ファリャ (1876 - 1946)

交響的印象「スペインの庭の夜」

 スペイン南端の都市カディスに生まれたファリャがパリへ渡ったのは、1907年夏のことである。その後第一次世界大戦が勃発してマドリードに戻る1914年までの7年間、ファリャはフランス音楽の黄金期にあったパリで過ごした。パリ楽壇の中心にいたドビュッシーやラヴェルによる新しい音階とリズムの研究は、異国情緒への関心とも結びついている。ファリャが紛れもなく「スペイン的」だと感じたドビュッシーの《版画》第2曲〈グラナダの夕暮れ〉は、1903年に作曲され、ラヴェルもまた、1908年に管弦楽のための《スペイン狂詩曲》を発表している。さらにドビュッシーは、管弦楽のための《映像》第2曲となる〈イベリア〉を1908年に完成させた。調や拍をぼやかす彼らのテクニックは、ファリャにはスペイン民謡の抑揚に、自然に和声をつけたかのように響いた。
 《スペインの庭の夜》はこのパリの刺激の中で書き始められ、スペイン帰国後に仕上げられている。絵画的に並べられた3曲からなるこの作品は、とりわけドビュッシーの《交響詩「海」》(1905年)や〈イベリア〉からの影響が色濃い。しかしピアノと管弦楽の組み合わせを、「ピアノ協奏曲」の型に全く引きずられることなく書き上げることは、ドビュッシーもラヴェルもまだできていなかった。彼らが技術で表現したスペインの律動を、ファリャは本物の即興的感性で磨き上げた。ピアノ・パートは時にギターにもカンテ(歌)にも、あるいは打楽器のリズムにも感じ取れる。作品はフランス初演を担ったスペイン人ピアニスト、リカルド・ビニェスに献呈されている。

第1曲〈ヘネラリーフェで〉 「ヘネラリーフェ」とは、アンダルシア州グラナダのアルハンブラ宮殿に隣接する美しい庭園つきの宮殿の名前である。
第2曲〈はるかな踊り〉 場所は定かではないが、イスラム色が強く残るアンダルシアの地に聞こえてくる遠い踊りの音風景と思われる。
第3曲〈コルドバの山の庭で〉 コルドバもやはりアンダルシアの町であるが、北方に山脈が連なっている。第2曲と第3曲は続けて演奏される。

作曲年代:1911~1915年
初演:1916年4月9日マドリード、テアトロ・レアル。ホセ・クビーレスによるピアノ独奏、エレナンド・アルボス指揮、オルケスタ・シンフォニカ

(安川智子)