ヨハン・シュトラウスII世 (1825 - 1899)

喜歌劇「こうもり」序曲(約9分)

 「ワルツ王」の異名で親しまれているヨハン・シュトラウスII世だが、彼は1870年代に入ると、ダンス音楽で培(つちか)ったノウハウを基にしながら、喜歌劇の世界に乗り出すようになる。《こうもり》は、そんなヨハンの喜歌劇第3作目。倦怠期(けんたいき)を迎えたブルジョア夫婦が、互いにそうとは知らず舞踏会に呼ばれて、騙し騙されの喜劇的恋愛を繰り広げるという、一見たわいもないストーリーだ。だがその裏側には、作品が誕生する前年の1873年、都市改造や万国博覧会に沸くウィーンを襲った株価大暴落事件が影を落としている。
 予想外の事件に意気消沈するウィーン市民。そんな彼らに元気を与えるべくして書かれたのが、《こうもり》に他ならない。劇中で歌われる「忘れられればそれで幸せ/変えようのない人生ならば」という歌詞は、それを端的に象徴している。
 序曲は、この作品の特徴である刹那的(せつなてき)な愉悦と、その裏側に潜む拭(ぬぐ)いがたいメランコリーを色濃く抽出したものとなっている。特に序曲の冒頭部分で、喜歌劇の中核を成す舞踏会の終わりを告げる鐘がすでに鳴らされるあたり、刻々と過ぎゆくすばらしい時間に対する追慕の情が滲(にじ)み出ているとは言えないだろうか。
 なお《こうもり》に大きな愛着を抱いていたマーラーは、19世紀末に自らがウィーン宮廷歌劇場の総監督になった後、喜歌劇は上演しないというこの劇場で、一部の猛反対を押し切って、当作品の上演を行っている。

作曲年代:1874年
初演:1874年4月5日、作曲者自身による指揮、アン・デア・ウィーン劇場

(小宮正安)