ショスタコーヴィチ (1906 - 1975)

交響曲 第11番 ト短調 作品103「1905年」(約60分)

 「1905年」という標題のとおり、この曲はロシア革命の発端となった1905年1月9日の「血の日曜日事件」、すなわち、皇帝の居城であるサンクトペテルブルクの冬宮殿に向かって請願行進をしていた民衆が、皇帝軍によって一斉に銃殺された事件を描く標題交響曲である。その主題には当時の革命歌が多数引用され、各楽章の「場面」は、映画音楽に比されるほど描写的であることから、長らく「時代遅れの社会主義リアリズム」の典型と見なされてきた。
 しかしながら、友人の回想によれば、ショスタコーヴィチは「この作品は《森の歌》(体制への妥協作として悪評高い)とは全く違う作品になるだろう」と語っており、単なるプロパガンダとは区別していた。またショスタコーヴィチの近親者たちは、1956年に発生した「ハンガリー動乱」(ハンガリーの自由化運動がソ連の軍事侵攻で弾圧された)に対する体制批判的な意図をこの作品の裏に読み取ろうとしたが、それを支持する確証は何もない。それならば一体、ショスタコーヴィチの真意はどこにあったのだろうか。
 1956年の第20回共産党大会は、スターリン独裁の罪を暴露したフルシチョフの秘密報告で有名である。これを機に国内の思想表現の自由化が進むと同時に、スターリン以前の共産主義建設の理念への回帰が叫ばれた時代である。ロシア革命の息吹を今に伝える革命歌の精神に立ち返り、今一度ソ連史を振り返ろうとしたショスタコーヴィチの真意も、恐らくはこうした状況の変化と密接に関連していた。それがハンガリー動乱と重なったことで予期せぬ政治的な含意を示唆したのは歴史の皮肉だが、無辜(むこ)の民衆に対する弾圧の歴史が続くかぎり、この作品は強いメッセージを放ち続けるだろう。
 第1楽章〈王宮前広場〉 アダージョ、ト短調、4/4拍子。交響曲の導入的な楽章。凍(い)てついたサンクトペテルブルクを表す弦楽器の虚(うつ)ろなコラール、不気味なティンパニの動機、それにトランペットのもの哀しげなファンファーレは、いずれも冬宮殿のライトモチーフである。中間部では、囚人歌《聞け》《夜は暗い》が相次いで奏される。
 第2楽章〈1月9日〉 アレグロ、ト短調、9/8拍子〜4/4拍子。全体で826小節にも及ぶ巨大な音画であり、前半ではショスタコーヴィチの無伴奏合唱曲《革命詩人による10の詩曲》の第6曲〈1月9日〉に由来する主題で民衆の請願行進が描かれ、後半は冬宮殿のライトモチーフに基づくフガートで壮絶な悲劇が展開される。
 第3楽章〈永遠の追憶〉 アダージョ、ト短調、4/4拍子。〈永遠の追憶〉とはロシア正教の死者を弔う聖歌である。主部は革命歌《同志は倒れぬ》による葬送行進曲だが、中間部では革命歌《こんにちは、自由よ》に基づく感動的な高揚を見せ、その頂点で〈1月9日〉の主題が回帰する。
 第4楽章〈警鐘〉 アレグロ・ノン・トロッポ〜アレグロ、ロ短調〜ト短調、2/4〜3/4拍子。金管が提示する革命歌《圧制者たちよ、激怒せよ》の発展のあと、弦楽合奏が提示する革命歌《ワルシャワ労働歌》がつづき、これにスヴィリドフのオペレッタ《ともしび》の一部がファンファーレ風に加わる。やがてこれまでの主要主題が合流する怒濤(どとう)のような展開部を経て、全オーケストラが〈1月9日〉の主題を歌い上げる感動的なクライマックスを迎える。哀歌を思わせるイングリッシュ・ホルンの独奏を経て、さらなる闘争を予告する決然とした音楽に戻り、ベルが長調と短調の間を揺れ動きながら、最後まで「警鐘」を鳴らし続ける。

作曲年代:1957年2〜8月
初演:1957年10月30日、ナタン・ラフリン指揮、ソビエト国立交響楽団、モスクワ

(千葉 潤)