ベルク (1885 - 1935)

ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出のために」(約27分)

 《リチェルカータ》を自らの指揮で初演した翌年の1936年5月、ウェーベルンはロンドンで、バッハのコラールが引用された、ベルクの《ヴァイオリン協奏曲》を指揮した。前年のクリスマス・イヴに亡くなった親友、ベルクが完成させた最後のこの作品を、ウェーベルンはロンドン公演に先立つバルセロナでの初演も指揮する予定だった。しかし、最後のリハーサルの後、急遽(きゅうきょ)キャンセルしたため、代わりにヘルマン・シェルヘンの指揮で初演された。
 初演でヴァイオリン独奏を務めたクラスナーはこの作品の委嘱者でもあった。彼がベルクにヴァイオリン協奏曲の依頼をしたのは、1935年2月のこと。ベルクは3月頃には最初期の楽想を書き留めた。こうして作曲が進むなか、4月22日、マーラーの未亡人アルマが建築家ワルター・グロピウスと再婚してもうけた娘マノンが病気のため18歳で亡くなった。マノンをかわいがっていたベルクは悲しみ、この協奏曲を「ある天使の思い出のために」として彼女に捧げることにした。
 全体は2楽章からなり、第1楽章はアンダンテとアレグレット(スケルツォ風)、第2楽章はアレグロとアダージョの部分に分けられる。この作品は十二音技法で書かれているが、その基本音列は冒頭でヴァイオリン独奏によって分割されて現れる。開放弦によってト―ニ―イ―ホという5度音程の動機が印象的に奏でられ、次々と基本音列の音が現れた後、完全な形で基本音列が独奏ヴァイオリンによって提示される。引用も重要な要素である。アレグレットとアダージョの部分でケルンテン民謡および、アダージョの部分でバッハの《カンタータ第60番》のコラール〈われは満ち足れり〉が引用されている。死について歌うこのコラールの引用は、マノンへのレクイエムとしての意味をもつと言える。

作曲年代:1935年3月中旬〜8月11日
初演:1936年4月19日、バルセロナ、ヘルマン・シェルヘン指揮、ルイス・クラスナーの独奏

(西村 理)