ストラヴィンスキー (1882 - 1971)

幻想曲「花火」作品4 (約4分)

 ストラヴィンスキーが世界に羽ばたくきっかけになったのが《花火》である。すでに師であるリムスキー・コルサコフからは名目上、「卒業」していたが、いまだ師弟関係は密であり、この曲も師の娘の結婚祝いとして書き始められた。自伝によれば、この曲を書き上げて送付したところで、リムスキー・コルサコフは亡くなってしまい、楽譜は配達不可能のために返って来たという。しかし実際のところ、《花火》は師の死後、すなわち1908年6月以降にも作曲が継続して行われたらしい。真っ白なカンバスに直接、絵の具を塗りつけるがごとく、多彩な音色が音空間を飛び跳ねる。1909年の初演の場には、セルゲイ・ディアギレフがいた。この伝説の興行師はやがてロシア・バレエ団を結成し、その座付き作曲家としてストラヴィンスキーをフランスへ、そして、世界に連れていくことになる。

作曲年代:1908年5~6月(秋まで作曲が継続した可能性あり)
初演:1909年2月6日、サンクトペテルブルク、指揮者アレクサンドル・ジロティの主宰するジロティ演奏会にて

(藤田 茂)