チャイコフスキー (1840 - 1893)

交響曲 第6番 ロ短調 作品74「悲愴」(約47分)

 チャイコフスキーのいわゆる「三大交響曲」と「三大バレエ」は、それぞれペアを成すように同時期に作曲されている。《交響曲第4番》(1877年)と《白鳥の湖》(1876年)、《第5番》(1888年)と《眠りの森の美女》(1889年)、そして《第6番「悲愴」》(1893年)と《くるみ割り人形》(1892年)である。さらに《歌劇「エフゲーニ・オネーギン」》(1878年)、《歌劇「スペードの女王」》(1890年)を加えてみると、各時期にチャイコフスキーを捉(とら)えていた大きな哲学的・芸術的な問題が浮かび上がってくる。自身の結婚問題を抱えていた30代のチャイコフスキーが、きわめてロマン的な愛と運命の相克(そうこく)に取り組んだとすれば、晩年の創作では、彼岸や超現実的世界との交流が中心的テーマである。賭博(とばく)者の狂気と死を描く《スペードの女王》はいわずもがな、死の世界とは無縁に思われる《くるみ割り人形》でも、作曲背景には最愛の妹の死をきっかけに蘇(よみがえ)った幼少時代への追憶があった。むろん交響曲創作も例外ではない。
 《悲愴》の2年前、チャイコフスキーは「人生」と題された交響曲を途中で放棄したが、この曲は楽章ごとに人生の高揚と愛、幻滅をたどり、死と崩壊で消えるように終わるという標題を持っていた。《悲愴》がそれを受け継いだことは疑いないが、それは最後のアダージョ・フィナーレが象徴するようなドイツ的な交響曲様式の解体と大胆な再解釈へと彼を導いた。西欧とは異なる交響曲の意味と形式を追究してきたチャイコフスキーは、この《悲愴》によって彼独自の最終的な答えを見いだしただけでなく、交響曲の歴史に非西欧の作曲家として本質的な貢献をはたしたのである。交響曲解体の流れは、奇(く)しくも《悲愴》と同時期にアダージョ・フィナーレ(《第3番》)を作曲していたマーラーによって発展されていくことになる。

第1楽章 アダージョ─アレグロ・ノン・トロッポ、4/4拍子、ロ短調、序奏付きソナタ形式。ファゴットの呻(うめ)くような低音に始まる序奏主題が、そのまま速度を上げて第1主題に成長する(この主題とパーセル《ディドーとエネアス》の〈ラメント〉、ベートーヴェンの《悲愴》ソナタとの類似はしばしば指摘される)。弱音器付きの弦楽器で奏される第2主題のむせび泣くような表情は、チャイコフスキー節の真骨頂。展開部の最中に、死者を弔(とむら)うロシア正教聖歌がトロンボーンで奏され、その後から第1主題再現までは一気に展開し、慟哭(どうこく)するようなクライマックスに至る。最後は全楽章に共通する下行音階のコーダで結ばれる。
第2楽章 アレグロ・コン・グラーチア、5/4拍子、ニ長調、3部形式。ロシアや東欧の民族音楽では珍しくない5拍子のワルツだが、旋律と伴奏が微妙にずれながら進行するなど、どこか落ち着かない。中間部では第1楽章に似た憂いに満ちた音楽が回帰し、そのあとの再現部は一層暗い影を帯びる。
第3楽章 アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ、4/4拍子(12/8拍子)、ト長調、自由な2部形式。スケルツォ楽章。楽器が細かく入れ替わる幻想的な音楽の中から、やがて跳躍するような主題の断片が浮かび上がり、それが次第に《くるみ割り人形》を彷彿(ほうふつ)させる軽快な行進曲へと成長してゆく。後半はこのプロセスのくり返しだが、次第にオーケストラが厚みを増し、最後は煽(あお)り立てられるように結ばれる。
第4楽章 終曲:アダージョ・ラメントーソ、3/4拍子、ロ短調、3部形式。「嘆きのアダージョ」と題された異例のフィナーレ。問い詰めるような弦楽器の主題に、フルートとファゴットの切ない対旋律が応える。中間部は、人生最後の時間を味わい尽くそうとするかのように、全曲の根本動機である下行音型がひたすらくり返される。虚(うつ)ろなゴングとトロンボーンのコラールを境にコーダとなり、末期の鼓動のようにコントラバスがピチカートを刻む。

作曲年代:1893年
初演:1893年10月28日(ロシアの旧暦では16日)、作曲者自身の指揮、サンクトペテルブルクでの帝室ロシア音楽協会の交響楽演奏会にて

(千葉 潤)