ブルックナー (1824~1896)

交響曲 第1番 ハ短調 (1866年リンツ稿/ノヴァーク版)(約51分)

 アントン・ブルックナーが《交響曲第1番》の作曲に着手したのは、40歳を過ぎ、すでにリンツ大聖堂オルガニストとして確固たる地位を築いてからのことであった。作曲家としてはすでに《ミサ曲ニ短調》によって、また指揮者としても男声合唱団「フロージン」の指揮者として名声を得ていたから、1868年にリンツでこの交響曲が初演されたとき、聴衆は驚きを隠せなかったようだ。
 ウィーンの理論家ジモン・ゼヒターのもとでの対位法の研鑽(けんさん)ののち、リンツの指揮者オットー・キツラーのもとで楽式論と管弦楽法を学んだブルックナーは、習作としてすでに行進曲を1曲、管弦楽の小曲を3曲、序曲を1曲、さらに《交響曲へ短調》を書き上げていた。したがって公式には第1作となってはいるものの、この《第1番》の完成度はきわめて高いものがある。
 『ブルックナー全集』でこの曲を校訂したレオポルト・ノヴァークによると、この交響曲は第1楽章から順に作曲されたものではない。1865年1月、まず最終楽章から着手し、同年3月10日にはスケルツォの草稿を始め、さらに第1楽章へと移った。この楽章の完成は5月14日である。5月25日にはスケルツォとトリオが、《トリスタンとイゾルデ》の初演を待つミュンヘンの宿で総譜化されている。
 ミュンヘンでのブルックナーは、ワーグナーをはじめ、アントン・ルビンシテインやハンス・フォン・ビューローとの知己を得ている。特にビューローには、まだ書かれていなかったアダージョを除いたすべてを見てもらい、良い評価をもらっている。
 新しいスケルツォの完成は翌1866年1月23日、そして最後に残されたアダージョは、1月27日から4月12日にかけて作曲され、全曲を見直した後、4月14日にはすべての仕事を終えている。これが1868年に初演された〈リンツ稿〉である。
 1868年10月にウィーンに移ったブルックナーは、次々と交響曲を作曲してゆくが、旧作に対しても改良の手を休めることはなかった。この交響曲の〈リンツ稿〉も、おそらく1877年と1884年に修正が行なわれている。しかし彼は、それだけでは満足できず、1890~1891年にかけてさらに改訂をおこない、いわゆる〈ウィーン稿〉が成立した。ノヴァークの前任者ローベルト・ハースは、彼の校訂による全集版(ハース版)で、すでにリンツ稿とウィーン稿を別途出版しているが、リンツ稿は、作曲学上の欠点(禁則進行など)にもかかわらず、ブルックナーのオリジナリティがそのまま出ていることから、ウィーン稿よりも勝ることが確認され、今日ではほとんどリンツ稿のみが演奏されている。

 第1楽章は3つの主題を持ったソナタ形式として構成されている。アレグロ、4/4拍子の低弦のきざみに乗って登場するハ短調の第1主題は、特徴あるリズムと、ホルンの短い応答とによって、すでにきわめて個性的な世界を創り出している。ゲレリッヒは、この主題とシューベルトの《弦楽四重奏曲第2番》(1813年)の主要主題との近親性を指摘している。平行調の変ホ長調で書かれた第2主題は、第1主題とは対照的にゆるやかな優しい楽想で、第1ヴァイオリンで示されたのち、ホルンへと受け継がれてゆく。その発展を突然さえぎるのはフォルティッシモの第3主題で、安らぎのない変ホ長調の楽想の連続は、《タンホイザー》の序曲を思わせるトロンボーンによる堂々たるエピローグへと発展し、みごとな提示部が形成される。展開部は、エピローグの素材によって発展したのち、第1主題を用いて高まり、いったん静まって再現部に入る。再現部における第2、第3主題はハ長調で登場し、第1主題を素材としたコーダによって堂々と第1楽章が終わる。
 第2楽章は3部形式の緩徐楽章である。へ短調、4/4拍子、アダージョの神秘的な主要部に対し、中間部は変ホ長調、3/4拍子のアンダンテとして、愛に満ちた高揚をみせる。再現部のあと、変イ長調の美しい旋律からなるコーダによって終わる。
 第3楽章はみごとなスケルツォである。フォルティッシモのにぎやかな序奏のあとで登場する卜短調の主要主題の特徴あるリズムに対し、卜長調のトリオでみせるレントラー風ののどかさと一抹の哀愁は、上部オーストリア人ブルックナーならではのものである。
 第4楽章は再び3主題によるソナタ形式の楽章である。冒頭の跳ね上がるようなハ短調の第1主題について、ブルックナーは次のように表現している。「おきゃんな田舎娘が、よけいなおしゃべりなしにすぐさま言うのだ『ほら、あたいだよ』と」。
 旋律的な第2主題(第39小節)とエネルギッシュな第3主題のどちらもが変ホ長調で書かれている。長い展開部のあと、再び「おきゃんな田舎娘」(第1主題)が登場すると、そこからが再現部である。第2、第3主題はハ長調として再現され、長いクレシェンドのあとに到達するコーダは、第1主題のリズムを用いたハ長調の讃歌で、金管の咆哮(ほうこう)の中に、輝かしく全曲がとじられる。

作曲年:1865年1月~1866年4月14日(リンツ稿)、1890年~1891年(ウィーン稿)
初演:1868年、リンツにて

(樋口隆一)