ベートーヴェン (1770~1827)

交響曲 第7番 イ長調 作品92 (約43分)

指揮:シャルル・デュトワ
管弦楽:NHK交響楽団

 

2013年12月11日収録

© NHK

 一般に、ベートーヴェンは芸術音楽を象徴する人物として知られている。そもそも「芸術音楽」という概念自体がベートーヴェンの存在をモデルにして形成されてきた節もあり、いずれにしても両者は切っても切り離せない関係にあるといえるだろう。
 しかし一方で、実はベートーヴェンは民俗音楽とも深いかかわりを持っていた。彼は1810年頃から1820年頃にかけて、イギリス、エディンバラの出版業者ジョージ・トムソンから依頼されて、種々の民謡を編曲する仕事に携わっているのである。これらの多くは、民謡の旋律にピアノ三重奏(ピアノ、ヴァイオリン、チェロ)の伴奏をつけるという単純なものであったが、そこはベートーヴェンのこと、時にはなかなかに複雑な前奏や後奏を付して、演奏者から苦情が出ることもあったという。扱われた民謡素材はスコットランド、ウェールズやアイルランドといったあたりが中心だが、やがてチロル地方、ドイツ、ポーランド、ロシア、ウクライナ、スペインと相当に広い範囲にまで広がることになった。
 これらの編曲は、ナポレオン戦争による不況にみまわれたウィーンで生活していたベートーヴェンが、おもに経済的な理由から引き受けたものではある。しかし、足掛け10年あまり、総数で179曲におよぶこうした編曲仕事は、彼の中期から後期の作品に微妙な影を落とすことになった。歌曲(《はるかな恋人に》《山からの呼び声》など)における影響はもちろんのこと、たとえば後期の弦楽四重奏曲においてあらわれる様々な民謡風の旋律も、おそらくこの編曲と無関係ではない。
 そして、この編曲作業がもっとも盛んだった1811年から1813年にかけて書かれた《交響曲第7番》は、「交響曲」というジャンルの中で、ベートーヴェンがもっとも大胆に民俗音楽の要素を取り入れた作品である。しばしば指摘されるのは、第2楽章の主題と《25のアイルランド歌曲集》(WoO152)の第5曲との類似、そして第4楽章の主題と《12のアイルランド歌曲集》(WoO154)の第8曲の類似だが、とりわけ後者は酷似しており、作曲時期が近接していることを考え合わせても、ベートーヴェンがある程度意識的にアイルランド民謡を用いた可能性は高い。また、ヴァイオリンが長いドローン(同一音を持続させて他の旋律を支える技法)を奏でる第3楽章のトリオ部分が、オーストリアの巡礼歌に由来するという説を唱える学者もいる。
 《第7番》の作曲にあたって、それまでに培(つちか)ってきた「動機展開」の手法をリズムの側面に適用しようとしたベートーヴェンは、その格好の素材を民謡の中に見いだしたのだろう。こうして《第7番》は、精緻(せいち)なリズム構造と強靱(きょうじん)な生命力をあわせもちながら、いたるところで親しみやすい旋律にもあふれた、なんとも楽しい交響曲になったのだった。全楽章を通してリズムの展開が派手であるにも関わらず、意外にも打楽器はティンパニのみである点も、曲全体の素朴な美しさを引き立てている。

 第1楽章 ポーコ・ソステヌート─ヴィヴァーチェ。4/4拍子の序奏の後に、弾むようなリズムで主題が提示される。カノン風の構成をとる展開部、強烈なバッソ・オスティナート(同一音型を低音部で何度も繰り返す技法)があらわれるコーダ部など聴き所は多い。
 第2楽章 アレグレット。イ短調の叙情あふれる楽章だが、冒頭のリズムが途切れなく持続する点は、きわめて実験的。
 第3楽章 プレスト。独特なリズムの主部を持ったスケルツォで、トリオ部ののどかな表情との対比が鮮やかである。
 第4楽章 アレグロ・コン・ブリオ。民謡風の素材を怒濤(どとう)のように展開させるフィナーレ。一見すると荒っぽい音楽だが、各楽器が細かく補い合いながら(たとえば第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリン)動いているあたりに、作曲者の冷静な計算があろう。

作曲年代:1811~1812年
初演:1813年12月8日、ウィーン大学講堂にて作曲者自身の指揮による

(沼野雄司)