ラフマニノフ (1873~1943)

ピアノ協奏曲 第4番 ト短調 作品40(1941年版)(約27分)

 ラフマニノフは、1917年の十月革命後ロシアを離れてからは演奏活動に明け暮れ、ほとんど曲を書いていなかった。1924年に友人のロシア人作曲家ニコライ・メトネルから「なぜ作曲をしないのですか」と問われたラフマニノフは、「メロディが浮かんでこないのにどうやって作曲をするんです」と答えたという。それでも、そのやりとりがひとつのきっかけになったのだろう。その後すぐにラフマニノフは、1914年頃にスケッチを行っていた本作の作曲にとりかかっている。そして1926年に完成させ、メトネルに曲を献呈した。
 初演は1927年。不評だったため、ラフマニノフは楽譜の出版前に大幅な改訂を加えて1928年に出版。しかしそれに満足できず、さらに1941年に大規模な改訂を行い、それを決定稿とした。
 この作品は「インスピレーションが枯渇している」という評価を受けたこともあるが、その一方で劇的な表現や巧妙なオーケストレーション、ジャズの影響が感じられる現代的なリズムや和声が高い評価を受けてもいる。確かにかつての濃厚なロマンチシズムは後景に退き、リズムや和声進行の面で鋭さや渋さを増しているが、それは「インスピレーションの枯渇」というより、後期のラフマニノフが到達した新しい音楽世界と捉(とら)えるべきものだろう。

第1楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ。自由なソナタ形式。厳かな第1主題と夜想曲風の第2主題からなる。
第2楽章 ラルゴ。3部形式。シューマンの《ピアノ協奏曲》を想起させる優しい主題をもつ。コーダの部分は自作の《音の絵》(作品33–3)からの引用である。
第3楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ。2つの主題がラプソディー的に目まぐるしく展開される。コーダではそれまでのさまざまな要素が回想されながら、華々しく曲が閉じられる。

作曲年代:[初稿]1926年8月、[第2稿]1928年、[最終稿]1941年
初演:1927年3月18日、作曲者自身のピアノ、レオポルド・ストコフスキー指揮、フィラデルフィア管弦楽団、フィラデルフィアにて

(高橋健一郎)