バルトーク (1881~1945)

弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽 (約28分)

 20世紀最大の音楽のパトロンでもあったパウル・ザッハーは、自身が組織したバーゼル室内管弦楽団の設立10周年を記念する演奏会のために、1936年6月にバルトークに新作を委嘱した。バルトークはこの委嘱にすぐに反応し、ほんの数日後には、「弦楽器と打楽器のための(つまり弦楽器に加えて、ピアノ、チェレスタ、ハープ、シロフォン、その他の打楽器のための)」作品を書く、と明言している。これほど明確なイメージを、委嘱から数日で書いていることからすれば、おそらくバルトークは同様の曲の構想をすでに持っていたと考えられる。作曲は快調に進み、1936年8月31日にバルトークは手紙で、作品が「ほぼ完成した」と報告している。この手紙には、楽器編成の詳細や、作品が4楽章であり、約24分かかることなども記されていて、作品が現在知られている形でほぼ出来上がっていたことを示している(自筆譜に書き込まれた完成の日付は9月7日である)。
 初演のリハーサルに際して、バルトークはその様子をこんなふうに書き留めている。「予期に反して、準備はうまく行っていて、ほとんど完璧(かんぺき)だよ。多くの時間をリハーサルに費やし、とても徹底してやった(彼らはこの曲に全部で25回もリハーサルをしてくれたらしい)。指揮者もオーケストラも、僕との練習に大変な情熱と献身を示してくれていて、皆この作品に熱狂している(僕も!)。いくつかの場面は、自分で想像していたよりももっと美しく、驚くべき音がする。本当に並外れた響きがいくつかあるんだ」(妻に宛てたバルトークの手紙)。
 この手紙に書かれたとおり、初演は大成功をおさめ、瞬く間に世界中で再演が行われ(日本での初演は1939年5月10日ローゼンストック指揮、N響の前身である新交響楽団の演奏)、バルトークの代表作として知られるようになっていった。

 作品は4つの楽章から成る。第1楽章はかなり厳格に構想されたフーガの一種である。その主題は第1楽章冒頭にヴィオラで奏される。この主題は、ラを主音として最高音ミまでの完全5度の音域のすべての半音を使うものだが、これが次の主題の入りでは5度上で現れ(第4小節のミから)、3番目の入りでは5度下で(第8小節のレから)、以後シ(第12小節)→ファ♯(第26小節)→ド♯(第34小節)→ソ♯(第35小節)と5度ずつ高く、またソ(第16小節)→ド(第27小節)→ファ(第33小節)→シ♭(第35小節)と5度ずつ低く入って来て、この5度の連鎖がレ♯(ミ♭)に達した後、クライマックスに至り(第56小節)、そこから主題が上下反転した形で現れて、ふたたびラへと収束してゆく。音量もppからfffへと高まり、またpppへと静まってゆくので、音楽は構造的にも、音量的にも、強力な弧を描く。このクライマックスは、楽章の中心よりも少し後ろにずれており(全体の3分の2あたりにある)、それが黄金比と関連している、という説もある。バルトークがそのような構造をあらかじめ計算して作曲したとは考えにくいが、彼の作品の多くが中心より少し後ろにずれたところにクライマックスを持っていることは確かである。
 第2楽章は、ドの音を中心とする第1主題、ソの音を中心とする第2主題という2つの主題を中心とした、かなり厳格なソナタ形式で書かれている。第1主題は、第1楽章のフーガ主題と密接に関係している。
 第3楽章の全体はABCBAという前後相称的、回文的構造(バルトークの用語では「ブリッジ構造」)だが、そのそれぞれの部分間の4回の接合部分に、第1楽章のフーガの主題の4つの節がそれぞれひとつずつ回想される。バルトークはこの楽章について「海」を表している、と言ったとも言われている(ただし内陸国ハンガリー生まれのバルトークにとっての「海」がどのようなニュアンスを持っていたか、については慎重に考える必要がある)。
 第4楽章はちょうど起・承・転・結のような構成を持つ舞踏的な音楽。このうち、「転」にあたる部分で、第1楽章における半音階的なフーガ主題が、全音階的に拡大されて現れる。
 調関係からみると4つの楽章の中心音はラ─ド─ファ♯─ラとなっていて、両端のラを中心にその短3度上(ド)と短3度下(ファ♯)をめぐるという構成である(結果的に第2楽章と第3楽章はド─ファ♯の増4度関係となる)。
 バルトークが50代半ばにさしかかった頃の本作品のなかでは、彼を導いてきた民俗音楽の発想やその活力、音楽家として学んだ対位法やソナタ形式などの厳格な書法、そして彼独自の繊細でかつ大胆直裁な美的感覚などさまざまな要素が、絶妙のバランスを作り出している。

作曲年代:1936年夏
初演:1937年1月21日、パウル・ザッハー指揮、バーゼル室内管弦楽団

(伊東信宏)