ストラヴィンスキー (1882~1971)

幻想的スケルツォ 作品3 (約12分)

 蜜蜂(みつばち)たちが田園の香りを運びながら、忙しそうに音をたてて、空の道をとおりぬける。その交差点で人々は、蜜蜂たちの奏でる知的で音楽的な声を聴く――ベルギーの象徴主義作家モーリス・メーテルリンクの『蜜蜂の生活』(1901年)にはこのような描写がある(山下知夫訳参考)。《幻想的スケルツォ》のアイディアの始まりは「スケルツォ」を書くことであったが、ストラヴィンスキーは具体的なイメージをこの『蜜蜂の生活』から得た。師匠リムスキー・コルサコフに宛てた1907年7月1日の手紙には、科学と文芸の言語が入り混じったこの書物からの引用は難しく、「蜜蜂(メーテルリンクより)、幻想的スケルツォ」とだけ記すことにした、と経緯が書かれている。
 1909年の初演時には、はっきりとこの着想源が示され、同じく1909年に初演された《花火》とともに、後のロシア・バレエ団のプロデューサー、ディアギレフの関心を引くきっかけとなった。出版譜に記された序言によると、音楽は急緩急の3部分からなる。第1部は蜜蜂の巣の中の生活と行動を示し、中間部は日の出と女王蜂の(結婚の)飛翔、一匹の選ばれし雄蜂との愛の闘いと、その雄蜂の死を描いている。再現部である第3部では、働き蜂たちの平穏な活動が再び始まる。蜜蜂の一生は我々人間の生き方と重ね合わされ、永遠に循環する幻想的絵画となる。
 ストラヴィンスキーは後年、この作品をあくまで純粋な交響的音楽として書いた、と主張しているが、それはこの作品の音楽面に対する作曲家の自信の表れでもある。1908年に亡くなったリムスキー・コルサコフの指導による最後の作品群のひとつであり、師の影響はもちろん、チャイコフスキーを通じたメンデルスゾーンからの影響も告白している。さらにストラヴィンスキーは、当時ワーグナーの《パルシファル》に感化されており、ゆるやかな中間部は聖金曜日の音楽に由来するとも述べている。半音階を駆使して生まれた和声だけでなく、蜜蜂に想を得たリズム感覚が、その後のバレエ音楽への道を開いた。

作曲年代:1907~1908年
初演:1909年2月6日(1月24日との説もあり)、サンクトペテルブルク、アレクサンドル・ジロティ指揮

(安川智子)