グリンカ (1804 - 1857)

幻想曲「カマリンスカヤ」(約8分)

 ロシア芸術音楽の礎を築いたことで知られるミハイル・グリンカだが、その輝かしい業績は挫折と隣り合わせであった。1842年に初演された《歌劇「ルスランとリュドミーラ」》は不評に終わり、翌1843年には帝室歌劇場によって結成されたイタリア・オペラ団が首都ペテルブルクを独占、グリンカのオペラは早々と演目から外されてしまう。失意のグリンカは1844年に国外へと旅立ち、パリで作曲家ベルリオーズと交流、翌年にはスペインを訪れ、2年間にわたってこの地の音楽を研究。その成果がグリンカ後期の代表作である2つのスペイン風序曲に結実する。これらの出来事によって鼓舞されたグリンカの関心は、やがて故郷ロシアの歌と踊りによる管弦楽曲の創作へと向かうことになった。
 《カマリンスカヤ》の当初のタイトルは「婚礼歌と舞踊歌」であり、この曲の主題に引用された2つのロシア民謡を指している。モデラートの序奏では、婚礼歌〈高い山々から〉がいくつかの部分に分けられて対位法的に展開され、アレグロの主部では、男性の舞踊歌〈カマリンスカヤ〉を主題として、ロシアの民族楽器の響きを模しながら目まぐるしく変奏される。実は2つの民謡には共通する旋律線があり、それが後半の序奏再現によって明らかになる仕掛けである。民謡旋律を動機として扱い、その特徴に相応(ふさわ)しい展開手法を編み出したこの曲は、以降のロシア管弦楽の発展に大きな影響を与えた。チャイコフスキーは敬意を込めてこの曲を次のように評している──「大きな樫(かし)の木のすべてが小さな一粒のドングリに含まれるように、この曲のなかにはロシア音楽のすべてが宿っている」。

作曲年代:1848年
初演:1850年3月27日(旧ロシア暦3月15日)、ペテルブルクにて

(千葉 潤)