プロコフィエフ(スタセヴィチ編)

オラトリオ「イワン雷帝」作品116 (約69分)

 セルゲイ・プロコフィエフは第二次世界大戦の戦中、映画監督セルゲイ・エイゼンシテイン(1898~1948)による映画『イワン雷帝』(第1部1941~1944年、第2部~1946年)のための音楽を創作した(1942~1945年、作品116)。これにもとづいて、作曲家没後の1961年に、指揮者で作曲家のアブラム・スタセヴィチが編曲したオラトリオが本作である。プロコフィエフがエイゼンシテインと組んだのは、『アレクサンドル・ネフスキー』(1938年)、そしてこの『イワン雷帝』第1・2部の2作であった。いずれも外敵から祖国を守った実在の統治者が描かれている。イワン雷帝とは、14世紀にロシア全土の大公となったイワン4世のことで、最初の皇帝になった人物である。反対勢力の大貴族を粛清するなど残虐な一面でも知られ、恐ろしい皇帝として歴史に刻まれてきた。そのカリスマ的な存在感から、少なくとも第1部の公開時点では、『イワン雷帝』は戦時下の国家称揚の空気に合致する作品であった。
 エイゼンシテインは1920年代よりジャポニズムに傾倒し、漢字や短歌などへの関心を強めていたことで知られる。時代は無声映画からトーキー(音声つき)映画へと移行しはじめた頃のこと。1928年に二代目市川左團次率いる一座によってソ連初の歌舞伎公演が行われると、エイゼンシテインもレニングラード公演を観劇し、その興奮を『芸術生活』誌への寄稿論文に認(したた)めた。そこでは諸要素(音響─動作─空間─声)の独特の調和、視覚と聴覚を共通知覚へと収斂(しゅうれん)させる方法など、歌舞伎の世界に感嘆している。この12年後に着手された『イワン雷帝』においてもその影響が色濃く認められ、たとえばイワン雷帝の威厳にみちた(時に斜めの)歩行、独特の間を感じさせるクローズアップ、デフォルメした睨(にら)みなど、歌舞伎の所作を想起させるカットは枚挙にいとまがない。この時代の創造的な感性が「日本」と交差した作品としても、興味深い映画である。
 さてプロコフィエフはオペラやバレエなどから組曲を編んだり、それらをピアノ譜にするといった編曲をよく手がけた。だが、『イワン雷帝』からは自ら編曲をしなかった。これは、当初3部作の構想で制作された『イワン雷帝』の第1部が公開後に熱狂的な人気を博し、1946年1月にスターリン賞第1席という名誉ある国家賞を受賞していたことからすると、特殊な状況だったと言わざるをえない。結局、『イワン雷帝』シリーズの運命は、第2部の制作によって凋落(ちょうらく)してしまったのである。第1部がスターリン賞を受賞した直後の1946年2月、エイゼンシテインは早くも第2部の制作を終え、芸術審議会での検閲が行われた。そこで第2部は酷評され、審議会から修正を命じられることとなる。だがエイゼンシテインは病気のため、実際に修正作業に取りかかることができなかった。すると翌3月、審議会は映画の上映禁止を決議した。第二次世界大戦が終戦した直後の1946年にもかかわらず、勝利が高らかに謳(うた)われないどころか、14世紀の権力者が意志薄弱で感情的に表現されている点が、権力者スターリンを揶揄(やゆ)するものとして危険視されたのである。
 ようやく状況が変わったのは、1953年のスターリン死後のことであった。より直接的には、1956年にフルシチョフが行ったスターリン批判が決定的な転機となった。これによりイワン雷帝の「脱スターリン化」が起こったのである。すなわちスターリン=イワン雷帝として求められた権力者像の理想化や個人崇拝、さらには専制君主の残虐性の隠ぺいや美化を求めた当局側の反省が行われ、結果、1958年に『イワン雷帝』第2部はそのままの形でようやく公開上映されたのだった。
 この後、音楽をめぐる動きも出始めた。まずレヴォン・アトヴミャーンが1958~1961年に映画『イワン雷帝』のための音楽からの編曲に乗り出した。アトヴミャーンは、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、ミャスコフスキーなどの作品に対し、作曲家たちからの信頼を得て、数々の編曲を手がけていた作曲家である。この頃、ピアノ組曲に加え、オラトリオも作ったことが分かっているが、このオラトリオは当時演奏されることはなかった。この後、スタセヴィチもオラトリオを編曲した。これが今回演奏される作品である。スタセヴィチは1940年代の映画音楽の録音の際に指揮した人物でもある。このスタセヴィチ版は1961年3月、モスクワ音楽院大ホールで開催されたプロコフィエフ生誕70年記念演奏会で初演されている。
 スタセヴィチ版は、合唱、語り手、独唱、オーケストラのためのオラトリオで、全20曲からなる。基本的に映画の第1部と第2部の内容がほぼ時系列で展開するが、フィナーレは第1部の結末で閉じられている。冒頭、金管楽器によって奏でられる勇壮な旋律がイワンの主題で、映画でも度々象徴的に登場する。これに続く合唱「黒雲おこり」は、バロック・オペラのプロローグにおける前口上のような機能も持つ。この映画の真面目は、14世紀の権力者の生涯につきまとった狡猾(こうかつ)な裏切り、策略、悲劇である。音楽は各場面の神髄を一瞬で伝える象徴性と明晰(めいせき)さを放つ。

第1曲〈序曲〉 イワンの主題、「黒雲おこり」の合唱に続き、イワンの母グリンスカヤが毒殺されたときの回想シーンの音楽が流れる。
第2曲〈若きイワンの行進曲〉 大貴族に誘われ、幼少で大公となったイワンは周りの大貴族たちの操り人形となる。
第3曲〈大海原〉 アルト独唱と合唱がルーシの海を歌い、敵軍に領土化された街々を憂う。
第4曲〈僕が皇帝になる〉 イワンの主題とともに、若きイワンの戴冠が描かれる。
第5曲〈神はすばらしき〉 大聖堂での戴冠式の様子。18世紀後半にロシア人初の帝室聖歌隊楽長となったボルトニャンスキー(1751~1825)の旋律にもとづく。
第6曲〈遥かなる歳月〉 民衆が賛歌でイワンを称える。民謡にもとづく。
第7曲〈聖愚者〉 モスクワが大火に覆われ、聖愚者が「皇帝は呪われている」と叫ぶ。
第8曲〈白鳥〉 イワンとアナスタシヤとの婚礼の場面。
第9曲〈敵の骨を踏みしだき〉 タタールに立ち向かうルーシ軍が結集する。
第10曲〈タタール人〉 タタールの軍勢が押し寄せる。
第11曲〈砲兵たち〉 皇帝の砲台を運ぶ勇ましい砲兵たちと、彼らを称える合唱。
第12曲〈カザンへ〉 戦場となったカザンの野営地。
第13曲〈イワンは大貴族たちに懇願する〉 戦いの後、病に臥(ふ)せるイワンが大貴族たちに息子への忠誠を請う。
第14曲〈エフロシニヤとアナスタシヤ〉 皇帝イワンの政敵である伯母エフロシニヤが皇妃アナスタシヤにと毒入りの水壺を差しだす。知らずにイワンがアナスタシヤにその壺を渡してしまう。
第15曲〈ビーバーの歌〉 エフロシニヤが息子ヴラディーミルに不気味な子守り歌を歌う。イワンを引きずり下ろし、ヴラディーミルの戴冠を願っている。
第16曲〈アナスタシヤの柩(ひつぎ)のもとにたたずむイワン〉 アナスタシヤの柩のもとで悲嘆する皇帝イワン。
第17曲〈オプリーチニキ(親衛隊)の合唱〉 皇帝直属の親衛隊が結集し、イワンを守ろうとする。
第18曲〈フョードル・バスマーノフとオプリーチニキの歌〉 平民出身の腹心の家来バスマーノフと親衛隊が、イワンの命令で大貴族たちの粛清を遂行する。
第19曲〈オプリーチニキの踊り〉 親衛隊たちの異様な熱気が描かれる。
第20曲〈終曲〉 退去地アレクサンドロフからモスクワの民衆のもとに戻るよう民衆が皇帝に懇願する。皇帝とルーシへの不穏な賛歌が高らかに歌われる。

作曲年代:[映画音楽]1942~1945年 [オラトリオ(スタセヴィチ編)]1961年頃
初演:1961年3月23日、モスクワ音楽院大ホール、スタセヴィチ指揮、モスクワ国立フィルハーモニー交響楽団

(中田朱美)