ブラームス (1833~1897)

交響曲 第2番 ニ長調 作品73 (約47分)

 19世紀ヨーロッパの作曲家たちの課題は「いかにしてベートーヴェンを超えるか」であった。特に交響曲の分野では、ベートーヴェンの9曲の交響曲の存在はあまりにも大きかったのである。ベルリオーズの標題交響曲やリストの交響詩は、ベートーヴェンが踏み込んだ「人生の表現」という領域を、多彩な管弦楽法を駆使して追究したものである。他方においてブラームスは、彼らのように特定の内容表現は伴わず、あくまで純粋な音の構築によってベートーヴェンを凌駕(りょうが)しようと考えたから、その困難はさらに大きかった。こうして《交響曲第1番ハ短調》の完成(1876年9月)には、その構想からは20年、具体的に最初のスケッチからは14年の歳月を要した。
 大仕事を終えたブラームスは、翌1877年の夏を、オーストリア南部ケルンテン地方、ウェルター湖畔の保養地ペルチャッハで過ごした。そこでの彼は、《交響曲第1番》を4手ピアノ用に編曲するかたわら、すでにこの《交響曲第2番ニ長調》の作曲に着手している。友人の批評家ハンスリックに宛てて「ウェルター湖は処女のような土壌だよ。そこではメロディが飛び交い、踏みつけないように用心する必要があるほどだよ」と書いているように、ブラームスは美しい自然に抱かれて、解き放たれたように美しい旋律を書き続けることができたのである。しかし完成は秋に持ち越された。場所は南ドイツの保養地バーデンバーデン近郊リヒテンタールである。この地は、ブラームスとクララ・シューマンが好んで滞在した所でもあり、この時も出会いがあった。10月3日付のクララの日記には、次のような記載がある。「ヨハネスが今晩やって来て、彼の《第2交響曲ニ長調》の第1楽章を弾いてくれた。それは私を大いにうっとりとさせてくれるものだった。その楽章は、創造性において《第1交響曲》の第1楽章よりも意義深いと思う。終楽章の一部も聴いた。私は喜びでいっぱいである。この交響曲によって彼は、聴衆の前でも《第1番》以上の決定的な成功を得るだろう。音楽史もまた、その独創性と素晴らしい仕事によって魅了されるだろう」。
 クララの予想通り、12月30日、ウィーンでの初演は大成功を収めた。ところが翌1878年1月10日、ブラームス自身の指揮によるライプツィヒ、ゲヴァントハウスでの再演は失敗に終わった。落胆したブラームスは、1月13日、出版社ジムロックへの手紙では、第1楽章を書き直そうかと提案している。幸いにしてその改作は行われず、私たちはこの美しい第1楽章をそのままの形で楽しむことができるのである。

 第1楽章は序奏を持たず、いきなり低弦による特徴的な基本動機(レ─ド♯─レ)と、ホルンによる牧歌的な第1主題によって開始される。第1ヴァイオリンによって紡ぎ出される優しい旋律も、基本動機と関係している。ヴィオラとチェロが大らかに歌う第2主題はイ長調。第2主題部は歯切れの良い付点音符による新素材を得て盛り上がり、再び第2主題で締めくくられる。入念に構成された展開部、楽器法に工夫を凝らされた再現部を経て、徐々に消え入るようなコーダが、ティンパニの弱奏によるロールをもって印象的に楽章を閉じる。
 第2楽章のアダージョは、自由な構成による美しい緩徐楽章である。チェロが歌う主要主題は、アウフタクト(弱起)から始まり、拍節と有機的なフレージングのずれが、微妙な美しさを生んでいる。
 第3楽章はロンド形式だが、2つの中間部を持ったスケルツォとも考えられる。ただしここでは主要部がアレグレット・グラチオーソとゆったりした動きなのに対して、2つの中間部はどちらもプレスト・マ・ノン・アッサイと、速い動きであるところが、常識の逆を行っている。
 第4楽章は、アレグロ・コン・スピーリトの軽快なフィナーレ。ソナタ形式で構成され、第1主題は冒頭から弦の斉奏で開始される。第2主題は、第1ヴァイオリンとヴィオラによって開始される大らかな賛歌として発展する。この主題は長いコーダにおいても中心素材として用いられ、このブラームスの「田園交響曲」を、喜びに満ちて締めくくっている。
 ブラームスは、《交響曲第1番》においては、同じハ短調で書かれたベートーヴェンの《交響曲第5番「運命」》の超克を試みた。さらにこの《第2番》においては、ベートーヴェンの《第6番「田園」》の世界を、自分なりに発展させることを試みて、かつ成功したのである。

作曲年代:1877年9月、バーデンバーデン近郊リヒテンタールで完成
初演:1877年12月30日、ウィーンにてハンス・リヒターの指揮で

(樋口隆一)