ベルク (1885~1935)

ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出のために」(約27分)

 ウィーンの作曲家アルバン・ベルクは、1935年夏、ある少女の死に捧(ささ)げるヴァイオリン協奏曲を書き上げる。この曲を献呈された「天使」とは、アルマ・マーラーと彼女の2人目の夫ワルター・グロピウスとのあいだに生まれた娘マノン・グロピウスであった。ベルク夫妻もたいそうかわいがっていたマノンは、1935年4月に病のため18歳でこの世を去ってしまう。《協奏曲》は2部から構成されており、前半は天使のような美しい少女を、後半は襲いかかる病、そして死を描く、というプログラムをベルク自身が示唆している。第2部後半に織り込まれたバッハのコラールの旋律は、マノンへのレクイエムという印象を一層強めている。
 ベルクがこの曲に着手したのは、1935年2月のことであった。アルノルト・シェーンベルクの下で十二音技法を学んだベルクは、ヴァイオリンの開放弦をなぞるソ─レ─ラ─ミのモチーフと三和音の連鎖とを含む基本音列で全曲を構成し、無調と後期ロマン派的な浮遊する調性感を巧みに接続するという、ベルクらしい変容の手腕を発揮している。しかし、その見事な基本音列も、全体の構成も、マノンの訃報(ふほう)以前に出来上がっていたことがベルクの書簡などから明らかになっている。すると、彼の最初の構想はどのようなものだったのか。
 研究者からは、ベルクが自分の運命を表す数と考えていた「23」と曲の小節数とを関連させることで自身の生涯を回顧したのではないか、あるいは最初期のスケッチのメモからはナチス・ドイツへの拒絶のメッセージが読み解けるのではないか、といった解釈も出されている。
 真実は明かされないままに残されているが、いくつものモチーフの緻密(ちみつ)な関係性のなかに秘めた意味を重ねあわせたその音楽は、謎めいた表情のままに不思議な魅力を放っている。

作曲年代:1935年
初演:1936年4月19日、バルセロナ、国際現代音楽協会音楽祭。ヘルマン・シェルヘン指揮、ルイス・クラスナー独奏

(澁谷政子)