ベルリオーズ (1803 - 1869)

叙情的情景「クレオパトラの死」(約22分)

 ソプラノと管弦楽のための《クレオパトラの死》は、フランスにおけるアカデミーの作曲コンクール、ローマ賞のカンタータ課題として作曲されたものである。ローマ賞の最終課題では、必ず決められた台本に基づいてカンタータを作曲することが課された。ベルリオーズは1826年から1830年まで、ローマ賞に毎年応募を続け、《オルフェの死》(1827)、《エルミニ》(1828)に続いて1829年に書かれたのが、《クレオパトラの死》である。翌年ベルリオーズは《サルダナパルの死》で、とうとう念願の大賞を受賞した。
 P. A. ヴィエイヤールが作詩した《クレオパトラの死》は、古代エジプトの女王クレオパトラが、アクティウムの海戦での敗戦をうけて、毒ヘビに身体を嚙(か)ませて自殺するエピソードを描いている。ベルリオーズはこの《クレオパトラの死》を、シェイクスピア『ロメオとジュリエット』でのジュリエットが墓に横たわる場面と重ねて、ジュリエットの独白は何度も音楽的にパラフレーズしていたために、この場面を苦もなく作曲することができたと述べている。ちょうど中間に位置する「瞑想(Méditation)」と題されたこの死の直前の場面は、ベートーヴェンの交響曲(《第3番》や《第7番》)の緩徐楽章を思い出させる、厳かな葬送行進曲で、作品中でもっとも美しく、ドラマ全体がこの場面をクライマックスとして構築されていることがわかる。全体はクレオパトラの独白という形で、序奏(アレグロ・ヴィヴァーチェ・コン・インペート)─レチタティーヴォ─レント・カンタービレ─レチタティーヴォ─瞑想(ラルゴ・ミステリオーソ)─アレグロ・アッサイ・アジタート─レチタティーヴォ・ミズラートと進行する。最後のレチタティーヴォは抑揚をつけずに消えゆく声として歌うよう指定されている。

作曲年代:1829年
初演:1829年8月1日、ローマ賞コンクール最終審査として(ピアノ伴奏版)

(安川智子)