プロコフィエフ (1891 - 1953)

交響曲 第6番 変ホ短調 作品111(約41分)

 プロコフィエフはロシア革命を機に出国した後にソ連社会へ復帰した、珍しい経歴を持つ。しかも最初の妻がスパイ容疑で収容所送りとなったり、資料が内外に拡散したりで演奏も研究も進まず、伝記情報も不確かだった。ソ連へ復帰した年月すら曖昧(あいまい)で、いまだに1935年説と1936年説が流布しているが、モスクワで家族と共にホテル住まいを始めたのが1935年夏、自宅を構えたのが1936年5月なので、正式復帰は1935年となる。そしてプロコフィエフは、第2次世界大戦をソ連国内で体験することになる。
 プロコフィエフの交響曲の代表作と言われる《第5番》(1944)が第2次世界大戦の戦勝ムードを反映しているとしたら、戦後すぐに書かれたこの《第6番》は、一般に戦争の犠牲者への哀悼と過ぎ去った悲劇を描いたものと位置づけられている。かねてよりプロコフィエフの新作初演を熱望していたムラヴィンスキーの指揮による1947年の初演は、聴き易い曲ではなかったにもかかわらず、レニングラードの聴衆には熱狂的に受け容れられ、各紙の批評でも「特筆すべき音楽出来事」と高評価を得た。しかしこの作品の深い内面性は当時のソ連音楽界には理解されず、当局の名を借りた作曲家同盟上層部による事実上の巨匠潰しである1948年の「ジダーノフ批判」でこの曲が形式主義批判のやり玉に挙がった。スターリン死後の1958年に「批判」は事実上撤回されたが、今日に至るまで、この《第6番》の演奏機会は決して多くない。
 スケルツォ楽章を欠く3楽章形式。曲が後半に進むにつれ、求心力を増していく不思議な構成である。1941年から亡くなるまで全精力を傾注して取り組んでいた《歌劇「戦争と平和」》のさまざまなモチーフやイントネーションがこの曲の至る所に現れているのも興味深い。金管のユニゾンで始まるユニークな第1楽章はアレグロ・モデラート。ソナタ形式の2つの主題は類似しており、プロコフィエフの言葉を借りれば「叙情的だったり厳粛だったりと不安な性格」である。ラルゴの第2楽章は《戦争と平和》の「ナターシャとアンドレイの愛の主題」に酷似した緩徐の旋律が歌われ、「より明るくて旋律的」。そしてヴィヴァーチェの第3楽章はロンド・ソナタ形式で、古典派の快速楽章を連想させる躍動感がある。終結近くで第1楽章第2主題が回顧された後、華麗に終わる。

作曲年代:1945年6月~1947年2月17日 初演:1947年10月11日、レニングラード(現サンクトペテルブルク)、エフゲーニ・ムラヴィンスキー指揮、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団

(一柳富美子)