マーラー (1860 - 1911)

交響曲 第1番 ニ長調「巨人」

 グスタフ・マーラーの最初期の交響曲はいずれも散佚(さんいつ)しており、少なくとも4曲は存在したということしかわからない。ついに「交響曲第1番」となったこの作品は、ライプツィヒ市立劇場の指揮者時代、1888年2月から3月にかけて一挙に作曲され、総譜は次の任地ブダペストで完成された。1889年11月20日にほとんど標題のない「2部からなる交響詩」(全5楽章)として同地で初演される(初稿)。無理解に遭ったこともあって総譜は新たに書き直され、1893年10月27日にハンブルクで再演された時は、詳細な標題が公開された。全体のタイトルは自筆譜で「5楽章(2部)からなる交響曲(『ティターン[ギリシア神話の巨人族]』)」、演奏会プログラムで「巨人(ティターン)、交響曲形式の交響詩」と揺れ動く(いわゆるハンブルク稿)。しかしその後、最初の第2楽章「花の章」は削除されて通常の4楽章制となり、終楽章は大きく改訂されて、1896年のベルリンの演奏でも1898年の出版に際しても、タイトルはたんに「交響曲」となり、副題や標題は一切なくなった。音楽の実質はこの時点で固定されており、したがって「巨人」なるサブタイトルをなおも付けることは作曲者の意思に反することを知っておきたい。
 その後も第1楽章に提示部の反復が追加され、また楽器法の徹底した推敲(すいこう)がなされたばかりでなく、演奏上の指示も緻密(ちみつ)に書き込まれていった結果、《交響曲第4番》と並んで最も完成度の高い楽譜となっているが、作曲者本人がたびたび指揮してそのつど手を加えたため、パート譜などの新資料が発見されるたびに、むしろ同一箇所の異本が増え、かえって「作曲家の意図」を決定しづらい結果ともなっている。全集版も注釈が増え、たとえば第3楽章の名高いコントラバス独奏がセクション全体の「パート・ソロ」である可能性が出てくるなど、音楽の実質こそ変わらないものの、細部の判断の積み重ねで作品は微妙に変化する。もっとも作曲者没後一世紀を超えて、ホールも楽器や奏法も大きく変化しているので、いずれにせよ細部についての最終的な判断は演奏者に委ねられる。かつてインバルの薫陶を受けたフランクフルトのオーケストラを引き継ぎ、他方では古楽器的な奏法にも通じた本日の指揮者パーヴォ・ヤルヴィが示す新たな知見に注目したい。
 まったく世代がちがうにもかかわらず、マーラーが発表した最初の交響曲には、エクトル・ベルリオーズの《幻想交響曲》(1830年)と共通する点が多い。まず素材が、場合によっては楽章や大きな部分さえ、既存の自作の流用や寄せ集めであること(作曲期間の短さはこのこととも関係がある)。ベルリオーズについては別の機会に譲るとして、マーラーの場合には、第1楽章の主部全体が《さすらう若人の歌》第2曲の編曲あるいは大いに拡大されたパラフレーズ。主題の引用などという説明では不充分で、《交響曲第2番》第3楽章や《交響曲第3番》第3楽章と同様に、もともと交響曲楽章の拡(ひろ)がりを孕(はら)んでいた歌曲を発展させたのだ。改訂に際して削除された当初の第2楽章「花の章」は以前書いた劇付随音楽《ゼッキンゲンのラッパ吹き》からの流用と推定され、現在の第2楽章には歌曲《ハンスとグレーテ》の田舎の踊りのリズムがあって、第3楽章の葬送行進曲の中間部は、やはり《さすらう若者の歌》第4曲後半から取られている。しかし歌曲のこの部分自体、カンタータ《嘆きの歌》初稿の第1部から転用されたものであり、同じ歌曲前半の闘争的な音楽も、このカンタータに原形がある。交響曲第4楽章で大きな比重を占める「嵐」(「世界苦」)の音楽にあっても、多くの動機やパッセージが《嘆きの歌》を基礎としており、若い作曲家は、世に問う最初の交響曲に、おそらくはそれまでに書いた、その時点では世に出る見込みが薄くなっていた最良のページを、惜しげもなく投入したのだ。そのゆえに、ベルリオーズとマーラーの2人が世に問うた最初の交響曲は、一面では不思議な寄せ集めであり、他方から見れば、いわば徒弟時代の総決算なのである。
 このことは、この交響曲がまだ世に認められない若い芸術家の内面的な自伝でもあることと密接に関連する。《幻想》と題材や順序こそ異なるものの、傷ついた青年を慰める美しい自然、踊りの場面、醜悪な葬送行進曲、壮大な戦いはここにもあり、風変わりな音や独創的な形式にもかかわらず、全曲は器楽のみによる長編の教養小説のように展開するのだ(交響詩として初演したときの標題で『巨人』以外にもジャン・パウルがたびたび言及されたのは、おそらくこの理由から)。

第1楽章 ベートーヴェンの《第9》とまったく別のやり方で無から発生し、陽が昇り霧が晴れるような呼吸で主部に入る。改訂により提示部の反復がついて「ソナタ形式」を標榜(ひょうぼう)するが、再現部以後の発展は意表をつき、展開部では終楽章が予告される。
第2楽章 田舎の踊り風の陽気なイ長調のスケルツォ。「トリオ」部分の表情に注目したい。
第3楽章 緩徐楽章にあたる第3楽章はニ短調の葬送行進曲。陳腐・醜悪・俗悪な音素材による主部と、ト長調の中間部の平安が極端な対比をつくる。
第4楽章 前の楽章から切れ目なくつづき、おぞましい現世に対する嫌悪が爆発する(《交響曲第2番》第3楽章クライマックスの先駆)。へ短調の音楽からニ長調の勝利への進行はかなりの力業だが、これこそ若さの特権というべきだろう。《幻想交響曲》を書いたベルリオーズは26歳、《交響曲第1番》を書いていたマーラーは27歳。輝かしい、しかも異形の交響曲による天才の出発である。

作曲年代:1884~1888年
初演:1889年11月20日、ブダペスト。作曲者自身の指揮

(森 泰彦)