チャイコフスキー (1840 - 1893)

交響曲 第4番 ヘ短調 作品36 (約43分)

 ピョートル・チャイコフスキーの《交響曲第4番》は1876年冬から翌年12月末までの約1年をかけて書き上げられた。この頃の作曲家の執筆のペースからすると、異例の長さと言える。もちろん、《歌劇「エフゲーニ・オネーギン」》など他の作品の創作時期とも重なっているのだが、何よりもチャイコフスキーの人生において劇的な出来事が続いた時期であった。
 まずモスクワ音楽院でチャイコフスキーの作曲理論の授業の受講生でヴァイオリニストのヨゼフ・コーテクを溺愛(できあい)する。そしてこのコーテクを通じて、未亡人になったばかりのナジェジダ・フォン・メック夫人と文通を持ち始めたのもこの時期である。ほどなくメック夫人とチャイコフスキーは互いに理解者となり、パトロネスと芸術家の創造的な関係が始まった。一方、ちょうどメック夫人との手紙のやり取りが盛んになった頃に面識をもったアントニーナ・ミリュコーヴァと、その3か月後の7月に結婚。そしてわずか20日後に別居する。逃げるように国外に出て、そこでようやく頓挫(とんざ)していた《第4番》のオーケストレーションを仕上げることができたのだった。
 こうした時期に作曲家が味わったであろう悲喜こもごもを想像すれば、作品の冒頭楽章から最終楽章の流れに「運命の克服」を読み取ることができるかもしれない。チャイコフスキーは《第4番》を「これまでのなかで最良の作品」と自負し、その出来に大いに満足していた。完成後にメック夫人に送った手紙で、「この作品は、テクスチュアや形式の点で、私の飛躍の第一歩となったに違いありません」と作曲家自身が自負していたように、《第4番》はまさにチャイコフスキーの後期管弦楽作品の端緒を開く作品となった。
 《第4番》は6つの交響曲のなかで唯一、作曲家が作品の標題(構想プログラム)について明らかにしている作品である。1878年2月10日の初演から1週間後に、献呈者のメック夫人に宛てた手紙のなかで、その大まかな流れを説明している。以下、その内容を参照しながら各楽章を見ていくとしよう。

第1楽章 アンダンテ・ソステヌート、3/4拍子―モデラート・コン・アニマ、9/8拍子、ヘ短調、ソナタ形式。ファンファーレの導入部は「交響曲全体の核となる示導楽想、『運命』。われわれが幸福に向かおうとしてもその実現を阻む、運命の力」。半音階的に下行する第1主題は、「憂鬱(ゆううつ)で希望を失った感情が激していく」。第2主題では、「もはや現実逃避し、夢想するほかなく、どこからともなく甘美な白昼夢が漂う」。だが提示部の最後では再び「『運命』がわれわれを白昼夢から目覚めさせる」。「かくして人生は、幸福のはかない夢や幻影と、苛酷(かこく)な現実との果てしない交代なのである」。
第2楽章 アンダンティーノ・イン・モード・ディ・カンツォーナ、2/4拍子、変ロ短調、3部形式。「悲しみの別の顔」。「仕事に疲れ、本を手に一人座っているが、知らぬうちに落としてしまう、そんな夕暮れに感じるメランコリー」。中間部では「血気盛んな若かりし頃の幸福」を思い出す。
第3楽章 スケルツォ:ピチカート・オスティナート:アレグロ、2/4拍子、ヘ長調、複合3部形式。この楽章では「特定の感情は表されていない」。「自由な想像力で」さまざまなイメージを思い浮かべることができる。「眠りかけたときに明滅するようなイメージ」。
第4楽章 終曲:アレグロ・コン・フオーコ、4/4拍子、ヘ長調、ロンド形式。「自分のなかに喜びを見出せないのなら、周りを見渡し、民衆のなかに入りなさい。彼らはなんと楽しげなんだろう。民衆のお祭りのイメージ。再び運命の力でわれに返らされても、誰もあなたの悲哀には気づかない。この世の全てが悲しいなどと言ってはいけない。他人の喜びのなかで喜びなさい。そうすれば生き続けることができる」。祝祭的な冒頭主題Aを挟みながら、主題B(ロシア民謡《白樺は野に立てり》)と陽気な輪舞(ホロヴォート)を思わせる主題Cが3回ずつ交互に繰り返される。3回目の主題Bの後には第1楽章の「運命」の楽想が一瞬、影を投じるが、主題Cとこれに続く華やかなコーダが一切の闇を払拭(ふっしょく)し、幕となる。

作曲年代:1876年冬~1877年12月末
初演:1878年2月10日、ニコライ・ルビンシテイン指揮、ロシア交響楽協会モスクワ支部主催第10回交響楽演奏会

(中田朱美)