ベルリオーズ (1803 - 1869)

幻想交響曲 作品14 (約50分)

 ベルリオーズの《幻想交響曲》が初演されたのは1830年、ベートーヴェンがこの世を去ってわずか3年後のことである。医学の道を棄(す)て、パリ音楽院に学んでいたベルリオーズは、この年、若手作曲家の登竜門であるローマ大賞を受賞するまでになっていた。一方、この数年前から、パリ音楽院管弦楽団の初代指揮者フランソワ・アブネックが、パリではまだあまり知られていなかったベートーヴェンの交響曲を盛んに指揮しており、ベルリオーズは大きな刺激を受けていた。その興奮冷めやらぬうちに、彼はまったく新しい発想のもと、《幻想交響曲》という型破りの大作を書き上げたのである。
 「ある芸術家の生涯からのエピソード」という副題を持つこの作品は、「ある芸術家」、すなわちベルリオーズの自伝的な内容を発想の源とする標題音楽である。ストーリーは、病的な感受性と燃えるような想像力を持つ若い芸術家が、失恋してアヘンで服毒自殺をはかるが、致死量には至らず、奇怪な幻覚を見る。そのなかで、恋人がひとつの旋律となってつきまとう、といった内容である。ベルリオーズはこの恋人をあらわす旋律を「固定楽想(イデー・フィクス)」と呼び、全5楽章を結びつける重要な役割を与えた。「恋人」のモデルになったのは、ベルリオーズがあこがれていた女優のハリエット・スミッソンであることは今では定説となっている。彼女はイギリスのシェイクスピア劇団の主演女優としてパリ公演で絶賛され、ベルリオーズも熱烈なファンだったが、思いは伝わらなかった。2人が再会し、結婚したのは《幻想交響曲》初演後のことである。
 ベルリオーズがこのような物語を着想するにあたっては、彼がフランス語訳で読みふけったゲーテの戯曲『ファウスト』や、夢中になって観たシェイクスピア劇などがヒントになった可能性がある。とくにゲーテに関しては、その影響から抜けきれないまま《幻想交響曲》を作曲した、と自伝に書いているほどである。文学的な評価は別としても、オーケストラ音楽に文学あるいは演劇的な要素を結びつけたこの作品は、「交響詩」に代表されるロマン派の標題音楽への道を切り開くことになった。
 この交響曲で独創的なのは、標題ばかりではない。ユニークな楽器編成と、情景や心理を表現するみごとなオーケストレーションには、時代を先取りする新しさがあった。たとえば、第2楽章〈舞踏会〉を彩る複数のハープ、第3楽章〈野の風景〉で活躍するイングリッシュ・ホルン、第5楽章〈ワルプルギスの夜の夢〉で醜く豹変(ひょうへん)した恋人の旋律をユーモラスに奏でるEs管のクラリネット、〈ディエス・イレ(怒りの日)〉の旋律をおごそかに吹くオフィクレイド(今日では一般にテューバで演奏)、鐘などは、その代表である。これらは楽器の音色や音響効果を知り尽くし、後に『管弦楽法』(1844年初版)も著したベルリオーズだからこそ生まれたアイディアである。
 曲の初演は1830年12月5日、パリ音楽院ホールにて、アブネックの指揮で行われた。楽章構成は以下のとおりである。もともと具体的なストーリーが添えられていたが、ベルリオーズは最終的に、各楽章の標題だけあれば十分だと述べている。

 第1楽章〈夢と情熱〉 交響曲の伝統に従ってソナタ形式で書かれている。序奏に続いてアレグロの主部に入ると、固定楽想である恋人の旋律がフルートと第1ヴァイオリンに現れ、発展していく。この旋律はすべての楽章に形を変えて現れる。
 第2楽章〈舞踏会〉 従来のメヌエットやスケルツォに代わる、ワルツによる楽章で、ハープが活躍する。終結近くで、恋人の旋律がクラリネットに現れる。
 第3楽章〈野の風景〉 舞台上のイングリッシュ・ホルンと、舞台裏のオーボエが、羊飼いの笛の二重奏を吹く。ティンパニが遠雷を描写する。
 第4楽章〈断頭台への行進〉 若い芸術家は、恋人を殺した罪でギロチンにかけられる。行進曲の最後に恋人の旋律がクラリネットに現れた直後、フォルティッシモのトゥッティ(総奏)でギロチンの刃が落とされる。
 第5楽章〈ワルプルギスの夜の夢〉 若い芸術家は魔女たちの夜宴に列席している。こっけいな付点リズムに姿を変えた恋人の旋律を際立たせるために、ベルリオーズはわざわざEs管のクラリネットを用いている。弔(とむら)いの鐘が鳴ると、カトリック典礼の「死者のためのミサ(レクイエム)」で歌われてきた〈ディエス・イレ〉の旋律が現れる。古典的なフーガの技法も取り入れられており、最後は主要主題と〈ディエス・イレ〉の旋律とが重なり合い、圧倒的な迫力のもと曲は終結する。

作曲年代:1830年
初演:1830年12月5日、パリ、パリ音楽院ホールにて、フランソワ・アブネック指揮

(遠山菜穂美)