ブルックナー (1824 - 1896)

交響曲 第5番 変ロ長調(ノヴァーク版)

 この壮大な作品も作曲の開始から初演まで、長い道のりを要した。1868年にウィーン音楽院の教授に迎えられたブルックナーは、翌1869年にフランスのナンシーとパリへ演奏旅行に赴き、1871年にはロンドンで行われたオルガン国際コンクールに出場して優勝し、大きな実りを得た。ロンドンから帰国後、彼は新しい交響曲の作曲に取り組む。しかし、《第4番》から《第5番》を作曲していた時期は、ブルックナーは経済的にきわめて困窮した状況にもあった。1875年、彼はこれまで教えていた教師養成学校での職を失っており、《第4番》の写譜を依頼する謝金にも窮している旨を述べている。
 この《第5番》は、《第4番》の第1稿完成の3か月後の1875年2月14日に第2楽章から書き始められた。その後、第1楽章、フィナーレと作曲が進められ、1876年5月16日には一応の完成を見る。そして1877年に入ってから改めて作品全体の推敲が行われ、1878年に完成を見た。しかし、作品完成後、初演に至るまでは長い年月を要した。作品は1894年4月9日、グラーツにおいてフランツ・シャルクの指揮で初演されたが、健康を損ねた晩年のブルックナーはこの初演に立ち会うことはできなかった。さらにその翌年、ブダペストでこの作品の再演がフェルディナント・レーヴェの指揮で行われたが、この演奏会にも出席はかなわなかった。作品は、1896年にこの交響曲を初演したシャルクの校訂によって、ウィーンのドブリンガー社から刊行された。しかし、この初版譜ではフィナーレが122小節にわたって削除されていたほか、作品全体の楽器編成も変更されていた。その後、原典にもとづいたハース版が1935年に刊行され、1951年にノヴァーク版が出された(当日の演奏ではノヴァーク版が用いられる)。
 この交響曲は、規模の長大さもさることながら、コラールの動機や、特徴的な旋律、動機の織り成す音楽の展開は、ある種物語の進行を思わせ、個々の旋律や動機は強いメッセージが込められている。

第1楽章 導入部:アダージョ-主部:アレグロ 変ロ長調 2/2拍子。この交響曲でブルックナーは第1楽章に初めてゆったりとした導入部を置いた。低弦楽器がピチカートでゆったりと奏する中で、その他の弦楽器群が対旋律を奏する。続いて、金管楽器によるコラールを思わせる動機が奏され、やがて主部に入る。提示部では3つの主題が示される。第1主題はヴァイオリンのトレモロに続いてヴィオラとチェロによって提示される。第2主題はヘ短調に転じて、弦楽器群のピチカートで始まる。第3主題は管楽器によるのびやかな楽想である。その後展開部に入る。この楽章で印象的なのは最後のコーダの部分である。導入部の低弦楽器の動機があらためて用いられて、最後はトランペットが第1主題を高らかに奏してこの楽章をしめくくる。
第2楽章 アダージョ、非常にゆっくりと ニ短調 2/2拍子。この作品で最初に手掛けられた楽章で、全体は主要主題の部分と副主題の部分が交代するロンド形式的な5部分から構成される。弦楽器群によるピチカートの前奏ののち、オーボエがメランコリックな主題を提示する。この主題が何度も回帰してこの楽章を統一している。弦楽器群によって奏される副主題は「非常に力強く、はっきりと」と指示され、コラールを思わせる感動的な楽想である。この楽章は、3本のトロンボーンによる、コラールを思わせる音楽によって大きな高まりを見せ、最後は、ティンパニがニ音を奏する中で締めくくられる。
第3楽章 スケルツォ:モルト・ヴィヴァーチェ、急速に ニ短調 3/4拍子。中間にトリオの部分を挟むスケルツォの楽章である。主部は対照的な2つの主題からなるソナタ形式で構成されている。第1主題は木管楽器で提示され、続いてテンポを落として第2主題が奏される。トリオの部分は変ロ長調、2/4拍子に転じ、ホルンの音に導かれて木管楽器が愛らしい主題を提示する。
第4楽章 フィナーレ 序奏:アダージョ-主部:アレグロ・モデラート 変ロ長調 2/2拍子。この楽章では、第1楽章の主題が序奏で再び現れ、いわゆる循環形式の手法を用いている。この手法はベートーヴェンの《交響曲第9番》に由来し、ブルックナーのベートーヴェンからの影響を示す。その後主部に入り、急速なテンポで第1主題が提示され、フーガの書法で展開される。そして提示部の最後の部分で、全休符の後に金管楽器が荘重なコラールの旋律を奏する。その余韻に導かれて、このコラールの主題を用いて展開部に入る。その後、この主題がフーガによって展開されて大きな盛り上がりをみせる。
 コーダでは再び第1楽章の第1主題が用いられ、コラールの主題が全楽器によって堂々と高らかに奏されて、感動的なクライマックスをむかえる。最後は第1楽章の第1主題で全曲が締めくくられる。

作曲年代:1875年2月14日~1876年5月16日。1877年5月16日~1878年1月4日
初演:1894年4月9日、グラーツにて。指揮フランツ・シャルク

(西原 稔)