武満 徹 (1930~1996)

ノスタルジア ― アンドレイ・タルコフスキーの追憶に(1987)(約12分)

 1980年代に入って武満徹は、《遠い呼び声の彼方へ!》(1980年)、《海へII》(1981年)などの海をテーマにした作品を書く一方、《雨ぞふる》(1982年)、《雨の樹 素描》(1982年)などの雨をテーマとする作品を書いている。1980年代後半からは、ギターのための《すべては薄明のなかで》(1987年)、《トゥイル・バイ・トワイライト》(1988年)など、薄明りをテーマとする作品を書いている。その後、《ハウ・スロー・ザ・ウィンド》(1991年)、《そして、それが風であることを知った》(1992年)のように、きわめて遅く動く風や気配だけ残す風をタイトルにもつ作品を書いている。大きな水としての海から小さな水としての雨に、小さな光としての薄明に、気づかれないほどの小さな風に関心を向けるところが武満らしいと言いたくなる。
 《ノスタルジア》(1987年)は、ヴァイオリンを独奏楽器にもつ点で《遠い呼び声の彼方へ!》と共通しているが、海よりも、むしろ小さい水のゆくえを表している。《ノスタルジア》は、武満がその映画から影響を受けたというロシアの映画監督アンドレイ・タルコフスキーの作品名からタイトルがとられ、亡命先のパリで急逝(きゅうせい)した同監督の追憶として作曲された。《ノスタルジア》について武満は、「時に細分化された弦楽オーケストラが、タルコフスキーの(映画の)特徴的なイメージである、水や霧の感覚を表すが、全体は、緩やかで哀歌的な気分につつまれている」と語る。
 独奏ヴァイオリンは、弦楽合奏の響きから抜け出るようにアルペッジョ風の旋律進行で上昇し、高い音域にいくほどにデクレッシェンドされて重みを抜き取られたような音になり、再び弦楽合奏の沈んだ響きに浸透するように戻っていく。高く舞い上がる独奏ヴァイオリンと、弦楽合奏の重い響きは遠い関係にありながら出自はひとつであることも感じさせる。滔々(とうとう)と水を湛(たた)えた海とは違う、しかし空間をしなやかに舞う霧の存在感を目の当たりにさせる。

作曲年代:1987年
初演:1987年8月11日、エディンバラ、アッシャー・ホール、エディンバラ音楽祭にてピーター・マクスウェル・デーヴィス指揮スコットランド室内管弦楽団、ユーディ・メニューインの独奏

(楢崎洋子)