シベリウス (1865~1957)

交響詩「4つの伝説」作品22 ―「レンミンケイネンと乙女たち」「トゥオネラの白鳥」「トゥオネラのレンミンケイネン」「レンミンケイネンの帰郷」(約45分)

 数々の優れた交響詩を作曲したジャン・シベリウスは、その題材に自国フィンランドの民族叙事詩『カレワラ』をしばしば取り上げている。「英雄たちの住む場所」を意味する『カレワラ』は、全50章からなる長大な英雄譚(えいゆうたん)である。そこに登場する英雄たちのなかでシベリウスがとくに注目したのは、ヴァイナモイネン、クレルヴォ、そしてレンミンケイネンの3者であった。彼らの破天荒な冒険からインスピレーションを得た幻想的な交響詩の創作をとおして、シベリウスがフィンランドの民族性に深く根差した独自の表現世界を切り開いている点は注目に値するだろう。
 1896年に初演された《4つの伝説》は、ドン・フアンを思わせる好色の英雄レンミンケイネンを題材にした4つの楽曲からなる一種の連作交響詩である。各曲の構成や性格、調設計、楽曲それぞれの有機的連関、さらには50分ほどの演奏時間の点からみても、《4つの伝説》は交響曲に匹敵するだけのスケールと内実を十分に備えているといってよい。
 シベリウスの《4つの伝説》が成立した背景には、未完に終わった《オペラ「船の建造」》の存在が知られている。当時、ワーグナーに心酔していたシベリウスは、『カレワラ』にもとづく神話オペラに挑戦したものの挫折してしまう。創作の大きな危機を迎えたシベリウスであったが、《船の建造》の素材を転用してまったく新たな作品に取り組むことで、困難な状況を乗り越えるのだった。その結果、誕生したのが《4つの伝説》である。
 しかし《4つの伝説》が現在の形となるまでには、度重なる改訂や出版の遅延など、数多くのハードルが待ち受けていた。初演の出来栄えに満足しなかったシベリウスは、1897年と1900年、さらに1939年に大幅な修正の手を加える。そして最終的にすべての楽曲が出版されたのは、初演から何と60年近くも経った1954年、シベリウス88歳の時であった。これはシベリウス作品のなかでも異例な事態といわざるをえない。
 なお最終的な改訂にともない、シベリウスは《4つの伝説》の中間の2つの楽曲の演奏順を変えるよう指示している。この指示は、作曲者が連作交響詩としての演奏効果を配慮したためであろう。現在知られている限り、上記の指示をふまえた《4つの伝説》の全曲演奏は1939年9月28日、カーネギー・ホールでおこなわれたイェオリ・シュネーヴォイクト指揮のNBC交響楽団によるコンサートが最初である(今回の公演でも、シベリウスの指示による順序で演奏される)。

 第1曲〈レンミンケイネンと乙女たち〉は、レンミンケイネンと島の乙女たちの艶事を描いた『カレワラ』第29章にもとづいている。全体の流れはソナタ形式にしたがっているが、非常にスケールが大きく、楽曲終盤においてワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》を彷彿(ほうふつ)とさせる巨大なクライマックスが形成される。
 第2曲〈トゥオネラの白鳥〉は、《船の建造》第3幕の序曲が改作されたものと考えられている。唯一この楽曲だけはプログラムが付されていないが、物語全体の文脈から、よみの国トゥオネラの川にたゆたう白鳥を描いた第14章と関連しているとみてよいだろう。イングリッシュ・ホルンのソロが非常に印象的な楽曲である。その無限に広がる静寂、超然とした世界は、孤独と幻想が夢のなかで交差したようなベックリンの絵画『死の島』を思わせる。
 第3曲〈トゥオネラのレンミンケイネン〉は、トゥオネラで非業の死を遂げたレンミンケイネンと、あらゆる手段を駆使して彼を救済しようとする母の慈愛をつづった第15章を下敷きにしている。細かい弦の動きと激しい金管の咆哮(ほうこう)で、死の世界を不気味に描いた楽曲。一転して静かな中間部は、息子を助けるためにトゥオネラへ赴こうとする英雄の母のイメージを聴き手に喚起させるだろう。
 第4曲〈レンミンケイネンの帰郷〉のプログラムは、数々の冒険をおこなったレンミンケイネンが、駿馬を作ってついに在りし日の故郷を目指すという第29章、第30章にもとづいている。勇壮な曲調を持ち、ハ短調で始まって変ホ長調(第1曲と同じ調)を目指しながらエネルギッシュに推進していく。構成はソナタ形式でもロンド形式でもなく、非常にユニークなデザインを有しており、シベリウスの柔軟な発想力が十分にうかがえる楽曲である。

作曲年代:1893~1896年。1897年、1900年、1939年に改訂
初演:初稿の初演は1896年4月13日、シベリウス指揮ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団。1897年改訂稿の初演は、1897年11月1日、シベリウス指揮ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団。演奏順に関するシベリウスの指示にしたがった1939年改訂稿の初演は、1939年9月28日、イェオリ・シュネーヴォイクト指揮NBC交響楽団

(神部 智)