NHK交響楽団
NHK Symphony Orchestra, Tokyo

 

ニュース

 

2019年4月18日

★SPOTLIGHT★
2019年6月Cプログラム

パーヴォ・ヤルヴィのブルックナー その魅力を探る

 

定期公演で採り上げる作曲家や楽曲にさまざまな側面から迫るこのコーナー。

今回はパーヴォ・ヤルヴィからのメッセージ、音楽評論家・舩木篤也さんによる寄稿で、パーヴォとN響によるブルックナー演奏の魅力を探ります。

 

 

 

 

1

パーヴォ・ヤルヴィが語る
ブルックナー《交響曲第3番》の2つの顔

Paavo Järvi

 

 初めて耳にしたブルックナーの交響曲が《第3番》でした。

 初めて指揮をしたブルックナーもまた《第3番》でした。

 この交響曲がきっかけでブルックナーの虜(とりこ)になりました。いつも私に親密に語りかけてくる音楽です。

 この《第3番》を起点としてブルックナー独特の音楽が確立されていきます。《第1番》《第0番》《第2番》を初期の作品と呼ぶとするなら、《第3番》は「大人の」ブルックナーが顔を見せていると言えるでしょう。

 その一方で、若々しさも同居しています。初期ロマン派の伝統的な交響曲の語法と、これから成熟していく独自の語法が混在しています。つまり、ブルックナーの2つの顔を堪能できる交響曲なのです。ドラマチックな傾向をも感じさせる若い作曲家の姿のなかに、後に叙事詩のような雄大な時間の流れを描く作曲家の顔をのぞかせているのです。

 

ページトップへ ▲

2

[寄稿]
パーヴォ・ヤルヴィのブルックナーには
モーションがあり、アクションがある

舩木篤也

 

ヴァント、マタチッチ、サヴァリッシュ、ブロムシュテット――
N響と巨匠指揮者とのブルックナー

 パーヴォ・ヤルヴィのブルックナーには、モーションがあり、アクションがある。こんなふうに言うと、よほど変わったブルックナーに違いないと思われるでしょうか? 重厚で、荘厳で、多くの儀式がそうであるように、気が遠くなるほど長い――それがブルックナーの交響曲ではないのか、と。

 しかしどうでしょう。私はいま、NHK交響楽団が過去の巨匠指揮者たちと共演したブルックナーの交響曲を思い出します。ギュンター・ヴァント、ロヴロ・フォン・マタチッチ、ウォルフガング・サヴァリッシュ。各人の個性はもちろん異なりますが、彼らのブルックナーはどれも、少しもダレたところのない、きわめて動的なブルックナーでした。そうしてそれらの演奏は、のちのち語り草となったのです。当時を知らない世代の方なら、今年91歳になる同団の桂冠名誉指揮者、ヘルベルト・ブロムシュテットによるブルックナーを考えてみてください。同様のことが言えないでしょうか。

 ブルックナーの交響曲は、静と動、聖と俗が、しばしば巨大な沈黙を挟んで対峙もしくは並列する、実にユニークな音楽です。それを粛々と、ただ荘重に演奏するだけでは、うまくいかないでしょう。ブルックナーをめぐる通俗的なイメージは、少なからぬ誤解を含んでいるように思われます。

 

Bruckner-circa-1860

ブルックナー(1860年頃)

 

グルーヴするブルックナー!

 といって、パーヴォのブルックナーは、過去の巨匠たちの真似事ではありません。なんといっても彼は、2015年からN響首席指揮者として、同団にまったく新しい感覚をもたらしたのですから。

 ある者はその淵源を、古楽の再興に端を発した近年のHIP(歴史的知見に基づくパフォーマンス)に見るかもしれません。パーヴォはたしかにその影響下にあり、あの贅肉を削ぎ落とした響きは、その証しのひとつでしょう。しかし私の見るところ、パーヴォがもたらした新しさの核心は、これとは別の一言で言い当てられるような気がします。「グルーヴ感」がそれです。

 演奏におけるいわく言いがたいノリを指して、ポピュラー音楽でよく使われる、この言葉。グルーヴ感のポイントは、「伸縮」にあります。音楽は、たとえば4拍子で書かれているとき、1・2・3・4と均一の長さで、均一の抑揚で刻まれるものではありません。重みの勘どころが、多くのばあい第1拍に来るとしても、2に来るかもしれない。3や4に来るかもしれない。あるいは拍の位置そのものが、少しずれるかもしれない。それに応じて刻々と音楽を伸縮させ、揺らし、感興を持たせる。こうした姿勢はしかし、20世紀後半のクラシック演奏では、とりわけ歌や劇を伴わない交響曲では、敬遠された気味があります。パーヴォは、そうした長年の禁欲を、ためらいを、「思い切って捨てよう!」と激励するのです。

 基本的にどの作曲家の作品でもそうするのですが、ブルックナーの交響曲に不可欠な動性、すなわちモーションとアクションを、グルーヴ感によって基礎づけた人は、パーヴォが初めてではないでしょうか。ポップスやロックが初めから身の周りにあった世代(パーヴォはエストニアとアメリカに育ち、へヴィメタル・バンドに属していた時期も!)ならではと言えるかもしれません。

 

「設計」されたパーヴォのブルックナー

 パーヴォはこれまでに、N響とブルックナーの交響曲を、《第5番》(2016年2月)、《第2番》(同年9月)、《第1番》(2018年5月)と演奏してきました。当時これらの演奏について、「テンポが速い」ということがよく指摘されました。けれども私は、速度そのものに特別な意義があったとは思いません。

 たとえば《第5番》の終楽章。第2主題の段を、それはもう楽しげに、ピチカートなど例がないほどに弾ませていましたが、何がなんでも新規な印象を与えねばというような、こわばった速さはまったくなかった。目的はおそらく、ひとつには、この歌謡主題がもつグルーヴ感を、今の時代に通用するかたちで示すため。そしていまひとつは、これに続く威厳に満ちた第3主題とのコントラストを、はっきりさせるためでしょう。実際、第3主題は、じつに堂々たる運びでしたし、このコントラスト設計が、あの壮麗なコーダ(終結部)の説得力にも繋がっているのは明白でした。

 パーヴォがかつて私に、この交響曲についてこう語ってくれたのを思い出します。

 

「建築なのですよ、これは。なぜ私がブルックナーを好んで指揮するかといえば、たんに感情を表出するに留まらず、設計することがそこでの仕事となってくるからなのです。計算をひとつでも間違えると、正しい道にはたどり着けなくなります」(2012年3月のインタビュー)

 

 ブルックナー理解において押さえるべき、そうしたツボを押さえつつ、作曲家はもとより20世紀の巨匠たちも考えなかったグルーヴ感を、作品の中から引き出す。かくして21世紀を生きる私たちに訴えかけるブルックナー音楽が生まれるのです。

 

《交響曲第3番》のここを聴く

 このたびパーヴォが指揮するのは、《交響曲第3番》。これまでのN響との共演でも感じたことですが、ブルックナー演奏における彼のうまみは、初期作品で、とりわけよく活かされるように思います。比較的まだ軽量な響きで、独特の――非対称形の――フレーズ構造を特徴とする点が、演奏意欲を刺激するのでしょうか。今回は《第3番》を、3番目の稿で、すなわち、初稿より響きがぐっと厚みを増し、フレーズの造りがすっきりとした1889年稿で演奏するので、初期と後期の「せめぎあい」をどう表現するか、そこも聴きどころとなるでしょう。

 

ページトップへ ▲

3

曲目解説
2019年6月Cプログラム

西村 理

 

 作曲家は、しばしば他の作曲家の存在を意識する。そのことが明白に作品に現れるとは限らないし、どのような形で現れるかは多様である。本公演には、19世紀末から20世紀前半にウィーンで活躍した3人の作曲家の作品が並ぶ。シェーンベルクの弟子であるアントン・ウェーベルン(1883~1945)とアルバン・ベルク(1885~1935)がバッハを、アントン・ブルックナー(1824~1896)はワーグナーを意識して書いた作品である。

 

バッハ(ウェーベルン編)

リチェルカータ (約8分)

 ウェーベルン(1883~1945)はバッハ(1685~1750)の対位法をとりわけ好み、その構造への関心は、無調や十二音技法へと進んでも、彼の音楽の基礎となった。指揮者としても活動していたウェーベルンは、1929年にウィーンの労働者交響楽演奏会でシェーンベルクがオーケストラ編曲したバッハの《前奏曲とフーガ「聖アン」》(BWV552)を指揮した。ウェーベルンは師のバッハ編曲に刺激を受け、徹底的に研究した。そして、ウニヴェルザール出版社から依頼された、シューベルトのピアノ曲《6つのドイツ舞曲》の編曲を終えた時、次の編曲作品としてウェーベルン自ら選んだのが、バッハの《音楽の捧げもの》(BWV1079)のなかの《リチェルカータ》であった。

 《音楽の捧げもの》は、晩年のバッハが1747年にフリードリヒ大王から提示された自作の主題に基づいて作曲した曲集である。曲順もはっきりせず、楽器編成もほとんどの曲で指定がなされていない不思議な曲集である。ウェーベルンは《リチェルカータ》編曲で、彼独自の響きの世界を築き上げている。

 冒頭で提示される主題はひとつの楽器ではなく、複数の楽器によって分担される。トロンボーンの後、ホルンからトランペットと主題が受け継がれていくが、そのことによって主題に含まれる短2度(半音)下行が際立って聴こえてくる。そして分解された主題は提示の度に、楽器の組み合わせが異なり、万華鏡のように変化していく。

 

作曲年代:[原曲]1747年夏 [編曲版]1934年11月~1935年1月21日

初演:[原曲]不明 [編曲版]1935年4月25日、ロンドン、編曲者自身の指揮

 

ベルク(1885 – 1935)

ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出のために」(約27分)

 《リチェルカータ》を自らの指揮で初演した翌年の1936年5月、ウェーベルンはロンドンで、バッハのコラールが引用された、ベルクの《ヴァイオリン協奏曲》を指揮した。前年のクリスマス・イヴに亡くなった親友、ベルクが完成させた最後のこの作品を、ウェーベルンはロンドン公演に先立つバルセロナでの初演も指揮する予定だった。しかし、最後のリハーサルの後、急遽(きゅうきょ)キャンセルしたため、ヘルマン・シェルヘンの指揮で初演された。

 初演でヴァイオリン独奏を務めたクラスナーはこの作品の委嘱者でもあった。彼がベルクにヴァイオリン協奏曲の依頼をしたのは、1935年2月のこと。3月頃には最初期の楽想が書き留められる。ところが、作曲中の4月22日、マーラーの未亡人アルマが建築家ワルター・グロピウスと再婚してもうけた娘マノンが病気のため18歳で亡くなってしまう。マノンをかわいがっていたベルクは悲しみ、この協奏曲を「ある天使の思い出のために」として彼女に捧げることにした。

 全体は2楽章からなり、第1楽章はアンダンテとアレグレット(スケルツォ風)、第2楽章はアレグロとアダージョの部分に分けられる。この作品は十二音技法で書かれているが、その基本音列は冒頭でヴァイオリン独奏によって分割されて現れる。開放弦によってト―ニ―イ―ホという5度音程の動機が印象的に奏でられ、次々と基本音列の音が現れた後、完全な形で基本音列が独奏ヴァイオリンによって提示される。引用も重要な要素である。アレグレットとアダージョの部分でケルンテン民謡および、アダージョの部分でバッハの《カンタータ第60番》のコラール〈われは満ち足れり〉が引用されている。死について歌うこのコラールの引用は、マノンへのレクイエムとしての意味をもつと言える。

 

作曲年代:1935年3月中旬〜8月11日

初演:1936年4月19日、バルセロナ、ヘルマン・シェルヘン指揮、ルイス・クラスナーの独奏

 

ブルックナー(1824 – 1896)

交響曲 第3番 ニ短調(第3稿/1889)(約58分)

 今回のプログラム前半の曲ではウェーベルンは編曲、ベルクは引用というかたちでバッハ作品と向き合っていたが、ブルックナーの《交響曲第3番》とワーグナー作品との関係は別の様相を呈する。

 ワーグナーに心酔していたブルックナーは、1873年、当時住んでいたウィーンから、祝祭劇場の建設中でバイロイトに住むワーグナーを訪問する。その時に作曲中の《交響曲第3番》の献呈が受け入れられたので、ブルックナーはこの作品を「ワーグナー交響曲」と呼ぶようになった。

 《交響曲第3番》は完成しても、初演をウィーン・フィルハーモニー管弦楽団から何度も断られたが、初演の可能性がでてくると、ブルックナーは改訂に着手する。この改訂で、第1楽章と第2楽章での《トリスタンとイゾルデ》や《ワルキューレ》《タンホイザー》からの引用やそれを想起させる楽句が削除された。つまり、ワーグナー作品との直接的な関係は消し去られた。この第2稿は1877年に初演されたが大失敗で、演奏が終わった時、聴衆は25人ほどしか残っていなかったという(そのなかに当時、ブルックナーに師事していた若きマーラーもいた)。にもかかわらず、《第3番》の楽譜は出版されることになった。ブルックナーにとって、初めての交響曲の出版であった。

 しかし、ブルックナーはさらなる改訂に向かう。マーラーは初版を支持し改訂の必要はないと説いたけれども、終楽章では弟子のフランツ・シャルクに手伝ってもらいつつ、最終的にはブルックナーが目を通すという流れで作業は行われた。この第3稿は1890年に出版され、初演は大成功をおさめた。今日まで多くの指揮者はこの稿で演奏している

 第1楽章 より遅く、神秘的に、ニ短調、2/2拍子。弦楽器を背景に4度下行→5度下行の主題がトランペットによって提示される。第2主題は、3+2および2+3のブルックナー・リズムでヴァイオリンによって、第3主題はブルックナー・リズムと重なるように管楽器で力強く提示される。

 第2楽章 アダージョ、動きをもって、ほとんど歩くような速さで、変ホ長調、4/4拍子。3部形式。第2稿で大幅な削除が行われた。第3稿で加わったトランペットのファンファーレがさらに高揚感をもたらしている。

 第3楽章 かなり速く、ニ短調、3/4拍子。スケルツォ楽章。ヴァイオリンによる旋回モチーフと、低弦のピチカートが交互に現れ一気に盛り上がっていく。トリオはワルツの雰囲気でヴィオラが軽快なメロディーを奏でる。

 第4楽章 アレグロ、ニ短調、2/2拍子。3つの主題をもつソナタ形式。改訂される度に短縮され、第2稿から第3稿で再現部が大幅に削除された。最後に冒頭楽章のトランペット主題が登場し力強く終わる。

 

作曲年代:[第1稿]1872年秋~1873年12月31日 [第2稿]1876年5月~1877年4月 [第3稿]1887年~1889年3月

初演:[第1稿]1946年12月1日、ドレスデン、ヨーゼフ・カイルベルト指揮 [第2稿]1877年12月16日、ウィーン、作曲者自身の指揮 [第3稿]1890年12月21日、ウィーン、ハンス・リヒター指揮

 

ページトップへ ▲

 

出演者プロフィール

指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
指揮:パーヴォ・ヤルヴィ

 2018年9月にNHK交響楽団首席指揮者として4シーズン目を迎えたパーヴォ・ヤルヴィは、これまで重点的に採り上げてきたドイツ・ロマン派や北欧の作品に加えて、新たに古典派やストラヴィンスキーに取り組む。その挑戦する姿勢は、発信力の強さと相まって、N響のみならず、日本のオーケストラ界全体にとって大きな刺激となっている。N響とは、録音の分野での成果も目覚ましく、2016年度には「レコード・アカデミー賞」を受賞した。また『ムソルグスキー:展覧会の絵&はげ山の一夜』『マーラー:交響曲第6番「悲劇的」』など新譜のリリースも続いている。一方、海外活動では、2017年にヨーロッパ6か国7都市を回るツアーを大成功に導き、N響の国際的な評価を高めた。

 エストニアのタリン生まれ。現地で打楽器と指揮を学んだ後、アメリカのカーティス音楽院で研鑽(けんさん)を積み、バーンスタインにも師事。シンシナティ交響楽団音楽監督、hr交響楽団首席指揮者、パリ管弦楽団音楽監督などを歴任。現在は、ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団芸術監督、エストニア祝祭管弦楽団芸術監督兼創設者などを務める。2019/20年シーズンからはチューリヒ・トーンハレ管弦楽団の音楽監督兼首席指揮者に就任予定。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団などの名門オーケストラにも客演し、現代を代表する指揮者のひとりとして、世界で活躍している。

 

ヴァイオリン:ギル・シャハム
ヴァイオリン:ギル・シャハム

 イスラエル育ち、現在アメリカ在住のヴァイオリニスト。7歳からヴァイオリンをはじめ、9歳で参加したアメリカ・コロラド州の夏期音楽アカデミーでドロシー・ディレイに見出される。10歳にしてアレグザンダー・シュナイダー指揮によるエルサレム交響楽団との共演でデビュー。次いでズービン・メータ指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団との共演を果たし、ジュリアード音楽院の特別奨学生としてディレイのもとで学ぶ。コロンビア大学で音楽以外の分野も学んだ視野の広さはバロックから現代音楽まで弾きこなす幅広いレパートリーにも表れており、彼のレコーディングはグラミー賞やディアパゾン・ドールなど多くの賞を獲得している。華やかな音色、作曲者の意図を汲(く)み取り誠実に再現する洞察力の深さをもつシャハムは、特に近現代の作曲家の演奏に力を入れており、「1930年代のヴァイオリン協奏曲」と題したプロジェクトを長期にわたり継続中。今回演奏されるベルクも得意とするレパートリーだ。N響とは1989年に初共演、今回で7回目の共演となる。使用楽器は1699年製のストラディヴァリウス「ポリニャック伯爵夫人」。

(長井進之介)

 

ページトップへ ▲

 

公演情報

第1916回 定期公演 Cプログラム NHKホール

2019年6月14日(金)7:00pm  2019年6月15日(土)3:00pm

 

バッハ(ウェーベルン編)/リチェルカータ

ベルク/ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出のために」

ブルックナー/交響曲 第3番 ニ短調(第3稿/1889)

指揮:パーヴォ・ヤルヴィ

ヴァイオリン:ギル・シャハム

 

ページトップへ ▲

 

 

N響について

ニュース・カテゴリー