バッハ(シェーンベルク編)

前奏曲とフーガ 変ホ長調 BWV552「聖アン」(約16分)

 バッハ(1685~1750)は数多くの前奏曲とフーガを作曲しているが、この作品のみを1739年に出版した『クラヴィーア練習曲集第3部』に収め、前奏曲とフーガを切り離し、曲集の冒頭と末尾に置いている。そのことは、バッハがこの作品を「前奏曲とフーガ」という鍵盤楽器のためのジャンルにおける代表作と見なしていたことを意味している。
 アルノルト・シェーンベルク(1874~1951)は、1874年にユダヤ人の靴屋の息子としてウィーンに生まれている。学歴は実業学校中退。ほとんど独学で作曲を始めた。標題音楽的な弦楽六重奏曲《浄められた夜》(1899年)で注目を集めるが、保守的なウィーンではむしろ否定的な意見が多かった。さらにゲオルゲの詩による《架空庭園の書》(1909年)の無調の世界は、当時の音楽界の理解を超えていた。しかしアルバン・ベルク(1885~1935)やアントン・ウェーベルン(1883~1945)を育てるなど、作曲教師としては早くから大きな成果を収め、『和声学』(1911年)の出版によって音楽理論家としての地位を固めた。独学のシェーンベルクにこのような成功をもたらしたのは、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスといった古典的作品の徹底的な研究だった。特にバッハの作品は彼の規範だった。ピアノ曲や室内楽曲の作曲を通じて、無調音楽に確固たるまとまりを与えることを追求していた彼は、1920年、「相互の間にのみ関係づけられる12の音による作曲技法」(十二音技法)を案出するにいたる。
 シェーンベルクが、バッハのオルガン曲を管弦楽のために編曲しはじめたのはこの頃だった。コラール前奏曲の《おいでください、創り主、聖霊である神》(BWV667)と《愛する魂よ、美しく装え》(BWV654)の編曲が1922年、さらに《前奏曲とフーガ 変ホ長調》の編曲は、1928年5月1日から10月11日にかけて行われている。
 当時のシェーンベルクは、1926年からプロイセン芸術アカデミー作曲科教授としてベルリンに住み、同年1月から、十二音技法による最初の大規模な管弦楽曲である《管弦楽のための変奏曲》(作品31、1928年完成)の作曲に取りかかっていた。バッハの対位法的な作品を大規模な管弦楽のために編曲することによって、十二音作品のオーケストレーションの可能性を確かめていたとも考えられよう。シェーンベルクのオーケストレーションは、バッハの原曲の主題や対旋律をさまざまな楽器によって演奏させることにより、複雑な構造を可視化しながら、しかも千変万化な色彩を与えることに成功している。

作曲年代:[原曲]1739年 [管弦楽編曲版]1928年5月1日~10月11日
初演:[原曲]不明 [管弦楽編曲版]1929年11月10日、フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によって

(樋口隆一)