チャイコフスキー (1840 - 1893)

序曲「1812年」作品49 (約15分)

 ピョートル・チャイコフスキーの《祝典序曲「1812年」》は、1881年に予定されていたモスクワ芸術産業博覧会の記念演奏会のために委嘱された機会音楽。指揮者兼ピアニストのニコライ・ルビンシテインから依頼され、提示された3つのテーマ、(1)博覧会開会式、(2)皇帝アレクサンドル2世在位25周年記念、(3)救世主ハリストス大聖堂の成聖式典から、チャイコフスキーは3つ目のテーマを選んだ。
 救世主ハリストス大聖堂は、現在もクレムリンそばのモスクワ川河畔にそびえ立つ。1812年のナポレオン戦争の戦勝記念と戦没者慰霊を目的に同年着工され、紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、1883年に成聖された。ナポレオン戦争とは、クトゥーゾフ元帥率いるロシア軍とナポレオン軍との間で繰り広げられた熾烈(しれつ)な戦いを指す。文豪レフ・トルストイの長編小説『戦争と平和』でご存じの方も多いことだろう。ロシアでは祖国戦争と呼ばれ、今もなお愛国心と痛みが織り交ざった記念碑的な出来事として国民の間で共有されている。
 序曲は物語展開を持つ標題音楽の形をとり、祖国戦争の様子を描く。序奏はコラール的な響きで、ロシア正教歌《主よ、汝(なんじ)の民を救いたまえ》が引用されている。この4声コラール風の響きは、チャイコフスキーが好んでよく用いた響きである。ナポレオン軍の進軍は《ラ・マルセイエーズ》の引用で示される。モスクワをいったん占拠するも、冬将軍の前に退却を余儀なくされるナポレオン軍と、撃退に廻(まわ)るロシア軍の攻防が描かれる。ロシア軍の調べとしてロシア民謡風の主題と、ロシア民謡《門の前で》が引用されている。コーダでは冒頭の正教歌が鐘の音とともに壮大に響いたのち、序奏部に現れた主題のひとつが帝政ロシア国歌や大砲とともに轟(とどろ)き、歓声があがる。

作曲年代:1880年9~11月
初演:1882年8月20日(ロシアの旧暦では8日)、イッポリート・アルターニ指揮、モスクワ芸術産業博覧会主催演奏会、建設中の救世主ハリストス大聖堂にて

(中田朱美)