バッハ (1685 - 1750)

マニフィカト ニ長調 BWV243(クリスマス用挿入曲つき)(約35分)

 天使ガブリエルによって受胎を告知された処女マリアは、不安な心を抱きながら親族エリサベトを訪問した。すると聖霊に満たされたエリサベトはマリアを祝福し、マリアは感動のあまり神を賛美する。《マニフィカト》はルカによる福音書第1章、46–55に記されているこのマリアによる神への讃歌である。カトリック教会では中世以来、晩課の折りに歌われてきたが、バッハの時代のルター派教会ではドイツ語訳で歌われることが多かった。しかしクリスマス、復活祭、聖霊降臨祭の3大祝日には、伝統に従ってラテン語で、しかも管弦楽伴奏による大規模な形式で歌われた。
 バッハが《マニフィカト》初期稿(変ホ長調、BWV243a)を作曲したのは、ライプツィヒのトマス・カントルに就任した1723年のことだった。自筆総譜にはクリスマスにふさわしい4曲の挿入曲(A–D)が付加されているため、12月25日、クリスマスの晩課のために作曲したと考えられていた。ところが近年、この初期稿は、まず7月2日の「マリア訪問の祝日」に初演され、12月25日のために4曲の挿入曲が追加されたという説が有力となった。たしかに、4曲の挿入曲は自筆総譜の余白に無理に書かれており、インクもペンも別のものが使われている。ライプツィヒにおける礼拝の詳細についての研究も進み、3大祝日のみならず7月2日の「マリア訪問の祝日」でも、《マニフィカト》は管弦楽伴奏で演奏されたということも明らかとなった。
 バッハは1733年、この曲をニ長調に改訂している。初期稿の変ホ長調という調性は、フラット3個で表されるため、3本のトランペットとともに三位一体を象徴することを意図したと考えられるが、そのために必要なEs管トランペットはあまり一般的でなかったため、一般的なD管が使え、弦楽器も開放弦を多用できるニ長調に改訂されたと考えられる。
 この年バッハは、ドレスデン宮廷の官職授与を願って《ミサ曲 ロ短調》(BWV232)の〈キリエ〉と〈グロリア〉をザクセン選帝侯兼ポーランド王アウグスト3世に献呈している。2月1日、アウグスト2世(強王)が崩御し、ザクセン選帝国は6か月の国喪となったため、バッハは毎週日曜日の教会カンタータの上演が免除され、そのかわり新たに即位したアウグスト3世との関係を強化するために、カトリックのドレスデンでも上演可能なラテン語の教会作品の充実が急務となった。《ミサ曲ロ短調》(BWV232)の〈キリエ〉と〈グロリア〉の作曲と同時に、《マニフィカト》後期稿(ニ長調、BWV243)の改訂も、おそらくこの間に行われたのだろう。後期稿(ニ長調)の初演は、服喪義務がゆるめられた1733年7月2日の「マリアの訪問の日」にライプツィヒで行われたとも考えられている。
 こんにちではほとんどの場合、このニ長調の改訂稿が演奏されることが多い。しかしクリスマスにふさわしい4曲が挿入された初期稿の魅力もまた格別なものがあり、今回のようにニ長調の改訂稿にこれらの挿入曲を追加して演奏することもある。12月の定期公演にふさわしい選択といえよう。
 第1曲は、輝かしい管弦楽の響きに乗って「わたしの魂は主をあがめます」と歌う5声の合唱曲。第2曲〈わが心は喜びに耐えず〉は、ソプラノIIが「私の霊は救い主である神を喜びたたえます」と歌うアリア。このクリスマス版では、その後に挿入曲A〈高き天より〉が4声で歌われ、ソプラノが歌うコラール定旋律がクリスマスの雰囲気をみごとに演出する。第5曲〈全能であられるおん方よ〉(バス独唱)の後の挿入曲B〈喜んで、声を上げよう〉も4部合唱だが、どちらも通奏低音のみの伴奏により、統一感が計られている。壮麗な第7曲〈みずからおん腕の力を現し〉(合唱)のあとの挿入曲C〈いと高きところには栄光、神にあれ〉は5声合唱だが、オーボエと弦楽器が加わって、神の栄光の賛美にふさわしい。第9曲〈飢えた人々を良いものに飽かせ〉に続く挿入曲D〈エッサイの若枝から〉は、イエスの誕生を12/8拍子の子守歌として表現している。第10曲〈そのしもべ、イスラエルを〉では、2本のオーボエによって吹き鳴らされるグレゴリオ聖歌《マニフィカト》の旋律が印象深い。第12曲〈父と子と聖霊に栄光あれ〉の後半では、「初めにあったように」の言葉通り、第1曲冒頭の音楽が再現され、喜びに満ちて全曲が終わる。

作曲年代:1723年7月2日以前
初演:1723年7月2日

(樋口隆一)