ドビュッシー (1862~1918)

ピアノと管弦楽のための幻想曲 (約24分)

 クロード・ドビュッシーは、1884年に若手芸術家の登竜門であるローマ賞を受賞し、政府の奨学金付きでローマのフランス・アカデミーに留学した。留学生にとっては勉強の成果を示す作品提出が義務であった。ドビュッシーの《ピアノと管弦楽のための幻想曲》は、そのように義務づけられた第4の、そして最後の留学送付作品である。この曲については、いろいろな経緯のため作曲家の生前には初演も楽譜出版もなかった。作品は1890年4月に完成し、ヴァンサン・ダンディの指揮による国民音楽協会の演奏会(4月21日、サル・エラールにて)で初演される予定だった。しかし当日のプログラムにはブノワ、ボルド、フォーレらの盛りだくさんの作品が並んだため、《幻想曲》は第1楽章のみの演奏ということになった。するとドビュッシーは練習前にホールへ行き、譜面台から楽譜を引き上げてしまったのである。そしてダンディに「1楽章だけの申し分のない演奏より、まずまずの演奏ではあってもすべてあるほうがよいのです」という手紙を送った。ドビュッシーが部分演奏に不満だったからと見られるが必ずしもそうではない。彼は作品の出来に不満だったのだ。長年手直しを続け、1909年になってもまだ、曲を全面的に書き換えたいとヴァレーズに語っているほどである。ピアノを編成に含む管弦楽作品は彼にとって難物だったのかもしれない。製本屋の火事で楽譜が焼失したという理由でオリジナルが提出されなかった2番目の留学送付作品《春》もやはりピアノ付きの管弦楽曲だったということがある。しかし《幻想曲》は、作曲家をそれほど悩ませたからこそ、のちの円熟の萌芽(ほうが)があるともいえるのである。
 第1楽章の導入部(アンダンテ・マ・ノン・トロッポ)は、五音音階風ののどかなテーマ(オーボエ)で始まる。これは曲全体でさまざまに変容する循環テーマである。そして同じような性格だがほとんど形を変えない第2旋律(イングリッシュ・ホルン)が加わる。導入部だけですでにト長調―変ホ長調―変ト長調―変イ長調といった、当時のドビュッシーらしい色彩重視の自由な進行を経て主部(アレグロ・ジュスト)ヘ至る。ここではすでに《牧神の午後への前奏曲》にあるようなモチーフの全音音階的変容も聞かれる。
 第2楽章(レント・エ・モルト・エスプレッシヴォ)は、たっぷりと響く美しい夜想曲ともいえ、その官能性は圧倒的である。最後のほうで低音に循環テーマの縮小形が聞こえるのを合図に、フルートが、次にピアノが第3楽章の楽句をさりげなく予告し、切れ目なく後続楽章へ入る。こうしたやり方はすべて後の管弦楽曲《イベリア》で洗練を極める手法である。
 第3楽章(アレグロ・モルト)は、低音弦による循環テーマ由来のオスティナート音型と、予告された楽句(オーボエ)で始まる。そして続くフルートの5連符楽句や、スタカティッシモの3連符などが一緒になって、循環テーマが使い尽くされる環境を作り上げていく。最後はピアノが力強く華々しくテーマをうたいあげる。

作曲年:1889~1890年
初演:1919年11月20日、アルフレッド・コルトーのピアノ独奏、ロイヤル・フィルハーモニック協会、ロンドン

(松橋麻利)