マーラー (1860 - 1911)

交響曲 第4番 ト長調(約54分)

 グスタフ・マーラーが書いた交響曲のなかでは、比較的短め。彼の作品のなかでは愛らしく親しみやすいとも考えられがちな1曲だが、果たしてそうだろうか。
 マーラーは1890年代、ドイツ・ロマン派の詩人として知られるアヒム・フォン・アルニム(1781~1831)とクレメンス・ブレンターノ(1778~1842)による詩集『こどもの不思議な角笛』(以下『角笛』と略)所収のいくつかの詩に基づいて歌曲を手がける。そのなかで1892年に作られたのが歌曲《天上の生活》。この曲は詩集『角笛』に基づく他の4曲とともに、1893年に《フモレスケ》というタイトルで初演され、やがては《フモレスケ交響曲》という作品の最終楽章に配置するという考えにまで発展する。
 結局のところ《フモレスケ交響曲》そのものが実現することはなかったのだが、構想されていた《フモレスケ交響曲》の第1楽章(永遠の現在としての世界)と第3楽章(至高の愛〔カリタス〕)が《交響曲第4番》の当該楽章の基になった、とする見方が一般的である。
 ところで「フモレスケ」とは何か。英語であれば「ユーモア」に当たる言葉だが、単におかしさだけではなく、喜びや悲しみ、愛や憎しみといったさまざまな感情が入り混じり、時に「ブラック・ユーモア」にも転じる可能性を秘めている。まただからこそ、《フモレスケ交響曲》の流れを組む《交響曲第4番》も、一筋縄ではゆかない。何しろこの作品の発端となった《天上の生活》からして、詩集『角笛』を読めば、どうやらこの世で飢え死にした貧しい子供が、あの世で飽食三昧・贅沢(ぜいたく)三昧に明け暮れるという内容だからだ。
 表面的な陽気さの裏側に、拭いがたい影が付きまとう─。これは本プログラム前半のシュトラウス兄弟の作品とも通じ合う世界観だ。しかも、全体としては古典的な4楽章構成に則(のっと)りながらも、この構成を完成させたベートーヴェン的な世界、つまり苦悩を通じて勝利へ至るといった道筋を期待していると、ものの見事に裏切られる。なにしろ本作の結論部分ともいえる第4楽章は、先ほど解説した《天上の生活》なのだから。
 そうなると、鈴の音に導かれて始まる、感傷的かつ牧歌的な第1楽章からして、見た目とは裏腹にその内実はきわめて複雑だ。じっさい、時折顔を見せる不吉な楽想は徐々に力を増し、展開部の終わりではすべてが大崩壊へとなだれ込んだ直後、トランペットの葬送シグナルが顔を覗(のぞ)かせる。しかもこのような惨劇がまるで存在しなかったかのように、すぐさま牧歌的な調べがしれっと現れる再現部が始まり、しめくくりには陽気などんちゃん騒ぎが繰り広げられる。
 第2楽章は、死神のヴァイオリンをイメージした独奏ヴァイオリンが、わざと調子はずれのチューニングで、オーケストラとからむ。3/8拍子のスケルツォだが、シュトラウス兄弟でお馴染みのワルツと同様の3拍子が用いられている点が肝であって、陽気さの裏側で終わりの時が刻々と忍び寄る「死の舞踏」が、ここにも顕著に聞こえている。
 第3楽章は、第1楽章の基調を成す感傷的な牧歌の雰囲気に満ちた長大な変奏曲となっているが、変奏の途中で突如お祭り騒ぎのような場面が姿を現したり、楽章の終わり近くでいきなり第4楽章のテーマが凱歌(がいか)のように奏されたりと、目まぐるしい。
 そして、「完全に死に絶えるように」と指定された前楽章に続いて、独唱付きの第4楽章が始まる。しかもそこで歌われる「天上の生活」とは、地上の生活の俗をそのまま反映したかのようであり、そこへ第1楽章に現れた鈴の音が時折脅迫観念のように覆い被さる。愛も毒もある、マーラーならではのフモレスケの真骨頂である。

作曲年代:1899~1901年
初演:1901年11月25日、ミュンへン、カイムザール。作曲者自身による指揮、カイム管弦楽団、マルガレーテ・ミヒャリク(ソプラノ)

(小宮正安)