プロコフィエフ (1891 - 1953)

ヴァイオリン協奏曲 第2番 ト短調 作品63

 人は皆、人生の中で何回か岐路に立たされる。セルゲイ・プロコフィエフの場合、その後の人生を大きく左右した岐路としてよく語られるのが、1936年のソ連への完全帰国であった。帰国後のプロコフィエフは、1930年代後半の粛清(しゅくせい)時代、1948年のジダーノフ批判と、ソ連において最も過酷な音楽文化統制の時代を生きることになる。
 1918年、27歳のプロコフィエフは日本を経由してアメリカに渡る。後に『自伝』(1941年『ソヴィエト音楽』誌掲載)の中で、この時期の作品にみられる5つの傾向として、古典的要素、現代的要素、トッカータあるいは「モーター」の要素(20世紀初頭の工業化を髣髴[ほうふつ]させる、機械が休みなく動いているような様子)、叙情性、グロテスク、を認めている。なかでもグロテスクという言葉は酷評されたときによく持ち出された言葉らしく、ショスタコーヴィチとちがってかなり毛嫌いしているのが面白い。2つ目の現代的要素は音楽院時代に始まり、アメリカからやがてパリを中心としたヨーロッパでの活動を後押しした要素でもある。
 プロコフィエフの和声上の語法などにみられる前衛的な現代性は、1920年代のパリにおいてこの作曲家を時代の寵児(ちょうじ)へと押し上げた。だが彼の成功は陰に陽に舞台作品におけるディアギレフとの共同作業に支えられており、1929年にディアギレフが急逝(きゅうせい)すると、プロコフィエフは強力な後ろ盾を失うこととなる。1930年代に入ってまもなく、プロコフィエフ自身が新しい単純性を標榜(ひょうぼう)し始めたあたりからパリ音楽界との間にできた溝は決定的なものに思われた。そのような状況の中、1932年以降、対照的にソ連では華々しい成功を重ねたのである。自分の演奏会のチケットがソ連では1日で完売となる。その人気ぶりをプロコフィエフは素直に喜んだ。またソ連に住む親友ミャスコフスキーから再三、帰国を勧められたこともあり、1936年までの数年をかけて少しずつ完全帰国への歩を進めた。
 青年時代の作品について作曲家自身が分析した先の5つの要素は、そのままプロコフィエフの生涯にわたる作風の5つの駒としても捉えることができる。ソ連への帰国を経た作曲家の作風からは、前衛性やグロテスクな性格は影を潜め、古典的要素やとりわけ叙情性が前面に認められるようになる。《ヴァイオリン協奏曲第2番》は1935年、まさにこの過渡期に創られた作品。またソ連国外で委嘱された最後の作品となった。
 この頃のプロコフィエフはフランス人ヴァイオリニストのロベール・ソエタンと一緒に、ヨーロッパ各地をめぐる演奏旅行に出かけている。『自伝』によると、1935年初めにソエタンのファンたちから、ソエタンに1年間の独占演奏権を与える条件つきで、新しいヴァイオリン協奏曲を書いてほしいと依頼された。そこでプロコフィエフは演奏旅行の合間を縫って、第1楽章の主要主題はパリで、第2楽章の第1主題はヴォロネジ(ロシア南西部の河港都市)といった具合に創作を続けた。5月23日のソエタンへの手紙ではスケッチを書き終えたとあり、7月27日の妻リーナへの手紙でピアノ・スコアの完了を伝え、その後、8月中旬にオーケストレーションをバクーで行っている。初演は当初パリが考えられていたが、最終的には同年12月1日にマドリードで行われた。
 「音楽の点でも様式の点でも、《ヴァイオリン協奏曲第1番》とは完全に異なるものにしたかった」という本人の言葉どおり、《第1番》(1915~1917年)と《第2番》は対照的である。同じ3楽章構成でありながら、《第1番》は緩急緩、《第2番》は急緩急という構成。この2曲はそのまま青年時代の作風と、ソ連時代の作風を暗示しているようにも映る。なかでも《第2番》では豊かな叙情性に加え、ソ連時代の作品に顕著な美しいメロディ・ラインがそこここで顔を覗(のぞ)かせている。

第1楽章 アレグロ・モデラート ト短調 4/4拍子。ソナタ形式。独奏ヴァイオリンが5拍からなる第1主題を奏でる。後半部分でいったん跳躍上行し、たゆたいながら下行する抑揚はロシア民謡的だが、19世紀ロシア・ロマンス(都会の歌謡曲)の感傷性もほのかに香る。第2主題は同じ時期に初稿を書いていたバレエ音楽《ロメオとジュリエット》を連想させる柔和な響き。
第2楽章 アンダンテ・アッサイ 変ホ長調 12/8拍子。3部形式。冒頭で独奏ヴァイオリンによって奏される甘美な主部主題がやがて対旋律と絡みつつ、華麗に変奏されていく。
第3楽章 アレグロ、ベン・マルカート 変ロ長調 3/4拍子。ABACABAとコーダからなるロンド形式。独奏ヴァイオリンの重音奏法による主題は、やがてカスタネットの乾いたリズムを伴い、スペインの民俗舞曲風の色合いに染まる。生命力あふれるパッセージが徐々にエネルギーを増し、最後は大団円で幕となる。

作曲年代:1935年
初演:1935年12月1日マドリード、ロベール・ソエタン独奏、エンリケ・アルボス指揮、マドリード交響楽団

(中田朱美)