ラフマニノフ (1873 - 1943)

ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 作品18(約34分)

 ラフマニノフがこの曲に取り組んでいた時期、長年交際した初恋相手との別れや尊敬する文豪トルストイからの否定など辛い出来事が重なり、その結果、数年に渡る産みの苦しみを体験した。従来は「《交響曲第1番》初演失敗により鬱(うつ)病に罹(かか)り、ダーリ博士の催眠療法のおかげでスランプから脱して曲が完成した」と解説されていたが、近年の研究では、交響曲の初演失敗からはすぐに立ち直ったこと、数回しか受けなかった催眠療法はこの作品の完成にほとんど影響しなかったこと、新進気鋭のオペラ指揮者として八面六臂(ろっぴ)の活躍をしており、病的な若者ではなかったことなどが明らかになっている。
 ラフマニノフの従兄(いとこ)であり音楽院では師でもあったアレクサンドル・ジロティ(1863~1945)がヨーロッパでラフマニノフ作品を大々的に宣伝していたおかげで、本作は作曲前から内外の注目を集めていた。実際、先に完成した第2・3楽章の披露演奏会でまず大評判を呼び、作曲者自身の独奏による国内全曲初演だけでなく、ゲヴァントハウスにおける国外初演も大成功を収め、ラフマニノフの名は一躍欧州中に轟(とどろ)くこととなった。
 第1楽章はソナタ形式。鐘の音を模したようなピアノ・ソロで始まる。第2楽章は3部形式。叙情的な緩徐楽章で、甘い旋律が全楽章を支配する。第3楽章は自由なロンド形式で、ピアノの華麗なロンド主題と、異国情緒あふれる美しい副主題とが絶妙に絡み合って、熱狂のうちに全曲を閉じる。

作曲年代:1898年夏~1901年4月
初演:[第2・3楽章]1900年12月15日(旧ロシア暦12月2日) [全曲]1901年11月9日(旧ロシア暦10月27日)、アレクサンドル・ジロティ指揮、作曲者自身の独奏 [国外初演]1902年1月22日(旧ロシア暦1月9日)、アルトゥール・ニキシュ指揮、ジロティの独奏、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス

(一柳富美子)