プロコフィエフ (1891~1953)

スキタイ組曲「アラとロリー」作品20 (約21分)

 将来のライバルとなるストラヴィンスキーのバレエ音楽《春の祭典》が、パリでスキャンダルを巻き起こしたのは1913年5月。数週間遅れて到着したプロコフィエフはこの初演こそ逃したものの、パリ芸術界を席巻(せっけん)するディアギレフ主宰バレエ・リュスの華々しい活躍を目の当たりにする。翌年、ロンドン公演中のディアギレフを訪ねたプロコフィエフはその才能を見込まれ、《春の祭典》同様に神話的ロシアに因(ちな)んだバレエ作品を委嘱される。彼が選んだ題材は、「スキタイ」として知られる古代騎馬民族の物語であった。
 紀元前に黒海北岸の広大な草原地方を支配したスキタイ人は、その未開性や非西欧性(イラン系)ゆえに、ロシア革命期、西欧近代の影響を脱した新しいロシア文化を探求する芸術家や作家を魅了した。バレエの台本を担当した作家ゴロデツキーもそのひとり。《アラとロリー》のあらすじは、この「スキタイ主義」と彼が想像・創造した古代スラヴの太陽信仰との混合物である。次に各曲にそって概要を紹介しよう。
 「太陽神ヴェレスには娘アラがおり、その木像は村人から崇拝されていた(第1曲)。邪教の神チュジボーグの一団によってアラが誘拐される(第2曲)。夜の王国でチュジボーグがアラの装身具を奪い取ろうとするが、月の女神たちの光によって退散する(第3曲)。スキタイ人兵士ロリーは恋人アラを取り戻すべく遠征に出かけるが、屈強な敵の前に敗れそうになる。その時地平線から太陽が昇り、その放射光によって敵たちは消滅する(第4曲)」。
 結局、《春の祭典》との類似性のためにバレエは取りやめとなり、プロコフィエフはその音楽を組曲に改編した。奇抜な楽想や精緻(せいち)な管弦楽法と、叙情的な旋律や明確な調性感が混然一体となった音楽は、むしろストラヴィンスキーとの共通の師リムスキー・コルサコフの魔法オペラの世界を彷彿(ほうふつ)させる。

作曲年代:[バレエ]1914年、[組曲に改作]1915年
初演:1916年1月29日(旧ロシア暦16日)、作曲者自身の指揮、ペトログラード(現サンクトペテルブルク)にて

(千葉 潤)