ベートーヴェン (1770 - 1827)

交響曲 第8番 ヘ長調 作品93 (約27分)

 現存する自筆譜の表題ページには「シンフォニア」の表記とともに、右側に3行に分けて「リンツにて/10月/1812年」とある。珍しく、ベートーヴェンの名前は記されていない。自筆譜スコアは4分冊で、第1楽章と第3楽章が縦長の14段五線譜、第2楽章と第4楽章が横長の12段五線譜が使われているのも珍しいが、これは、作曲過程が旅行中にあったことを物語っている。作曲着手時期は、先行していた「イ長調交響曲」(第7番)完成のめどがついた1812年の5月ごろと思われるが、主要な作曲は7月から9月まで滞在したボヘミアのテプリッツ(現チェコのテプリチェ)やカールスバート(同カルロヴィ・ヴァリ)、そして、9月下旬にいったんウィーンにもどり、再び弟ヨハンの結婚問題でリンツに赴いた10月から11月にかけてであった。その後ウィーンにもどって最終的に12月には完成されていたと考えてよい。つまり、作曲地はウィーン、テプリッツ、カールスバートそしてリンツにまで及んでいる。
 この旅行はベートーヴェンの生涯において極めて思い出深いものであったに相違ない。すでに多くの歌曲への付曲や《劇音楽「エグモント」》作曲などに関して数通の書簡で交流のあった憧れの文豪ゲーテとの邂逅(かいこう)(テプリッツでの7月19日からの3日間、カールスバートでの9月8日ごろ)があり、また、あの有名な「不滅の恋人への手紙」(7月6日の朝、夕方、7日の朝)が書かれたのもテプリッツ滞在中であった。相手の女性がだれであるにせよ、42歳になった男があれほど情熱的な恋文を書いたのであるから、この時期のベートーヴェンの生命エネルギー、そして創造力はフルパワーに達していたに相違ない。
 1808年12月に《交響曲第5番》と《第6番「田園」》を初演して以来、ベートーヴェンはいわゆる動機労作による主題展開にある種の限界を感じ、新しい主題法を模索していた。約3年の空白をおいて着手した《交響曲第7番》とこの《第8番》では、新たな楽曲統一原理としてリズム法による主題展開を試みている。
 《交響曲第7番》が「舞踏のアポテオーゼ(聖化)」とか「リズムの饗宴」などと評価されるが、実はこの《交響曲第8番》が《第7番》にひけをとらない革新的なリズム法を駆使していることに注目しなければならない。たとえば、第1楽章開始の3/4拍子に1拍のアウフタクトも置いていないこと、第3楽章の3拍子では、アウフタクトから始まるものの、同一音形を小節線を無視するかのように扱っていることなどに象徴されよう。さらに第2楽章開始第1小節の同音連打の後に起きる主題動機と、第4楽章開始の同音連打の3連符に続く主題動機が相似していることも見逃してはならない。共通あるいは相似したリズム動機による楽曲統一が試みられている。
 もうひとつ注目したいのは、リズム表現を本質とした対作品として同時期に作曲していた《第7番》と同じように、《第8番》も緩徐楽章を持たないことだ。《第7番》では第1楽章にポコ・ソステヌートの緩徐な序奏部が62小節置かれてからヴィヴァーチェ主部に移行するのだが、《第8番》にはそうした緩徐導入部さえない。また、中間楽章に2/4拍子のスケルツァンドと3/4拍子のメヌエットを配置しているのも極めて異例のことである。ただ、あの難聴の苦悩を告白した1802年10月の「ハイリゲンシュタットの遺書」の後に作曲した4楽章の《ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調》(作品31–3)に同じ楽章配列の前例がある。

 第1楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ・エ・コン・ブリオ、ヘ長調、3/4拍子。ティンパニを伴ったトゥッティの主和音の中から生き生きとした楽しげな主題前半が現れ、これにクラリネットやホルンがのどかな響きで牧歌風の主題後半を続ける。3拍子の流れに2拍子リズムのシンコペーションを組み合わせてエネルギッシュに展開する。
 第2楽章 アレグレット・スケルツァンド、変ロ長調、2/4拍子。秒針を刻むような管楽器の同音連打リズムを背景にヴァイオリンとチェロのバスが主題を対話的に提示する。
 第3楽章 テンポ・ディ・メヌエット、ヘ長調、3/4拍子。複合3部形式だが、古典的なメヌエットと異なり主調のままトリオ部に続く。しかし、トリオ部ではホルンとクラリネットの主題を中心に展開し、メヌエットにダ・カーポする。
 第4楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ、ヘ長調、2/2拍子。ピアニッシモで性急な律動の主題が提示されるが、この主題は第2楽章主題から派生したものだ。激しく入れ替わる強弱のコントラストも大きな聴きどころ。

作曲年代:1812年5月頃~12月初旬(スケッチ帳研究から推定)
初演:1814年2月27日、ウィーンの宮廷大舞踏会場(この日の演奏会は前年12月8日に初演された《交響曲第7番》と《交響曲「ウェリントンの勝利」》の4回目の公演でもあった)

(平野 昭)