ヨハン・シュトラウスII世 (1825 - 1899)

皇帝円舞曲 作品437(約12分)

 こちらも、もとは「手に手を取って」という曲名が付いていたが、ベルリンのジムロック社が出版にあたって強く要請し、《皇帝円舞曲》と改められた。
 ベルリンとウィーン。この2つの都市は、ことヨハンの生きた時代にあってはライバルなどという生やさしい言葉では括(くく)りきれない、敵同士だった。それが噴出したのが、ドイツ統一に際して誰がイニシアチブをとるのかという問題をめぐり、ベルリンを首都とするプロイセン王国と、ウィーンを首都とするオーストリア帝国が1866年に戦争を交えた事件である。結果はプロイセンの大勝に終わり、オーストリアはドイツ統一の動きから排除されるだけでなく、プロイセン率いる強大なドイツ帝国の影に置かれ続けることにもなった。
 それでもやがて、バルカン半島に勢力を伸ばすロシア帝国を警戒するという点で両国は一致。かつての恩讐(おんしゅう)を超え、一応は友好関係が築かれる。そうしたなかで、ベルリンに完成した総合娯楽施設「ケーニヒスバウ」のこけら落としを記念してヨハンが新たに書き下ろしたのが《ワルツ「手に手をとって」》つまり《皇帝円舞曲》だった。鉄の規律を誇る軍隊で知られたプロイセン風の行進曲を彷彿させる前奏に、オーストリアの中心地ウィーンで花咲いたワルツが続く。
 この小品に脈打つ黄昏(たそがれ)の色合い。それは、晩年に近づきつつあったヨハン自身の、あるいは落日の時を迎えつつあったオーストリアの、最後の光芒(こうぼう)だったのか。

作曲年代:1889年
初演:1889年10月21日、作曲者自身による指揮、ベルリン、ケーニヒスバウ

(小宮正安)