ベートーヴェン (1770~1827)

「エグモント」序曲 (約9分)

 1809年5月、ウィーンは1805年に次いで再びナポレオン軍に占領されている。政治、経済、社会情勢のめまぐるしい変化からホーフブルクとアン・デア・ウィーンの両宮廷劇場は2か月にわたって閉鎖された。7月になると駐留するフランス軍兵士のためにフランスの劇団による出し物が上演されるようになり、占領軍の司令部とされていたシェーンブルン宮殿内の小劇場でもフランス人好みのバレエ上演かイタリア・オペラのみが上演されていた。およそ半年後には占領から解放され、疎開していた音楽愛好貴族たちもウィーンの町に戻ってきた。かれらは観劇とオペラ鑑賞という最高の娯楽から遠ざかる日々を送ってきたことの不満が溜(た)まっていた。宮廷劇場支配人のヨーゼフ・フォン・ルクセンシュタイン・ハルトルは劇場救済基金のための慈善興業を企画し、シラー原作の『ヴィルヘルム・テル(ウィリアム・テル)』とゲーテ原作の『エグモント』を上演することとし、これらの舞台劇のために付随音楽を2人の作曲家に依頼したのである。シラー作品にはアダルベルト・ギロヴェツ(1763~1850)が、そしてゲーテ作品にはベートーヴェンが指名された。
 ゲーテが1788年に書き上げた戯曲『エグモント』は史実に基づく実在人物エグモント伯ラモラル(1522~1568)をモデルにしている。史実ではエグモントはフランドルの軍人で、スペイン圧政下のオランダで祖国の独立運動のために闘いながらも、1567年に反逆罪で捕らえられ翌1568年に処刑された悲劇の英雄とされている。
 ゲーテはこの物語にエグモント伯爵を愛する勇気ある女性クレールヒェンを登場させている。伯爵救済のために奔走するも救出すること叶わず、失意のうちに服毒自殺するクレールヒェンの純粋な愛の死により、処刑台に向かうエグモントも救われるという悲劇である。ベートーヴェンは〈序曲〉のほかに4曲の間奏曲、クレールヒェンの歌曲2曲、〈クレールヒェンの死の音楽〉〈メロドラマ〉、そして終曲として〈勝利の交響曲〉の全9曲を作曲している。
 序曲(ソステヌート・マ・ノン・トロッポ、3/2拍子―アレグロ、3/4拍子、ヘ短調―アレグロ・コン・ブリオ、4/4拍子、ヘ長調)はトゥッティで長く引き延ばされた主音の強奏に始まり、弦楽器が悲壮感のなかにも威厳を失わない主題を提示する。ソナタ形式による前半では処刑にいたるまでの悲劇が描かれるが、終結部では劇中の〈勝利の交響曲〉を先取りして圧倒的なコーダが築かれる。

作曲年代:1809年10月~1810年6月上旬、序曲は最後に作曲されている
初演:1810年6月15日(序曲付き)。舞台劇初演は5月24日であったが、この時にはまだ序曲が完成されていなかったため、劇中の9曲だけで上演された(ウィーン・ブルク劇場)

(平野 昭)