者に手をかけることを怖(おそ)れ、生かしたまま閉じ込めている(自然な流れによる会話を担保するために、逆説的ではあるが変拍子が多用されている)。
第2場 サロメが宴会から逃げ出して月夜の美しさを称(たた)えると、井戸から響くヨカナーンの声を耳にする。そのたくましい声と、ヘロデを誹(そし)る内容の過激さに興味を抱いたサロメは、予言者を井戸から出すよう兵士たちに命じる(ここで演奏される動機によって、サロメがヨカナーンに抱いている感情が「恋」であることが示されるが、この感情が「恋」であることをサロメ自身はまだこの段階では自覚できていない)。
第3場 外に出されたヨカナーンは大声でヘロディアスの姦淫(かんいん)の罪を責め立てる(簡素かつ力強いホルンの斉奏による動機が描くのは、「洗礼者」ヨカナーンの飾らない、信仰に生きる男のひととなり)。サロメはその様子に恐れつつも、やがて恋心を抱く。サロメは、その白い身体(からだ)、黒い髪、赤い唇など、見た目ばかりを褒(ほ)め称(たた)え、何とかしてヨカナーンの気を惹(ひ)こうとするが、彼は応えない。サロメにあこがれるナラボートはこの状況に耐えることができず、ついにはみずからの命を絶ってしまう。ヨカナーンも「呪われよ!」という一言を残し、みずから井戸の中へと戻ってしまう。ヨカナーンをあきらめきれないサロメ。その心にはある決意が芽生える(長大な間奏曲。ワイルドはこの場面のサロメの心情をあいまいにしたが、シュトラウスは第4場直前にイングリッシュ・ホルンや金管楽器などによって不気味に吹き鳴らされる動機を挿入し、首を切ってでも口づける、というサロメの内心の決意を音楽で語らせた)。
第4場 いつまでも宴会の場に戻らないサロメを捜し、ヘロデがバルコニーへとやってくる(その落ち着かぬさまは、中心となる主音のない全音音階で表現される)。不機嫌に押し黙っているサロメの気を惹(ひ)こうと、ヘロデはあの手この手を尽くすがうまくいかない。ヨカナーンを巡る神学論争がユダヤ人、ナザレ人を巻き込んで戦わされ、辟易(へきえき)するヘロデ。ヨカナーンなど殺してしまえ、と迫るヘロディアス。妻の矛先をかわそうと、ヘロデはサロメに踊るように願う。「望みのものを与えよう」というヘロデの言質を取り、踊って見せるサロメ(サロメの踊り。シュトラウスは全体の作曲を終わらせた後でこの音楽を書き上げた。シュトラウス版《ボレロ》と呼べそうなこの場面では、打楽器とソロ・ヴィオラ、オーボエが、オリエント風の官能性を描き出す)。
 望みのものを、というヘロデに対し、サロメはヨカナーンの首を要求する(「母の意志ではない、みずからの意志でヨカナーンの首が欲しい」と歌う箇所で、第3場最後の間奏曲に登場したモティーフが使われ、その意味がはじめて明らかとなる)。ヘロデは何とかして翻意させようとするが、サロメは折れず、ついに要求に屈する。首切り役人ナーマンがヨカナーンの首を落とし、サロメのもとへと持ってくる(超高音のコントラバス・ソロはサロメの喘(あえ)ぎ声か、心臓の鼓動か。ヨカナーンの首が落とされる瞬間は、地鳴りのようなチェロ・コントラバスの強奏だけで表現される)。自分のことを見向きもせず、拒み続けたヨカナーンに対し、サロメは罵詈雑言(ばりぞうごん)の限りを尽くす。やがてサロメは「自分を見たならば、ヨカナーンも自分を愛したはずだ」と本心を顕(あら)わにし、その生首に口づける。やがて唇を離したサロメは喜びを爆発させる(第2場で芽生えた「恋」のモティーフは、この場面の後半と、口づけを果たした後の「恋の達成」へと変容)。その様子を見たヘロデは、兵士にサロメを殺させる(全楽器の咆哮(ほうこう)、4台のティンパニの乱れ打ち、強烈な不協和音)。

作曲年代:1902~1905年
初演:1905年12月9日、ドレスデン宮廷歌劇場にて

(広瀬大介)