ストラヴィンスキー (1882~1971)

3楽章の交響曲 (約22分)

 ストラヴィンスキーは交響曲を4曲書いた。この《3楽章の交響曲》は最後の交響曲であり、同時に新古典主義の頂点を成す作品でもある。ストラヴィンスキーは初演時のプログラムに書いている。「この交響曲は絶対音楽であり、特定の標題や内容を表現したものではない。だが、あの切迫し、苦しかった時代、絶望と希望、絶え間ない苦しみと緊張、そして最後に終戦と救い、こんな時代に彩られたさまざまな印象や経験がこの曲に爪あとを残していることを見出せるだろう」。ストラヴィンスキーがこのようなことを書いた背景には、具体的に次のような作曲の経緯があった。
 第1楽章は第二次世界大戦中に見た中国の焦土化作戦のドキュメンタリー・フィルムの影響があり、第2楽章は、アメリカに亡命したフランツ・ウェルフェルの小説を原作とした映画『聖処女』の「聖母の幻影」の場面のために書いた作品の転用である。そして第3楽章はナチスの兵隊や襲撃に関連している。
 1942年に第1楽章が作曲された当初、ストラヴィンスキーはオーケストラのための協奏曲として構想していた。特にピアノとハープを独奏楽器として位置づけ、第1楽章ではピアノ、第2楽章ではハープ、そして第3楽章ではその2つを協奏曲風に扱っている。それぞれの形式的な側面からストラヴィンスキーは「3つの交響的楽章」という呼び方が曲のより正確なタイトルであると書いており、特に第1楽章の形式的な骨格は、ベートーヴェンの《交響曲第5番》第1楽章などを元にしている。また、音楽学者リチャード・タラスキンは2つの楽器を効果的に使った先例としてグリンカの《ルスランとリュドミーラ》(1842年)の第1幕第1場を、また音楽的な影響(音楽技法、表現)として、リムスキー・コルサコフの同門の先輩マクシミリアン・シュテインベルク(1883~1946)の《交響曲第3番》(1928年)との関連も挙げている。3つの楽章は短い間奏を挟んで、続けて演奏される。

作曲年代:1942年から1945年にかけて作曲。ニューヨーク・フィルハーモニック交響楽協会に献呈
初演:1946年1月24日、ニューヨーク、作曲者の指揮でニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団(現ニューヨーク・フィルハーモニック)により行われた

(三橋圭介)