チャイコフスキー (1840~1893)

交響曲 第5番 ホ短調 作品64 (約50分)

指揮:シャルル・デュトワ
管弦楽:NHK交響楽団

 

2008年12月17日収録

© NHK

 1887年11月、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーはモスクワのロシア音楽協会定期演奏会で、新作の《組曲第4番「モーツァルティアーナ」》(作品61)の初演を指揮し、その後、モスクワ近郊マイダーノヴォの自宅には帰らずに、そのまま西欧へ演奏旅行に出た。この旅行中に、彼がライプツィヒでブラームスやグリーグと親交を結んだことは、よく知られている。引き続き、彼は翌1888年の正月をリューベックで迎えたが、ここで、アレクサンドル3世の勅令が出て、3000ルーブルの年金が支給されることを知った。彼はすでに1878年に、メック夫人から毎月500ルーブルの支援を受けていたし、その上に国から、まとまった金額の年金を受けることになったのである。今や、彼は経済的な心配をまったくしないで、西欧への放浪の旅を続けながら、作曲に専念することができる身分となったのである。当時、音楽院教授の年俸が2000ルーブル程度であったことから、この年金の金額の大きさが分かる。《交響曲第5番》は、このような安定した生活環境の中で作曲されたもので、彼の交響曲の中でも、もっとも恵まれた、充実した時期の作品のひとつと呼べるだろう。
 チャイコフスキーの交響曲は、《第1番「冬の日の幻想」》(1866年)、《第2番「ウクライナ」》(1872年)、《第3番「ポーランド」》(1875年)、《第4番「最愛の友へ」》(1878年)、《第6番「悲愴」》(1893年)などと、副題で呼ばれることもあるが、《第5番》には副題がない。シェイクスピアの戯曲『ハムレット』による《幻想序曲》(1888年、作品67)と相前後して作曲されているので、それとの関係が指摘されることもあるが、これらはそれぞれ独立した作品で、2曲の間にとくに関係はない。
 チャイコフスキーは1888年7月4日(旧ロシア暦では6月22日)に、メック夫人に宛てて、「このところ、とても仕事が捗(はかど)り、交響曲(第5番)も《序曲「ハムレット」》も書き終わって、これからオーケストレーションに取りかかる……」と書き送った。実際に、これら2曲のスコアを見ると、なによりも、短期間に書き上げられた、膨大な「音符の量」に驚く。円熟した作曲家の勤勉な仕事ぶりが彷彿(ほうふつ)される。

 第1楽章 アンダンテ―アレグロ・コン・アニマ、ホ短調、ソナタ形式。堂々と曲の幕開けを告げるのが、A管クラリネットの奏する導入部である。A管クラリネットは、通常のB管よりも半音低い楽器で、導入部は堂々とした歩みを刻みながらも、どこか憂いを含んだ音色が印象的である。この主題はアンダンテで、やや緩やかなテンポながら、歯切れのよい付点音符のリズムが特徴的な前半と、音階的に下行する後半とからできている。なお、この主題は終楽章でも重要な位置を与えられており、交響曲全体の枠組みの役割も果たしている。引き続いて始まる主要部は、6/8拍子、アレグロ・コン・アニマで、まず、クラリネットとファゴットのソロが、微妙に強拍をずらした6拍子で、印象的な第1主題を奏する。この主題は、導入部の行進曲風で歯切れの良いリズムや、下行音階的な特徴とは、はっきりと際立って、流れるように流麗な性格であり、この楽章全体の雄大なスケールを予感させる。さらに、第1主題とは対照的な第2主題の提示、大規模な展開、そして再現へと続いて行く。第1楽章は典型的なソナタ形式による、対比と変化に満ちた、雄大な楽章である。
 第2楽章 アンダンテ・カンタービレ、コン・アルクーナ・リチェンツァ(少し自由さをもって、歌うように)、ニ長調、複合3部形式。この楽章は、主旋律を奏する独奏ホルンの音色が絶妙で、何とも言えない心優しさや、憧れを感じさせる。
 第3楽章 ワルツ:アレグロ・モデラート、イ長調、ワルツのリズムで。優雅な舞曲の楽章である。ここには、若さに満ち溢(あふ)れた喜びが聞こえてくるのであって、この楽章は、先行する2つの楽章に対する、明るい対比となっている。
 第4楽章 終曲:アンダンテ・マエストーソ―アレグロ・ヴィヴァーチェ、ホ長調、ロンド・ソナタ形式。終楽章には、アンダンテの「序奏部」が付いているが、これは第1楽章の序奏の再現であり、交響曲全体の「枠付け」ともなっている。もちろん第1楽章の序奏をそのまま再現するのではなく、例えば、第1楽章ではホ短調であったのが、ここではホ長調になっているし、終楽章の序奏として、第1楽章とは明白に異なる性格が与えられている。

 チャイコフスキーの交響曲には、この後、《第6番「悲愴」》しか残っていない。もちろん、この時点で、彼はそのことを知る由もないが、この交響曲には、自らの「終末」を自覚して「頂点」へと突き進むような、切実な「切迫感」が感じられる。《交響曲第5番》には、人生の終わりを自覚したかのような、チャイコフスキーの熱い思いが感じ取られるのである。この交響曲には、音楽そのものの面白さもさることながら、チャイコフスキーの「存在の意味」を考えさせられるところがある。

作曲年代:着想は1887年秋、モスクワ郊外マイダーノヴォの別荘にて。下書きは1888年5~6月。オーケストレーションは1888年6~8月
初演:1888年11月17日(旧ロシア暦では5日)、ペテルブルク・フィルハーモニー協会演奏会(作曲者自身の指揮による自作作品演奏会)

(森田 稔)