ボロディン (1833 - 1887)

交響曲 第2番 ロ短調 (約30分)

 いわゆる「ロシア五人組」(本国では「力強い一団」)のメンバーが、リーダーのバラキレフを除き、他に本職をもつアマチュア作曲家のグループであったことはよく知られている。とりわけ優れた化学者であったアレクサンドル・ボロディンの場合には、医学での研究教授活動と、当時としては先進的な女性の医学教育のための社会活動に費やされる時間が圧倒的であり、作曲活動は多忙な仕事の合間を縫うように続けられた。そのため後世に残された作品は少なく、18年にわたって書き続けられた《歌劇「イーゴリ公」》も未完のまま終わっている。それにも関わらず、彼の「作曲家」としての名声が確固として残っているのは、何よりもその音楽が強烈な個性と普遍的な論理性を併せ持っているからである。
 1858年に博士号を取得したボロディンは、翌1859年にドイツ・ハイデルベルクにわたり、2年間の化学研究を続けた。その間にメンデルスゾーンやシューマン等の初期ドイツ・ロマン派音楽に触れた経験は、五人組で唯一交響曲や室内楽を得意としたボロディンの音楽性形成に大きな意義をもつ。そして1862年に彼が帰国したロシアでは、アレクサンドル2世が農奴解放に始まる近代化改革に着手したばかりであった。社会全体に民主主義の機運が高まるなか、国民主義的な音楽様式を追究する「力強い一団」にボロディンも引き込まれてゆく。バラキレフの監督下で書き上げた《交響曲第1番》(1867年)には5年が費やされたが、ロシア的な主題素材とドイツ的な形式構造を手堅くまとめ、バラキレフ指揮による初演(1869年)は大成功を収めた。ボロディンは間髪入れずに《第2番》に着手するが完成には7年の歳月を要した。
 《交響曲第2番》は同時並行して作曲が進められた《歌劇「イーゴリ公」》との関連性が強く、オペラのために書きためられた素材が交響曲に利用されているうえ、個々の楽章がオペラの情景を彷彿(ほうふつ)させるような標題的な性格をもっている。ボロディン自身が語ったコメントによれば、第1楽章では「ロシアの王侯たちの集い」、第3楽章では「ボヤーン(古代ロシアの吟遊詩人)の形象」、そしてフィナーレでは「グースリや竹笛が鳴り響く騎士たちの饗宴(きょうえん)」が描かれているという。この交響曲初演の翌年にはチャイコフスキーが代表作となる《交響曲第4番》を完成しているが、どちらもこのジャンルに期待される起伏の大きさや緻密(ちみつ)な動機展開等の要求を充分に満たしながら、オペラやバレエの創作経験で養われた音楽性に基づいて、独自の交響的世界を創り上げた。彼らの交響曲の要となるのはダンスと歌であり、さらにボロディンの場合には、あの《ポロヴェツ(ダッタン人)の踊り》に代表される野性的なロシア的東方趣味(オリエンタリズム)の響きが興趣を添えている。

第1楽章 アレグロ、ロ短調、2/2拍子、ソナタ形式。強烈なユニゾンの第1主題はいかにも古代ロシアの英雄の趣をもち、西欧的な長短調の音階には収まらない。これが軽快な木管楽器の対旋律と交替しながら推移すると、やがて人懐こい第2主題がチェロによって提示される。ロシアの農村で歌われる叙情的な民謡ジャンル「延べ歌(プロチャージナヤ)」の旋律形を模したもので、3/2拍子(4分音符が6拍)のなかで、旋律は「4+2拍」や「3+3拍」のように不規則に分割される。展開部では2つの主題動機が交互に反復されながらも、次第に第1主題に吸収されてゆき、堂々とした第1主題の再現となる。
第2楽章 スケルツォ:プレスティッシモ、ヘ長調、1/1拍子、3部形式。1小節のテンポ=108という迅速な楽章で、主題のシンコペーションが小気味よい運動感を生み出す。アレグレット、6/4拍子に変わる中間部は、《イーゴリ公》の〈娘たちの踊り〉を彷彿させる官能的な音楽で、トライアングルやハープがエキゾチックな響きを添える。
第3楽章 アンダンテ、変ニ長調、4/4拍子、3部形式。グースリ(ロシアの民族的チター)を模したハープのアルペジオにのって、独奏ホルンが古代ロシアの吟遊詩人ボヤーンの叙事的な語りを表現する。不安に苛(さいな)まれるような中間部を経て、オーケストラ全体が主題を歌い上げる再現部は全曲の白眉(はくび)である。音楽は途切れずに終楽章へ続く。
第4楽章 終曲:アレグロ、ロ長調、3+2/4拍子、ソナタ形式。従来のトライアングルやハープに加え、大太鼓やタンブリン、シンバル等の打楽器を投入した賑(にぎ)やかな楽章。奇数拍子による第1主題はスラヴ的な踊りを彷彿させ、クラリネット他の木管楽器が提示する第2主題はロシアの民俗楽器のようだ。両主題を充分に活用した展開部は、まさに饗宴(きょうえん)さながらの熱狂的な音楽となり、短い再現部のあとで、騎士たちの豪快な歓呼の声が聞こえてきそうな奔放なエンディングで結ばれる。

作曲年代:1869~1876年
初演:1877年2月14日(旧ロシア暦2月2日)、エドゥアルト・ナプラヴニク指揮、ペテルブルクのロシア音楽協会の演奏会にて

(千葉 潤)