モーツァルト (1756~1791)

歌劇「イドメネオ」序曲 (約5分)

 《イドメネオ》(K.366)はミュンヘン宮廷劇場からの依頼で作曲、1781年1月29日に謝肉祭期間の主演目として初演された(2月5、12日再演)。ギリシャ神話に基づく物語(ジャンバッティスタ・ヴァレスコ台本)は、クレタ島の王イドメネオがトロイア戦争終結後の帰路、海で嵐に遭遇し、海神ネットゥーノに助けられるが、引き換えに息子の王子イダマンテを生贄(いけにえ)にせねばならなくなり、それが葛藤(かっとう)と苦悩を生み出す、というもの。故郷ザルツブルクでは大司教コロレード伯爵との関係は決して良好でなく、他への転職もままならなかった当時のウォルフガング・アマデウス・モーツァルトにとって、ミュンヘンからの依頼はまさに干天の慈雨。当時ヨーロッパ随一の楽団を有したマンハイムのカール・テオドール選帝侯がバイエルンに移り、楽団の主力楽員はこぞってミュンヘン宮廷へ転籍していた。1777~1778年のマンハイム滞在中に親しく交流した音楽家たちとの再会もモーツァルトを高揚させたに違いない。果たして、《イドメネオ》は圧倒的な完成度と緻密(ちみつ)さを誇る一大傑作となったのである。
 序曲(4/4拍子、アレグロ、ニ長調)は、モーツァルトのオペラ・セリア系列の序曲では初めて単一楽章を採る。トランペットとティンパニを伴う華やかなファンファーレ風主題は、開幕ベルに似た機能を果たすとともに、イドメネオ、そして初演時の客席にいた選帝侯を始めとする貴族達の威厳を表すと言って良いだろう。特に弦楽器が俊敏に広い音域を動き回る場面が散見されるのは、イドメネオの苦悩の動機となった海の情景と関連づけられるかもしれない。また、副次的な主題のように現れる短調の楽節は苦悩の象徴であろうか。この序曲はオペラ本体からの主題などの引用が見られないとはいえ、聴き手を物語の世界へ引き込む魅力を備えているのである。なお、序曲の最後は完全に終止をせず、トロイアの王女イリアが国や家族を失ったにもかかわらず、敵方の王子イダマンテを愛してしまった苦悩を独白する第1幕冒頭へと直接繋がるように工夫されている。

作曲年代:おそらく1780年の秋にオペラ全体の作曲開始。だが、序曲は全体の作曲が終わってから書かれるのが普通であったから、総稽古(けいこ)の始まる1780年12月5日以前か、あるいは総稽古の期間中に成立したと思われる
初演:1781年1月29日、ミュンヘン宮廷劇場にて

(安田和信)