ベルク (1885~1935)

「ルル」組曲 (約35分)

 20世紀前半の音楽史に重要な功績を残した新ウィーン楽派の作曲家たちのなかで、アルバン・ベルクはある意味で特異な存在だったと言えるだろう。後期ロマン派から無調へ、さらに12音技法の創始者として、時代を切り開いていった師シェーンベルク。師の世界をさらに推し進め、前衛の時代の絶対的な規範となった盟友ウェーベルン。しかしながら彼らの道のりは同時に、20世紀の音楽が抱えることになった問題、すなわち聴衆との断絶を広げるものだった。そのなかでベルクはオペラ《ヴォツェック》によって興行的な成功を手に入れ、また「あなたの様式なら、無調の音楽やそれに対する否定的なイメージについて、突破口となるものが書ける」という依頼から、《ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出のために」》が生まれたように、ベルクの音楽は最も早くから受け入れられ、そして最も愛されるレパートリーとなってきた。
 ストラヴィンスキーの《春の祭典》が20世紀音楽の古典と呼ばれるのと同じく、ベルクの《ヴォツェック》は1925年のベルリン初演以来、20世紀オペラの古典と評される。貧しく社会から疎外された兵卒ヴォツェックは、内縁の妻マリーを殺し自らも沼に溺(おぼ)れ死ぬ。この救いのない物語をベルクは無調のオペラとして表現したが、《ヴォツェック》の意義は無論それだけではない。そこにはオペラ作曲家としてのベルクの信念があった。「歌う声による伴奏付き大オーケストラのための交響曲」となってしまった楽劇から、オペラを「退屈な劇」とすることなく、「人間の声に仕える芸術形式」へと取り戻すこと。そのためにベルクは、3幕15場をそれぞれのドラマと結び付いた器楽形式によって構築すると同時に、「ベルカントの発展の可能性」を追求しながら、さらにレチタティーヴォに代わるシュプレヒシュティンメの語る声を用いて、《ヴォツェック》を書いたのだった。
 その理念は2作目のオペラである《ルル》にも、より拡大されて受け継がれている。前作と同様にベルクは自らの手で、フランク・ヴェーデキント(1864~1918)の2つの戯曲、『地霊』と『パンドラの箱』を3幕の台本へと編纂(へんさん)した。それにより《ルル》のドラマは、第2幕の真ん中を頂点に、世紀転換期を生きたファム・ファタル(フランス語で「運命の女」、すなわち男性を破滅させる魔性の女のこと)であるルルが人生を登り詰め、そして凋落(ちょうらく)していくという、シンメトリー構造のなかに置かれることになった。オペラの前半、ルルはその魅力で3人の夫たち(医事顧問官、画家、シェーン博士)を次々と破滅させていく。そして彼らは後半、売春婦へと身を落としたルルのもとに、3人の客(教授、黒人、ジャック)となって復讐(ふくしゅう)にやって来る。このルルを中心とする因果応報の世界を、ベルクは12音技法によるオペラとして作曲した。ここでは唯一のルルの音列から、すべての登場人物の音列が導き出され、《ヴォツェック》では場ごとであった器楽形式は、シェーン博士にはソナタ形式、その息子のアルヴァにはロンド形式と、登場人物ごとに与えられている。さらに《ルル》における声は、全くの演劇的な語りからシュプレヒシュティンメ、そして歌にいたるまで、6つのレベルを自在に行き来する。
 《ヴォツェック》に続く《ルル》で、ベルクはさらなる飛翔(ひしょう)を遂げるはずだった。1929年秋に作曲が始まり、1934年春にはすべてのスケッチが完了。完成に向けて懸命にオーケストレーションが進められるなかで、ベルクは1935年4月に《ヴァイオリン協奏曲》の委嘱を受け、それを書き上げた後、同年12月24日にこの世を去った。すなわち《ルル》は、第3幕の始めまでしかオーケストレーションされなかった。しかしながら僥倖(ぎょうこう)と言えるのは、あわせて《ルル組曲》が残されたことであった。これは本編の宣伝となるべく、1934年11月にベルリンで初演されたもので、オペラから抜粋された5つの音楽のうち、最後の2曲は第3幕からとられている。第3幕についてはフリードリヒ・ツェルハによる補筆完成版が1979年に初演されているが、実のところ今日まで、《ルル》は第2幕までを上演し、第3幕は《ルル組曲》の第4曲と第5曲を演奏する、というやり方が続けられている。その意味において、未完の《ルル》は《ルル組曲》によって完結されているとも言えるかも知れない。

第1曲〈ロンド〉 第2幕第1場および第2場のルルとアルヴァの場面の音楽から。アルヴァはルルに母親を毒殺され、父親のシェーン博士を射殺されてもなおルルの虜(とりこ)になっている。アルヴァの情熱的な性格がロンド形式と、サクソフォンの音色によって表現される。
第2曲〈オスティナート〉 第2幕の第1場と第2場の間に上演されるサイレント映画のための音楽。オペラの内容を集約するように、映像はシェーン博士を殺したルルが逮捕されてから解放されるまでの出来事を映し出し、無窮動(むきゅうどう)の音楽もそれにあわせてシンメトリーに構成されている。
第3曲〈ルルの歌〉 第2幕第1場で歌われるルルのアリアで、オペラのすべてを生み出すルルの音列によって歌い始められる。ヴェーデキントが徹底して「若くてかわいい印象」を求めたルルに、ベルクはコロラトゥーラ・ソプラノの声を与えて応えた。
第4曲〈変奏曲〉 第3幕第1場から第2場への間奏曲。ヴェーデキント作のベンケルリートを主題とする、4つの変奏からなる。当時の町の広場には、手回しオルガンを鳴らしながら風刺的な歌を歌うベンケルゼンガー(大道歌手)たちの姿があった。
第5曲〈アダージョ〉 第3幕第2場の終局の音楽。第3の客である切り裂きジャックの登場とともに始まるが、この音楽はルルとシェーン博士の場面の音楽に他ならない。ルルは唯一愛したシェーン博士を殺し、シェーン博士と同じ歌手によって演じられるジャックに刺し殺される。ルルの最期に、ルルに無償の愛を捧(ささ)げたゲシュヴィッツ伯爵令嬢が寄りそう。

作曲年代:1929年秋から。オペラとしては未完に終わった
初演:《ルル組曲》としての初演は1934年11月30日、ベルリン国立歌劇場、リリー・クラウスのソプラノ、エーリヒ・クライバーの指揮による

(石川亮子)