NHK交響楽団
NHK Symphony Orchestra, Tokyo

 

ニュース

 

2019年2月25日

★SPOTLIGHT★
2019年4月Cプログラム

フランスのエスプリ香る日本・オーストリアの傑作たち

 

定期公演で採り上げる作曲家や楽曲にさまざまな側面から迫るこのコーナー。

指揮を務める山田和樹へのインタビュー、フランス文学研究者の『ペレアスとメリザンド』についてのエッセイなどを交じえ、日本とドイツの作品で組まれた当プログラム(4月C)に不思議に漂う、フランス風官能美の源を探ります。

 

 

 

 

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[INTERVIEW]
山田和樹さん(指揮)に聞く
平尾貴四男《交響詩曲「砧」》、矢代秋雄《ピアノ協奏曲》、シェーンベルク《交響詩「ペレアスとメリザンド」》の魅力と共通点は?

 

――今回のプログラムは日本人作品とシェーンベルクの作品という聴きごたえのあるプログラムですね。どのような意図でこの組み合わせを考えたのですか?

 

 前半のプログラムに日本人作曲家をとり上げたのは、少し大げさに言うと「日本人作品の”再演魔”になりたい」という私のライフワークに関連しています。日本のオーケストラ、それもN響の指揮台に立てるという光栄にあずかった機会に、ぜひ日本の作曲家をとり上げようと思いました。

 「再演魔」と自称しているのは、「初演魔」と異名をとった故・岩城宏之さんへの思いからでもあります。岩城さんはN響とともにたくさんの日本人作品の初演をなさった。当時は日本人の作品自体が少なかったので委嘱し初演することに力を注がれたのです。私は岩城さんには晩年の3年間だけ、目をかけていただくことができました。ほんの短い期間でしたが最後の最後に直接お会いできたご縁を大切にしたい、これを次の世代につなぎたいという思いがあります。自分が今あるのは岩城さんはじめ先達の音楽家のみなさまのおかげですから、彼らが初演をなしとげた作品を機会を見つけて再演するのが私の使命だと思っています。再演の日の目を見ずに眠っている宝のような作品はたくさんあるはずで、平尾作品はまさにそれに当てはまるでしょう。1953年に亡くなった平尾貴四男さんはもちろん、矢代秋雄さんにもお会いしたことはありませんが、オマージュを捧げる気持ちで演奏したいです。

 

山田和樹

 

 後半のシェーンベルク《ペレアスとメリザンド》は、岩城さんと同じくN響の正指揮者として活躍された故・若杉弘さんの没後10年への思いもこめて選んだ作品です。名曲ながらも近年N響の定期公演ではあまり演奏されておらず、若杉さんが日本初演されたゆかりもあり、この作品を選びました。シェーンベルクが無調音楽に進んでいく前のごく初期の作品で、テーマがとてもわかりやすく、よどみなく物語が語られる、私の大好きな作品です。しかし、おいそれと演奏できるものではなく、オーケストラにも相当な技術が要求されます。N響の指揮台に立てるこの貴重な機会に、もっと知られてしかるべきこの曲を紹介したいのです。

 

――初めて聴くという方も多いかもしれません。それぞれの作品の「ここぞ」という聴きどころを教えていただけますか? まずは平尾貴四男《交響詩曲「砧」》はどんな音楽でしょうか?

 

 1942年、戦争中に書かれた作品ですが、時代背景を考えると大変な先駆性があります。戦前にフランスへ留学して持ち前のものとしたその香りを日本人の感性とどう掛け合わせるか――この課題に向き合い、《砧》を独創性をもって作り上げた。旋律と響きに新しさと同時にある種のノスタルジーをも感じます。冒頭こそストラヴィンスキーの《火の鳥》を彷彿とさせるような雰囲気で始まりますが、テーマは日本の音階にも似たシンプルな旋律と、調性がしっかりとあるハーモニーから成り立っています。また、中間部分では、ドビュッシーに似たオーケストレションも見られます。これまで演奏されることが少なかったのですが、第2次世界大戦中のカオス、混沌(こんとん)とした時世の中で、彼が訴えようとした音楽は、時代を超えて響くと思います。そこを嗅ぎ取っていただきたいですね。

 

――矢代秋雄《ピアノ協奏曲》のソリストは河村尚子さんですね。

 

 私にとっても河村尚子さんにとっても、この作品への初めての挑戦です。今回、ぜひ河村さんでと思ったのは、パーヴォ・ヤルヴィさん指揮による2017年6月N響定期公演にソリストとして登場した際の演奏を聴いてのことです。サン・サーンス《ピアノ協奏曲第2番》でのピアニズムの素晴らしさにあらためて感じ入りました。彼女のピアノには音楽的なダイナミズムだけではなくて、生きることそのものの迫力を感じます。私がバイタリティで敵わないなと思う数少ない人なんです。そんな彼女とともに矢代秋雄に挑みたいと思ったのです。

 矢代さんもフランスで学ばれた方。当時はドイツかフランスかどちらの留学先を選ぶかで音楽の潮流もまったく違いましたから、彼がフランスを選んだのはその美の感覚や香りにひかれてだと思います。迷宮に迷い込んだかのような錯覚すらおぼえる第1楽章、同音の連続をテーマとした第2楽章、ダイナミズム溢れる第3楽章、全編を通じて色彩あるオーケストレーションが印象的です。河村さんと共に、オリジナリティのある色彩や香りを探りたいですね。

 

山田和樹

 

――シェーンベルク《交響詩「ペレアスとメリザンド」》にはどんな楽しみ方がありますか?

 

 シェーンベルクといえば無調性や十二音技法を思い浮かべると思いますが、この作品は彼がまだ調性のある音楽を作っていた初期の作品です。なんといってもその魅力は、官能性。ただただ、響きの中に身を投じて音のシャワーを浴びていただいて、気持ちいいな、快感だな、と浸るのが最高の楽しみ方だと思います。細かく言えば、ペレアス、メリザンドなどの主題があって音楽が展開されていくのですが、その間ずっと心地よい響きが流れているのです。とにかくシェーンベルクが生みだした官能性を楽しむに尽きますね。

 

――このプログラム全体を通して流れるテーマはどんなものですか?

 

 フランスに憧れてフランスに学んだ日本人2人の音楽からは、おのずとフランスの色、温度、香り、そして毒気も含まれていて、そこに官能性も感じ取れると思います。

 そして、シェーンベルクの生きていた当時のウィーンも、パリに劣らず、また違った色彩と香りにあふれた都市でした。フランス文学の『ペレアスとメリザンド』という物語にひかれて題材としたのも、音楽の中にすべての芸術が同時に存在するようなウィーンという都市の独特な熱気に後押しされたのではないでしょうか? シェーンベルクはフランス音楽にも通ずるような香りと毒気をもって官能美を描いたのです。共通するのは官能性ですね。

 

――ブザンソン指揮者コンクールで優勝され、現在はモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督である山田さんは、フランスの香りには通じていらっしゃるのですね。

 

 パリやモナコなどフランスで仕事をすることも大変に多いですし、フランス音楽への共感はあります。音楽の中に色や温度、香りを感じたいといつも思っているんです。そして香りの中に風刺や皮肉、ある種の毒気を感じ取ることで官能性が匂い立ってくると思います。その匂いをN響から引き出すことができれば良いなと思います。しかし、そんな音楽にするための方程式などはないので簡単ではないと思うのですが、「N響」と「官能性」が一体となるような演奏会にするべく、身を引き締めています。

 

山田和樹

 

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[寄稿]
象徴の森の向こうへ
――メーテルリンク、シェーンベルク、ドビュッシーの『ペレアスとメリザンド』

博多かおる

 

メーテルリンクの戯曲:既視感と象徴性

 うっそうたる森、朽ちかけた城、癒やす力を失った奇跡の泉……。どこかで聞いたことがあるような物語のかけらや、素朴で謎めいた言葉から織りなされる戯曲『ペレアスとメリザンド』。この物語はなぜ19世紀と20世紀の節目に、崩れゆく世界から創造の泉を湧かせ、ドビュッシーやシェーンベルクのような新しい音楽言語の探求者の想像力をかきたてたのでしょうか。

 ベルギーの作家モーリス・メーテルリンクが1892年に発表した『ペレアスとメリザンド』は翌年パリで初演されました。この戯曲が音楽的な着想を生みやすかったのはまず、西洋の恋愛物語の原点にある三角関係を題材としているからでしょう。年上の男、若き妻、夫の近親者の若者の恋を描く点で、ワーグナーが音楽化したケルト系説話『トリスタンとイゾルデ』とも似ています。また『ペレアスとメリザンド』は水の精の物語とも言われてきました。王国の王子ゴローが森の泉で見つけて結婚するメリザンドは、大切な指輪を泉に落とし、ゴローの腹違いの弟ペレアスと恋に落ちます。嫉妬したゴローに刺されたペレアスは泉に沈み、城は水に浸されていきます。その意味では男たちを破滅させる、水の精の姿をした「宿命の女(ファム・ファタル)」の物語でもあります。

 

ドビュッシー《歌劇「ペレアスとメリザンド」》の楽譜を読むポール・デュカスとモーリス・メーテルリンク©フランス国立図書館/Gallica

 

ドビュッシー《歌劇「ペレアスとメリザンド」》の楽譜を読むポール・デュカスとモーリス・メーテルリンク
©フランス国立図書館/Gallica

 

 この戯曲には一種独特な謎めいた雰囲気があることも事実です。それは暗示力豊かな事物をちりばめたテキストのせいかもしれません。水や光、動植物、色彩、形、数などすべてが何かを表しているようです。メリザンドの本性をほのめかし、2人の男性との関係性を語る生々しい象徴はその髪でしょう。メリザンドが金色に輝く長い髪を泉に浸すと、メリザンドと水の深い関係がにおい立ちます。3幕2場で恋するペレアスは塔から垂れたその髪を愛撫し、4幕2場で嫉妬に狂ったゴローは髪をつかんでメリザンドをひきずります。

 暗示の連鎖がさらなる謎を生みます。メリザンドの髪は「光の束」と形容されており、水と光は親密な関係ですが、光は対比的な闇のテーマとも呼応し、光と闇は「見える/見えない」という主題とも絡んでいきます。戯曲にも、テーマによる暗示や対位法的な手法があるのです。ゴローは不倫の証拠を具体的に見つけようと躍起になりますが、アルケル王は「目をあけたままで人をゆるそうとしたり自分を見つめようとしたりすると失敗する」と言います。こうした格言めいた表現は多くを言っているようで、何も言い切らないままです。ゴローが最後までメリザンドに「真実」を告白させようとしても、メリザンドは「真実は……」とつぶやき息絶えます。推測が広がった先は空白で、言葉も恋も人も語り尽くされずに消えていくはかなさがきわ立ちます。

 

ドビュッシー《歌劇「ペレアスとメリザンド」》でメリザンド役を務めたメアリー・ガーデン(1903年)©フランス国立図書館/Gallica

 

ドビュッシー《歌劇「ペレアスとメリザンド」》でメリザンド役を務めたメアリー・ガーデン(1903年)
©フランス国立図書館/Gallica

 

シェーンベルクが描いた濃密な心理劇

 《交響詩「ペレアスとメリザンド」》を書いたシェーンベルクは、省略や場面の前後はあっても、メーテルリンクのすばらしい戯曲を細部までくまなく再現しようとしたと述べています。愛の場面を中心に据えたとも断っていますが、たしかにこの交響詩は人物や状況を表すモチーフを使い、愛の目覚め、疑い、嫉妬、後悔などを切迫したドラマとして大編成のオーケストラに語らせています。後に「十二音技法」の先鋭的なイメージを持つようになる作曲家ですが、30代にさしかかるシェーンベルクはロマンチックな半音階的和声も用い、心の襞(ひだ)をなぞるように三角関係の愛憎を描きました。

 戯曲にあった象徴性は音のドラマで新たな次元を帯びていきます。冒頭から、陰鬱な森のモチーフはクレシェンドとデクレシェンドを続けて不気味にうごめいています。森は謎の生まれる深み、何がそこから出てくるかわからない深層心理をも示しているようです。森の闇をぬって、運命のテーマが鋭く響きます。斬新な色彩をまとった楽器の響きが、変化していく人間心理を閃光(せんこう)のように照らし、言葉とは異なった力でそのはかり知れない深みをほのめかします。

 メリザンドの髪をペレアスが愛撫する場面では、アルペッジョの絡め取るようなうねりが髪の官能性を際立たせます。髪と戯れるペレアスの恋心は甘く心惑う音楽で表現されるのに対し、自分をひきつけた得体の知れないものを力づくで支配しようとするゴローの、「真実」をつかめない怒りは、ティンパニや金管楽器の炸裂(さくれつ)で表現されます。

 シェーンベルクはモチーフに物語を語らせると同時に、交響詩の4部をつなぐ複雑な音楽構成を支える要素としてもそれらを用い、入り組んだ技法から緊迫した心理劇を生み出しました。言葉がないからこそ、恋の甘美さと残酷さの表裏一体性がいっそう濃密に聞こえてきます。

 

シェーンベルクの自画像(1907年)

シェーンベルクの自画像(1907年)

 

ドビュッシーが生かした余白と素材感

 シェーンベルクの交響詩の切迫した官能性に対し、12歳ほど年上だったドビュッシーの《歌劇「ペレアスとメリザンド」》では、謎が宙吊りになる雰囲気が尊重されています。シェーンベルクが音楽のみでドラマを語ったのに対し、ドビュッシーは言葉からも音楽を引き出しました。つまり言葉の音韻や抑揚を旋律に生かし、言葉に秘められたイメージを楽器の色彩感に滲(にじ)ませたのです。その結果、登場人物が語っている印象も強く残ります。「真実」という言葉は指輪をなくした場面でペレアスが口にするとのびやかなリズムを感じさせますが、末尾でゴローの口から出ると濃い執着の響きを持ち、メリザンドの口から出ると謎めいた余韻を残します。

 さらにオペラであることから、空間的な構成も活かされました。塔の上から洞窟の深みまで高低の力学が感情の流れと絡み、音の表現に結びつきます。水と光など、ドビュッシーが好んで表現した素材は、抽象的な概念を暗示するのみでなく素材としての質感を放ちます。メリザンドが塔から髪を垂らす場面では、髪に反映する光の粒子の移動が聞こえるかのようです。

 作家マルセル・プルーストは『失われた時を求めて』で、ドビュッシーの音楽が表したメーテルリンクの戯曲のもの悲しさと捉えどころのなさに言及しています。ドビュッシーは物ごとを言い切ってしまわない、自分の夢想をそこに継ぎ足すことができる詩を探していました。オペラも、言葉の抑揚と和声の出会いから醸し出されるものが戯れ合う余白を残しているようです。

 聞いたことのあるような物語でありながら、解釈の余地を多く残す謎めいた作品が『ペレアスとメリザンド』なのです。言い得ないものを「ほのめかす」言葉から織りなされた戯曲が、スタイルの違いはあれ、作曲家のその時期における独自の表現を引き出したのではないでしょうか。

 

ドビュッシー《歌劇「ペレアスとメリザンド」》4幕を描いたロシュグロスのポスター(1902年)をもとにした版画(1913年)©フランス国立図書館/Gallica

 

ドビュッシー《歌劇「ペレアスとメリザンド」》4幕を描いたロシュグロスのポスター(1902年)をもとにした版画(1913年)
©フランス国立図書館/Gallica

 

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曲目解説
2019年4月Cプログラム

野平一郎

 

 山田和樹の指揮による今回のNHK交響楽団定期公演、前半はいずれもわが国が生んだ重要な2作品であり、作曲家がフランスで学んだという共通項を持っている。初演はいずれもNHK交響楽団によって行われ、後者はNHKの委嘱作品として生み出された。日本を代表する管弦楽作品・協奏曲作品のレパートリーとして定着し、すでに再演が多く重ねられている。

 そして後半には20世紀初頭の絢爛(けんらん)豪華なシェーンベルクの初期の傑作。まさにオーケストラの爛熟期(らんじゅくき)であり、現代音楽の夜明けといってもよい。誠に興味深い組み合わせのプログラムである。

 

平尾貴四男(1907 – 1953)

交響詩曲「砧」(1942)(約15分)

 平尾貴四男はパリのスコラ・カントルム、およびエコール・セザール・フランクでダンディの高弟だったギー・ド・リオンクールや、アルベール・ベルトラン等に学び1936年に帰国すると、NHK交響楽団の前身である新交響楽団による邦人作曲コンクール第1回および第2回に、《古代旋法による緩徐調》(後に《古代賛歌》へ改名)、《楽劇「隅田川」》が連続して入選。またこの《交響詩曲「砧(きぬた)」》が初演される1942年には、新交響楽団が改組され誕生した日本交響楽団によって、《古代賛歌》の再演や、ソプラノとバリトンを伴う《おんたまを故山に迎う》(詩:三好達治)が初演されている。

 《砧》は世阿弥(ぜあみ)の同名の能楽作品によるもので、日本的な情緒を洗練された音使いや、フランスで学んだ平尾ならではの色彩豊かな管弦楽法でまとめた印象的な作品である。砧(洗濯した布を叩いて柔らかくしたり皺〔しわ〕を伸ばす道具)を打ちながら、留守宅で夫の帰りを長年待っている女性の情念や悲しい感情が、この作品に独特な雰囲気を与えている。交響詩のようにさまざまなテンポや特徴をもった部分を1楽章の流れにまとめていて、それは能の『砧』のストーリーを忠実に追ったものというよりは、『砧』から受けた印象を抽象的に音楽に昇華させたものといえよう。

 まぎれもなくロマン派を基盤にしながらも、より大ぶりな旋律をふんだんに取り入れた彼の作風は、まさに「新ロマン主義」というにふさわしい。やがてその音楽は、映画音楽をはじめとするアメリカの大衆音楽に、大きな影響を与えることになるだろう。

 大まかに3つの部分に分けると、まずレント・ミステリオーソの序奏に続くアレグロの主要部分、短いヴィーヴォを挟んで、レントで3/4拍子の叙情的な第2部分、いきなり金管楽器が炸裂(さくれつ)しアニマートとなる第3部分は、フィナーレの性格を持ったリズミックな音楽。さらにピウ・モッソ、プレスト、プレスティッシモとテンポを段階的に上げながら作品のクライマックスを築き、最後はトランペットによるコーダで幕を閉じる。

 

作曲年代:1942年

初演:1942年10月21、22日、尾高尚忠による指揮、日比谷公会堂、日本交響楽団第239回定期公演

 

矢代秋雄(1929 – 1976)

ピアノ協奏曲(1967)(約27分)

 矢代秋雄は東京音楽学校作曲科で学んだ後、フランスのパリ国立高等音楽院でトニ・オーバン他に師事した。1956年の帰国後は日本フィルシリーズ第1作《交響曲》(1958)、NHK交響楽団の委嘱作《チェロ協奏曲》(1960)、大原美術館委嘱による《ピアノ・ソナタ》(1961)などを作曲したが、完成度の高い作品を求めるあまり、生涯きわめて寡作(かさく)を貫いた。長い懐胎期間を経たこの《ピアノ協奏曲》も、それまでの作品と同じく洗練された構造と確固たる書法、そして演奏効果が追求され、矢代のピアノへの深い造詣とも相まって、現代日本を代表するピアノ協奏曲という位置を確立することとなった。第22回芸術祭奨励賞、第16回尾高賞を受賞。

 第1楽章 アレグロ・アニマート。弦の弱奏を背景にしたピアノの印象的な第1主題、ピアノがアルペッジョで伴奏するフルートによる第2主題の2つの主題をもとにしたソナタ形式の楽章。リスト《ピアノ協奏曲》やメシアン《トゥランガリラ交響曲》などの先例にならって、何か所かにソロのカデンツァが巧みに挿入されている。

 第2楽章 アダージョ・ミステリオーソ。ある種のパッサカリアといえるだろうか。ピアノ中央のC音が反復されるリズム形が楽章全体にわたってオスティナートとして繰り返される。このC音は続く部分で、ピアノのさまざまな音域に置かれていくだけではなく、オーケストラにも波及し、和音や音色を変えては反復される。全体はアーチ形の構造で、ピアノの流麗なパッセージに続く非常にドラマチックな場面を中央に持ち、最後は冒頭と同じくピアノ中央のC音が繰り返され、静寂の中に消えていく。

 第3楽章 アレグロ─アンダンテ─ヴィヴァーチェ・モルト・エ・カプリッチョーソ。ロンド形式を主体に、ピアノのきわめて技巧的なトッカータが続いていく。金管の切分音的なパッセージや第1楽章の回想がそれに挟まれる。

 

作曲年代:1964~1967年

初演:[放送初演]1967年11月、中村紘子の独奏、若杉弘の指揮、NHK(同年7月スタジオ収録) [公開初演]1967年11月29日、中村紘子の独奏、森正の指揮、NHK交響楽団、「現代日本の作品の夕べ」にて(なお、この作品は第16回尾高賞を受賞し、1968年3月5、6日のN響定期公演で同じソリスト、岩城宏之指揮で再演されている)

 

シェーンベルク(1874 – 1951)

交響詩「ペレアスとメリザンド」作品5 (約40分)

 アルノルト・シェーンベルクが、その創作初期に書いた交響詩。モーリス・メーテルリンクの同名の戯曲による。中世ヨーロッパを舞台にする象徴主義的な『ペレアスとメリザンド』は、19世紀末の初演以来作曲家の関心を集め、この交響詩以外にもドビュッシーのオペラ、さらにフォーレやシベリウスの付随音楽を生み出したことでも知られている。ワーグナーの楽劇で使われたようなライトモチーフ(指導動機:劇中の登場人物や事物、さまざまな状況や概念を音楽で表す)を用いながら、戯曲の筋に沿って音楽が展開する一方で、連続するひとつの流れの中に交響曲の4楽章構造が用いられている。

 全体はしたがって4部に分かれている。第1部:アルモンド王国の王子ゴローは森の中でメリザンドと出会い、城に連れ帰り結婚する。メリザンドは城でゴローの弟ペレアスと出会い、2人は互いに惹(ひ)かれ合う。第2部:しかしそれはゴローの嫉妬(しっと)心を誘発し、その怒りは頂点に達する。第3部:翌日に旅立つことを決めたペレアスは、メリザンドと城の庭園で最後の夜を過ごす。愛の場面。嫉妬に狂ったゴローはペレアスを刺殺。第4部:メリザンドは衰弱しベッドに横たわっている。ゴローは自分の行為を反省するが、未だペレアスとメリザンドの間の真実が分からずに嫉妬はおさまらない。しかしメリザンドの死期がせまる……。

 20世紀初頭の豊麗な大管弦楽の響きと、緻密(ちみつ)なモチーフの絡み合い、複雑な対位法、そして拡大された調性による新しい和声の響きが結びついた稀有(けう)な作品だと言えるだろう。

 

作曲年代:1902~1903年

初演:1905年1月25日、作曲者自身の指揮、ウィーン演奏協会管弦楽団(現ウィーン交響楽団)

 

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出演者プロフィール

指揮:山田和樹
指揮:山田和樹

 山田和樹がNHK交響楽団と共演するのは、2016年1月定期公演Aプログラム以来3年ぶり3度目。山田の素晴らしさは、師弟関係や文化圏の枠を超え、音楽の先人すべての業績を自身の土台へと取り込み、全く新しい表現へと昇華させる使命感、技量の確かさにある。時に「ヤマカズ21」を名乗り、昭和の大指揮者で作曲家、山田一雄の目指した世界の間接的後継者であることも公言。「西洋音楽を日本文化の文脈にどう、根づかせるか」の課題をデビュー前から真剣に究め、数多くの実演を通じてレパートリーを広げ、日本の聴衆とともに歩んできた。その現場感覚は今、国際水準の評価を受ける段階にきた。2012年以降、ジュネーヴのスイス・ロマンド管弦楽団、モナコの首都のモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団それぞれの首席客演指揮者を歴任し、2016年には後者の音楽監督兼芸術監督に昇任。2018/19年のシーズンには英バーミンガム市交響楽団の首席客演指揮者にも就いた。2019年1月に40歳となった今、山田は日本の俊英から世界のマエストロへ、音楽の翼を大きく広げつつある。

(池田卓夫)

 

ピアノ:河村尚子
ピアノ:河村尚子

 兵庫県西宮市生まれ。1986年に渡独し、ハノーヴァー国立音楽芸術大学でウラディーミル・クライネフに学ぶ。2006年にミュンヘン国際音楽コンクールで第2位、翌年にはクララ・ハスキル国際ピアノ・コンクールで優勝した。ショパンやシューマン、ラフマニノフなどのCD録音でも知られ、2018年には4年ぶりとなる新録音『ショパン:24の前奏曲&幻想ポロネーズ』を発表。同年から2年にわたり、ベートーヴェンのソナタ14曲のチクルスを展開している。2011年からエッセンのフォルクヴァング芸術大学で教え、2015年から教授を務める。

 近年では、フェドセーエフ指揮モスクワ放送交響楽団、ルイージ指揮ウィーン交響楽団、ヤノフスキ指揮ベルリン放送交響楽団、ビェロフラーヴェク指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、山田和樹指揮バーミンガム市交響楽団ほかと共演。30年来ドイツを拠点に活躍し、独墺やロシアの協奏曲を多く披露してきた。N響定期公演へは、2012年ノリントン指揮ベートーヴェン《第4番》で初登場。2017年にパーヴォ・ヤルヴィ指揮サン・サーンス《第2番》でフランス近代音楽に進境を示したのに続き、このたび山田和樹の指揮で矢代秋雄の名作に臨む。

(青澤隆明)

 

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公演情報

第1910回 定期公演 Cプログラム NHKホール

2019年4月19日(金)7:00pm  2019年4月20日(土)3:00pm

 

平尾貴四男/交響詩曲「砧」(1942)

矢代秋雄/ピアノ協奏曲(1967)

シェーンベルク/交響詩「ペレアスとメリザンド」作品5

指揮:山田和樹

ピアノ:河村尚子

 

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N響について

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